アニメ
夜は短し歩けよ乙女
『夜は短し歩けよ乙女』とは
2006年11月に角川書店より出版された。
第20回山本周五郎賞受賞作品。
2017年2月時点で累計売上130万部を超えるベストセラーとなっている。
京都大学と思われる大学や周辺地域を舞台にして、さえない男子学生と無邪気な後輩女性の恋物語を2人の視点から交互に描いている。
諧謔にあふれる作品で、ときに現実を逸脱した不可思議なエピソードを交えている。
古典文学や近代詩からの引用が多く、タイトルは吉井勇作詞の『ゴンドラの唄』冒頭(いのち短し 恋せよ乙女)からとられている。
文庫版が2008年12月に角川文庫から発売された。
また映画公開に合わせて、児童向けに振り仮名や挿絵などを加えた新書判が2017年4月に角川つばさ文庫から発売された。
湯浅政明監督によりアニメーション映画化され、2017年4月7日に全国公開された。
第41回オタワ国際アニメーションフェスティバル長編部門グランプリ、第41回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞受賞。
アニメ『夜は短し歩けよ乙女』
同名タイトルのアニメーション映画が2017年4月7日に全国公開された。
原作は森見登美彦先生による同名小説。
1年間の物語だった原作の物語を、一晩の物語として再構成している。
キャッチコピーは「こうして出逢ったのも、何かのご縁」。
『劇場版クレヨンしんちゃん』にシリーズ初期より参加、その後『マインド・ゲーム』や『ピンポン THE ANIMATION』などを手がけてきた湯浅政明氏による長編アニメーション作品。
湯浅監督に加え、脚本は上田誠氏、キャラクター原案は中村佑介氏、主題歌はASIAN KUNG-FU GENERATIONが担当するなど、本作と同じ森見登美彦原作のテレビアニメ『四畳半神話大系』の制作陣が再集結した。
主人公である先輩役に、歌手・俳優の星野源氏を起用。
ヒロインの黒髪の乙女役に花澤香菜さん、先輩の学友である学園祭事務局長役に神谷浩史氏、願掛けのためにパンツを穿き替えないパンツ総番長役にロバートの秋山竜次氏が起用されている。
毎日新聞では、「見ればそれと分かる湯浅政明監督の絵は本作でも疾走感あふれ、変人ばかりのキャラクターともあいまって独特の世界観を形成している」「普通のアニメとはかけ離れた、シュールでポップな画調と動き。あの原作をよくぞこうした、とびっくり。怪作にして快作」と賞賛された。
あらすじ
1年前から同じクラブの後輩である「黒髪の乙女」に恋をしている「先輩」は、彼女という城の外堀を埋めるべく日々彼女を追い掛け、なるべくその目に留まろうと「ナカメ作戦(なるべくカノジョの目に止まるの略称)」を実行していた。
しかし、その「黒髪の乙女」はなかなか「先輩」の想いに気づかず、好奇心のままに夜の先斗町を歩んでいった。
2人はそれぞれの場所で奇妙な人達と出会う。
酒の席、古本市、学園祭と、二人それぞれが不思議で奇抜な長い夜を過ごすこととなる。
小説の映像化とはこうやるのだ
アニメ『夜は短し歩けよ乙女』は、まるで純文学を映像化する時のお手本のような作品だ。
森見登美彦先生の作品は、正確には巷ではネオ純文学と呼ばれているそうだが、いざ純文学といわれると敷居が高いような印象がある。
苦手な人も多いだろう。
だが純文学は苦手だと感じている人にこそ、アニメ『夜は短し歩けよ乙女』を是非ご覧になっていただきたい。
文学としてではなく、エンターテイメントとして非常にクオリティが高い。
アニメとして純粋に面白い。
まずハイセンスな映像美。
一見すると奇を衒っているだけのようにもみえる。
だがよくよく観ていくと、日本人のDNAに組み込まれた古き良きエンターテイメントが脳裏をよぎる。
本作品の映像美は紙芝居を意識したのではないだろうか。
あの名作アニメ『まんが日本昔ばなし』にも通じているような気がする。
これは温故知新から得た、新しい発明ではないか。
スティーブ・ジョブズ氏の名言「電話を再発明する」を思い出す。
まったく新しい描写のようにみえても、実はその根底に伝統文化が隠されていた。
さすが純文学作品だけあって、人間が本質的に持っている猥雑としたものの描写にも、知性と品格を感じることができる。
またその言い回しは知的好奇心をおおいに駆り立てられる。
正直にいうと、あまりに情報量が多い上に内容がハイレベルすぎて、著者の頭では初見ですべてを理解することができなかった。
だが、そのまま「わからない」で終わることなく「わかるまで観たい」と思った。
なかなか無い経験だ。
癖の強い登場人物たちも実に興味深い。
それは本作品の舞台が、推定・京都大学というのがおおいに関係しているだろう。
皆さんは映画『鴨川ホルモー』という作品をご存知だろうか。
この映画も京都大学を舞台にしているが、京都大学に対するイメージがまさに「これ」という作品である。
誤解を恐れずに例えるなら、著者の京都大学の生徒の印象は「優秀すぎて扱いづらい」だ。
対比として、東京大学の生徒の印象は「優秀だけど扱いやすい」。
京大生・東大生の皆さん、ごめんなさい。
勘違いしないでいただきたいのは、基本的にはどちらも褒め言葉ということ。
どちらの大学も門前払いにすらならなかった著者にとっては雲の上の存在である。
ただの勝手なイメージだということを、改めてご理解いただきたい。
話を戻すが、イメージの中の京大生をそのまま具現化したような登場人物は、やはりというくらいイメージ通りの京大生だった。
癖が強すぎて非常に扱いにくそうだ。
だがそんな人物像が異様な存在感を発揮しながらも、純文学の世界ではこれがめちゃくちゃハマるのだ。
人間観察ならぬキャラクター観察をしているだけでも、まったく飽きない作品である。
アニメ『夜は短し歩けよ乙女』は、純文学が進化したネオ純文学の名に恥じぬ名作だ。
活字信者でも納得してもらえる作品なのではないだろうか。
気になった人は是非。
なかなか癖になる作品だ。
キーアイテム
絵本「ラ・タ・タ・タム」
ラ・タ・タ・タム: ちいさな機関車のふしぎな物語 (大型絵本)
『夜は短し歩けよ乙女』の劇中で黒髪の乙女が古本市で探し求めていた本。
それが乙女が幼児期に愛読していた絵本「ラ・タ・タ・タム」である。
実在の絵本。
あらすじ
マチアスくんは、ある日ちいさな白い機関車を完成させたが、工場長にとりあげられてしまった。
がっかりして町を出ていったマチアスくんのあとを追って、ちいさな機関車のふしぎな旅がはじまる。
絵本「ラ・タ・タ・タム」の評価
絵が幻想的で独特の世界観。
影の書き方が細かく、赤、青、紫、緑、オレンジと、すべての色使いが素晴らしい。
脳裏に焼きつくような絵で、この絵だけでも見る価値がある…らしい。
実際に読んだ方の評価はおおむね上々のようだ。
こちらも気になった人は是非。
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