日本映画
ロストケア
※本稿にはネタバレを含みます。ご注意下さい。
「家族のために地獄を生きなければいけませんか?」 "人生100年時代" という社会に対する前向きなメッセージに異を唱える問題作
日本映画『ロストケア』とは
松山ケンイチ✕長澤まさみ、初共演の二人が入魂の演技で教突する、社会派エンターテインメント。
日本では、65歳以上の高齢者が人口の3割近くを占め、介護を巡る事件は後を絶たない。
この問題に鋭く切り込んだ葉真中顕先生の第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作を、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』、『そして、バトンは渡された』の前田哲監督が映画化。
介護士でありながら、42人を殺めた殺人犯・斯波宗典に松山ケンイチ氏。
その彼を裁こうとする検事・大友秀美に長澤まさみさん。
社会に絶望し、自らの信念に従って犯行を重ねる斯波と、法の名のもとに斯波を追い詰める大友の、互いの正義をかけた緊迫のバトルが繰り広げられる。
他に鈴鹿央士氏、坂井真紀さん、戸田菜穂さん、藤田弓子さん、柄本明氏といった実力派俳優が出演。
現代社会に、家族のあり方と人の尊厳の意味を問いかける、衝撃の感動作だ!
原作:葉真中顕著『ロスト・ケア』(光文社文庫刊)
『ロスト・ケア』は、葉真中顕先生によるサスペンス小説。
2013年2月20日に光文社から刊行された後、2015年2月20日に文庫化された。
第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作品。
あらすじ
早朝の民家で老人と訪問介護センターの所長の死体が発見された。
捜査線上に浮かんだのは、センターで働く斯波宗典(松山ケンイチ)。
だが、彼は介護家族に慕われる献身的な介護士だった。
検事の大友秀美(長澤まさみ)は、斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く、彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めた。
真実を明らかにするため、斯波と対峙する大友。
すると斯波は、自分がしたことは『殺人』ではなく、『救い』だと主張した。
その告白に戸惑う大友。
彼は何故多くの老人を殺めたのか?
そして彼が言う『救い』の真意とは何なのか?
被害者の家族を調査するうちに、社会的なサポートでは賄いきれない、介護家族の厳しい現実を知る大友。
そして彼女は、法の正義のもと斯波の信念と向き合っていく。
登場人物
- 斯波宗典:演 - 松山ケンイチ
- 大友秀美:演 - 長澤まさみ
- 椎名幸太:演 - 鈴鹿央士
- 羽村洋子:演 - 坂井真紀
- 梅田美絵:演 - 戸田菜穂
- 猪口真理子:演 - 峯村リエ
- 足立由紀:演 - 加藤菜津
- 春山登:演 - やす(ずん)
- 柊誠一郎:演 - 岩谷健司
- 団元晴:演 - 井上肇
- 川内タエ:演 - 綾戸智恵
- 沢登保志:演 - 梶原善
- 大友加代:演 - 藤田弓子
- 斯波正作:演 - 柄本明
主題歌
- 「さもありなん」森山直太朗(ユニバーサル ミュージック)
映画『ロストケア』の主題歌として書き下ろされたこの曲は、善悪や是非という価値観を超えた "普遍の優しさ" をテーマにした楽曲である。
「家族のために地獄を生きなければいけませんか?」 "人生100年時代" という社会に対する前向きなメッセージに異を唱える問題作
「人生100年時代」への違和感
昨今、多方面で、社会に対する明るく前向きなメッセージとして 「人生100年時代」が叫ばれることが多くなってきたが、個人的にはこのような風潮に何とはなしの違和感を感じている。
そして本作もどうやらそのようである。
あくまで一般論ではあるが、寿命の伸長に伴い、喜びや楽しみばかりでなく、悲しみや苦しみといった、生きる上での困難も同じように増大するのではないかという漠然とした不安感が歳を重ねるたびに募っていく。
その最たるものが一時期話題となった老後2,000万円問題ではないだろうか。
その背景としては退職金の減少、 年金給付額の増加が予想しにくい状況が「人生100年時代」に影を落としている。
この老人の貧困問題についても、今後、推計で60万人を超えるといわれる中高年の「ひきこもり」の人々や、賃金格差が指摘される非正規労働者等の人たちの高齢化が進行するにつれて、これから益々大きな社会問題になってくるのではないかと想像する。
そして、このような高齢者世代内部での所得や資産格差がひいては寿命や健康寿命の格差につながり、また、各人の人生の幸福感や満足感に大きな影響を及ぼすものと思われる。
このようなことを鑑みると、率直に言って100歳まで生きることが本当にめでたいのだろうか?
家族の顔も忘れ、動作は鈍くなり、大きな声で同じ話を繰り返す。
子や孫に迷惑をかけてまで長生きすることになるのは、むごいことではないのか。
人生は80年もあれば十分。
自分で最期を決められたらいいのに、と思ってしまうのは悪いことなのだろうか。
人生100年時代の現実
「人生100年時代」という社会に対する前向きなメッセージに違和感を覚え、異を唱えたのがまさに本作である。
あたかも誰もが幸せなことかのように声高に叫ばれる、「人生100年時代」の闇の部分がリアルに描かれている。
「人生100年時代」という表題を都合良く前向きなものに置き換えた国は、年金受給開始時期を年々遅らせている。
年金支給額も年々削られ、働かなければもはや普通の生活すらままならない 。
頼みの国は自己責任を押しつけ何もしてはくれない。
それを象徴するシーンが劇中にあった。
親の介護のためにフルタイムで働けなくなった斯波(松山ケンイチ)。
頼みの綱はわずかばかりの親の年金である。
しかしそれだけでは食べていけない。
切羽詰まった斯波(松山ケンイチ)は、最後の望みで生活保護を申請する。
だが、職員から返ってきたのは「あなたは働けますよね?」という、杓子定規の無慈悲な言葉。
この時斯波(松山ケンイチ)が感じた絶望感は、明日の我が身かもしれない。
親が衰えれば、子が面倒をみる。
育ててくれた親だから、その恩に報いたいと思うのは、子として当たり前のことではある。
しかしもしそれがままならなくなった時、親子の絆が呪縛となる。
親はどう感じるだろう。
子として、あとは何がしてやれるだろう。
いくら考えても、もはやジリ貧の道しか残されない。
そのひとつの答えとして斯波(松山ケンイチ)の父・斯波正作(柄本明)は、子自ら手による "尊厳死" を選ぶ。
このシーンの松山ケンイチ氏と柄本明氏の熱演は本作屈指の名シーン。
必見である。
特に柄本明氏の演技は、芝居の域をはるかに超えて思わず魅入ってしまった。
子の幸せを願う親だからこそ、子供に迷惑をかけたくないという父・斯波正作(柄本明)の想い。
すべてを忘れてしまい親でなくなってしまう前に人生を終わらせたいと願う父と、そんな父との親子の絆に葛藤する斯波(松山ケンイチ)。
悩みに悩んだ末に、斯波(松山ケンイチ)は父・斯波正作(柄本明)を自ら手にかける。
「喪失の救済(ロスト・ケア)」。
その時の斯波(松山ケンイチ)の心情は、劇中のこんなセリフに集約されている。
家族のために地獄を生きなければいけませんか?
死ぬ時ぐらい親を…
家族をやめさせてあげてもいいじゃないですか
ひとりの人間として死なせてあげたって
いいじゃないですか
この世には罪悪感を捨ててでも
人を殺すべき時があるんです
胸をえぐられるような気分になった。
前述した、「人生100年時代」への違和感。
これは紛れもない真意である。
しかし、別に「高齢者差別」をしたいわけではない。
個人的に「そんなに長く生きたいか?」と思うだけだ。
もちろん、生きることは尊いことであり、長寿の方々の人生を否定するつもりなど毛頭ない。
とはいえ、個人の意志として「100年も生きたくない」「さっさと死にたい」と考えることも一方で認められてもよいのでは?と思うのである。
国は、老人が増えて財政破綻がますます進むと危機感を煽るが、死にたい人を安楽死させてくれるほど、親切ではない。
医師も同じだ。
何とかしてよ、と言っても誰も何もしてくれないのが現実だ。
したがって、あなたも私も、誰も彼も、死ぬまで生きるしかないわけだ。
では、老い先も短くなった時、もし生きることが地獄と感じたのなら、 "安楽死" や "尊厳死" もひとつの選択肢にはならないのか。
きっと人類はこの問題について永遠に正解を得られないだろう。
本作は「人生100年時代」という前向きなメッセージに異を唱えた問題作である。
だが、ひとつ間違えば殺人の正当化を助長しかねない作品でもある。
だから地上波放送は難しいかもしれない。
しかし多くの人が、「人生100年時代」についてちゃんと考えるための一助となる作品であることは間違いない。
故に、できる限り多くの人の目に触れることを切に願う。
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