【FIA F1世界選手権レース】皇帝ミハエル・シューマッハの引退
ミハエル・シューマッハとは
ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)はドイツの元レーシングドライバー。
愛称はシューミ (Schumi)、マイケル(Michael)。
日本語表記は他に「ミハエル・シューマッハー」やドイツ語の発音に近い「ミヒャエル・シューマッハ」もある。
英語圏では「マイケル・シューマッカー」と発音される場合がある。
ドイツ人初のF1ドライバーズチャンピオン。
最多優勝91回、チャンピオン獲得7度などF1の主な個人記録を更新した。
2006年に一度引退したが2010年に復帰し、2012年に再度現役を退いた。
その冷徹で正確なドライビングから日本では「ターミネーター」、日本国外では「サイボーグ」と呼ばれる時期があった。
フェラーリ在籍期には、フジテレビのF1中継では「皇帝」の愛称が使われた。
6歳年下の実弟ラルフ・シューマッハはウィリアムズなどで6勝を挙げた元F1ドライバー。
息子のミック・シューマッハも現役のF1ドライバーである。
皇帝ミハエル・シューマッハの軌跡―Danke,Schumi!
ミハエル・シューマッハのF1鈴鹿ラストラン(2006年)
2006年日本グランプリは2006年F1世界選手権第17戦として、2006年10月8日に鈴鹿サーキットで開催された。
正式名称は「2006年FIA F1世界選手権レース フジテレビジョン日本グランプリレース(Fuji television Japanese grand prix 2006 SUZUKA)」。
F1日本GPは1987年から20年間鈴鹿サーキットで開催されてきたが、2007年以降は舞台を富士スピードウェイに移すことが決定していた。
そのためファンやレース関係者の間では鈴鹿への感謝を込め、「ありがとう鈴鹿」というメッセージが多く見られた。
前戦中国GP終了時点ではドライバーズポイントにおいて、2005年度のワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソと、この年限りで引退する事を発表していたミハエル・シューマッハが共に116ポイントで並び、優勝回数の差でシューマッハがランキングトップに浮上している。
コンストラクターズ(製造者)部門でも、フェラーリが178ポイント、ルノーが179ポイントと僅か1ポイント差であったため、両部門のシリーズ争いが注目された。
鈴鹿最後の日本GP。
シューマッハの日本ラストラン。
スーパーアグリの初地元レースなど話題が豊富だったこともあり、レースウィーク3日間の観客動員数は36万1千人。
決勝開催日の日曜には過去最多となる16万1千人の大観衆がつめかけた。
レース結果はミハエル・シューマッハが痛恨のリタイアを喫したことにより、アロンソがシューマッハに10ポイント差を付けて再びポイントランキングトップとなった。
最終戦ブラジルGPにおいてシューマッハは優勝が最低条件となるが、たとえ優勝してもアロンソが1点でも獲得(シューマッハが優勝してアロンソが0点となれば同点となり、シューマッハの優勝回数がアロンソを上回るため)すれば、アロンソの2年連続チャンピオンが決定する。
シューマッハはレース後のインタビューで「ライバルがリタイアするのを祈りながらレースを走りたくない。今日僕のタイトル争いは終わった。」と述べ、事実上の敗北宣言を認めた。
(※その後、富士と鈴鹿の交互開催が決定し、さらに、富士が2008年限りで撤退したため、2009年から再び鈴鹿での連続開催に戻っている。
ミハエル・シューマッハも3年のブランクを経て、2010年から現役復帰した。)
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企業理念とは
企業理念とはわかりやすく表すと「企業の存在意義とあり方を言語化したもの」となる。
別の言い方で、MI(マインドアイデンティティ)ということもあるが意味は同じ。
要するにその企業の思想や使命、志といった根本の考え方・あり方の特徴を言語化したものだと思ってもらえるとわかりやすい。
応援の違いにHONDAとTOYOTAの企業理念の違いをみた
その日の鈴鹿はひどい混み具合だった。
鈴鹿最後の日本GP(当時)と皇帝ミハエル・シューマッハのラストランが重なり、話題性は抜群。
決勝開催日の日曜には、過去最多となる16万1千人の大観衆がつめかけたというから尋常な混み方ではない。
パンフレットは早くに売切れ。
入口ゲートをくぐっても、ちっとも前へ進みやしない。
ダラダラと進む人ごみについて席に向かう道中、レース場には場違いな応援団の姿を見かける。
それはノーネクタイではあるがスーツ姿の一団で、皆メガホンやらラッパのような鳴り物を手にしている。
その姿はさながら、畑違いの部署に応援で駆り出された営業マンのようだった。
「スポンサーか何かかな?」
そんな風に思いながら、またダラダラと座席を目指す。
我々の席は1・2コーナーの立ち上がりのS字あたりとメインスタンドから比較的近い場所であったのだが、そこにたどり着くまで結局2時間もかかってしまった。
2時間って…
話が前後するが、レースが終わって車に戻るまでにも2時間半かかった。
ようやく車で走り出しても周辺は激しい渋滞。
渋滞と疲労のためコンビニで2時間ほど仮眠するも、景色が仮眠前と何も変わらず大渋滞のまま。
デジャヴなのかと目を疑った。
こういう渋滞はLIVEで幾度となく経験しているが、この時ばかりは桁が違った。
鈴鹿最後の日本GPは、16万1千人の大観衆の凄まじさをまざまざと思い知ることになったレースでもあった…
ようやくたどり着いた席に腰を下ろし一息つく。
ピットが陰で残念ながらホームストレートこそ見えないが、1コーナーへ突っ込む姿とそこから立ち上がって加速していく姿が一望できるなかなかの席だった。
そしてそこからはメインスタンドも一望できた。
TV中継では放送されないがF1のように大きなレースでは、いきなりメインレースが始まるわけではない。
露払いのように前座のレースがあって、会場のボルテージを上げていく。
前座のレースが終わっても、まだ始まらない。
様々なセレモニーで緊張感を増していく。
レース場にはTV中継とは別に、会場だけのアナウンサーみたいな人がいて、さながらDJのように観衆を煽りまくって盛り上げる。
それはまるでLIVEのように観衆を煽っていく。
DJ:「メインスタンドー!!」
観衆は大歓声で応えていく。
ちなみにこのレースに参戦していた日本の車メーカーは、鈴鹿がホームコースのHONDAと、次年からホームコースでのF1開催が決まっていたTOYOTA。
当然、応援にも力が入っている。
だが、いくらホームスタンドを一望できるといっても、どこがどちらの応援席なのかはわからなかった。
DJが先に煽ったのは、アウェイのTOYOTA応援席。
DJ:「TOYOTA応援席ー!!」
どこだどこだ?と探すまでもなかった。
それはまるでプロ野球の応援のようにメガホンとラッパを鳴らし大歓声が巻き起こる。
先ほど見かけたスーツの一団だった。
印象通り、場違いなスーツ姿はまさしく営業部かなんかの応援だったのだ。
TOYOTAの応援をみて、ジャパニーズサラリーマンという言葉を思い浮かべた。
少しやるせない気持ちになったが、矢継ぎ早にHONDAの応援席を煽るDJ。
DJ:「HONDA応援席ー!!!」
日本のレースシーンをけん引してきたHONDAのホームコース・聖地鈴鹿。
このレースが鈴鹿での最後の日本GP(当時)。
HONDAがどんな応援をみせるのか興味津々だった。
しかしすぐに反応したTOYOTAの時とは違い、DJに煽られても会場は静まり返っている。
一瞬の静寂に包まれる鈴鹿サーキット。
「えっ?HONDAの応援席どこよ?」
そう思った瞬間の出来事だった。
メインスタンドの一角で、突如マスゲームが始まったのだ。
応援席から野暮な大声は上がらない。
ただただ静かに文字だけが浮かび上がる。
うつし出されたのは「ありがとう鈴鹿」など、F1に関わったすべての人に向けられた感謝のメッセージだった。
この瞬間、HONDAとTOYOTAの企業理念の違いをみた気がした。
別に優劣をつけたいわけではない。
HONDAもTOYOTAも日本が誇る世界的な大企業だ。
どちらも車だけにとどまらず、あらゆる分野に進出している素晴らしい企業だ。
実際に著者が乗るのはトヨタ車だし、だからトヨタの車が乗りやすいのも十分わかっている。
だから実用車としての評価が、TOYOTAに軍配が上がるのもわかる。
だがHONDAには、TOYOTAとはまた違った夢がある。
本田宗一郎氏が築き上げた、モータスポーツにかける情熱がある。
ビジネスという言葉では片づけられない、夢を追い続ける姿勢がある。
HONDAはレースを通じて、我々に夢をみせてくれるのだ。
だから、たとえホンダ車に乗っていなくても、HONDAが大好きなのだ。
そのHONDAも、去年をもってF1から撤退。
しかし最後のシーズンでチャンピオンを輩出して、有終の美を飾っている。
今後、HONDAがF1に帰ってくるのかはわからない。
だがまたいつか、HONDAのエンジンが世界一に輝くのをみられる日を心待ちにしようと思う。
実際にF1を観戦して感じたのは、HONDAのエンジンの吹け上がる音の美しさだった。
フェラーリなんか目じゃない。
HONDAのエンジンは本当に綺麗な音を奏でながら吹け上がっていく。
あの音をまた聞きたいと心から思う。
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