天下三肩衝は天下人となった徳川家康の手へ
時系列からして織田信長編の次は豊臣秀吉編になりそうなものだが、先に徳川家康編を書いた方が話がわかりやすい。
時代が前後するがご承知願いたい。
織田信長垂涎の的だった天下三肩衝を初めてすべて手にしたのは豊臣秀吉だが、時代は移り関ヶ原、大坂の陣を経て、天下三肩衝は天下人となった徳川家康の手に帰すことになる。
天下三肩衝はそれがあたかも自然の流れだったかのように天下人・徳川家康の手に収まる。
✔️新田肩衝
これを新たな天下人となった徳川家康が見つけ出し修復。
こうして新田肩衝は家康の手に渡った。
✔️初花肩衝
初花肩衝は秀吉が天下統一後、五大老のひとりである宇喜多秀家に授けられる。
しかし慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで宇喜多秀家が属する西軍は敗れ、初花肩衝は家康によって没収されている。
こうして初花肩衝は家康の手に渡る。
✔️楢柴肩衝
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉は臨終の際に当時五大老筆頭にあった徳川家康に楢柴肩衝を授けた。
こうして楢柴肩衝は家康の手に渡ることになる。
そして天下三肩衝は家康が手塩にかけた堅城・江戸城の宝物庫に収められるのであった。
《公益財団法人德川記念財団蔵》
明暦3年(1657年)の明暦の大火で破損し修復
宝物庫に確実に存在した記録はこの時まで
明暦3年(1657年)の明暦の大火の際に破損し修復された記録が残っている。
ここまでは事実だと思われる。
しかしどういうわけか、その後の行方がわからなくなっているのだ。
天下三肩衝のひとつ・楢柴肩衝は、江戸城宝物庫から忽然とその姿を消してしまったのだ。
この出来事には謎が多い。
あえて出来事と表現しているのも、これが何故か事件として扱われていないからだ。
東照大権現以来、徳川家の家宝ともいえる楢柴肩衝が紛失したのだ。
当然大事件になりそうなものだが、不可解なことに江戸城内で大した騒ぎになっていない。
天下人の証ともいえる天下三肩衝のひとつが消えてしまったというのに、大事件に発展していない。
江戸城といえば当時の政治の最高機関だ。
その江戸城の宝物庫ともなれば、セキュリティーが半端なわけがない。
厳重なセキュリティーをくぐり抜けて、忽然と姿を消した楢柴肩衝。
仮に何者かが持ち出したとして、侵入者の存在だけでも大事件のはずなのに、楢柴肩衝の紛失は何故か事件にすらなっていない。
まるで最初からそんなものは存在しなかったかのように…
静かに楢柴肩衝は歴史の表舞台からその姿を消し、今なお所在はわかっていない。
謎のままだ。
しかし、この謎を解く鍵が豊臣秀吉編に隠されているのであった。
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