バラエティ番組
笑う犬の生活-YARANEVA!!-
この番組なくして宇多田ヒカルの衝撃のデビューはなかった!
『笑う犬』とは
『笑う犬』は、フジテレビ系列にて1998年から2003年まで、および2008年から特別番組として放送されていたお笑い・コント番組シリーズの総称。
なお、ここでは『笑う犬の生活』について重点的に記述する。
『笑う犬の生活-YARANEVA!!-』とは
1998年10月、ウッチャンナンチャンの内村光良の「純粋コント番組を作りたい」の一言で始まった番組が『笑う犬の生活-YARANEVA!!-』。
「純粋コント番組」というコンセプトのためか、ロゴも「笑う」が大きく表示され下に小さく「犬の生活」さらに小さくその下に「-YARANEVA!!-」が付いていた。
2000年12月31日のフジテレビ大晦日特番での内村氏と志村けん氏の対談で、内村氏は〈5、6年前自分と志村は一度飲み屋で偶然会い、その時志村に言われた「あなたはコントで出てきたんだから、コントを続けなさい」という言葉を胸に『笑う犬』を立ち上げた〉と番組制作のきっかけを明かしている。
しかし志村氏は「自分はその時、既に泥酔状態だったので自分の言った事を覚えていない」と返したため、内村氏は倒れこんでしまった。
ただ、志村は「(泥酔状態だから)嘘は言ってない」と続けている。
タイトルの『笑う犬の生活』は座長内村の敬愛するチャーリー・チャップリンの『犬の生活』(1918年公開のアメリカ映画)から。
サブタイトルの『YARANEVA!!』は以前ウッチャンナンチャンが同じフジテレビでやっていた番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』から。
不慮の事故で終わってしまったこの番組への想いがあり、内村氏の相方・南原清隆氏に許可を貰って付けられていた。
当初考えられていたタイトルは「JAPAN大爆笑」だった。
当番組がスタートする際、当時のテレビ雑誌に仮題タイトルとして載せられていた。
『笑う犬の生活』のメンバーは内村氏、まだ若手だったネプチューンの3人、オセロの中島知子さんと女優の遠山景織子さん。
内村氏の相方である南原清隆氏は参加しなかったが、不参加だった理由は同時期に放送がスタートした『ウンナンのホントコ!』に専念していた為であり、内村氏によると「(念願だった)コントに専念しろ!ホントコは俺がやるから」と言われ気遣ってくれたという。
番組のマスコットキャラクター・青い犬の息子が現在フジテレビのマスコットキャラクターのラフくんである。
当初のエンディング曲は、宇多田ヒカルさんのデビュー曲『Automatic』。
コントで中島さんがプロモーションビデオのパロディを演じたこともある。
なお、オープニング曲であるショッキング・ブルーの『ヴィーナス』はシリーズを超えて使用されていた。
23時からの深夜番組でありながら高視聴率をたたき出し、二度特番が放送された。
特番ではスタジオに青い犬が登場し、最終的に中に入っている人物も現れた。
堀内健氏が着ぐるみの中身を知らずに青い犬にドロップキックや抱きついたりしたため、内村氏が必死でフォローしていた。
1999年元旦には『笑う犬の正月』と題した90分スペシャルが放送。
この時に青い犬の中に入っていた人物は内村氏の相方である南原清隆氏。
本人曰く「自分はメンバーに内緒で番組のマスコットキャラクター・青い犬の着ぐるみに入って初回から参加していた」とコメントしたが、冗談なのか真実なのかは不明。
1999年6月にはゴールデンタイムでのスペシャルが放送された。
この時に入っていた人物はエンディング担当だった宇多田ヒカルさん。
当時は人気が社会現象化しメディア露出が稀だったため話題となった。
また、当時THE HIGH-LOWSの真島昌利氏が『生活』の熱狂的なファンであり、「関東土下座組」のエキストラ役でコントに参加した事もあった。
あの厳格な安藤優子アナウンサーが笑った!
"笑う" 名物『ニュースJAPAN』への引き継ぎ番宣
エンディングで内村氏が、この番組の次に放送される『ニュースJAPAN』のキャスター・安藤優子(当時)さんに扮してミニコントをし話題に。
この「安藤さん」が終わった後すぐに『ニュースJAPAN』の生予告に接続されるため、いわゆる「一方的なコラボレーション」であったが、安藤も報道フロアのモニターからそれを見ていて必死に笑いを堪えており、それがきっかけで2人は親しくなった。
(1999年2月17日放送の回で、「安藤が怒っている」と聞いた内村氏が「安藤さんのモノマネを止めようかな…」と発言した際、安藤さんがゲストとして突如出演。
「私、あんな変な顔してますか?」と言いつつも、好意的に受け止め、「ニュースJAPANの予告で私が笑ってしまうまでは続けて構わない」と、安藤さんからお墨付きをもらえた。
そこから交流が始まり、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際には互いに花を贈り合っていた。)
たまに原田扮する木村太郎氏も登場した。
1998年10月28日の回では「安藤さん」で安藤(内村)さんが「あの…似てなくてすみません」と言った直後に本家の安藤さんが、生予告で「今のは偽者、本物はこの後のニュースJAPANで」とアドリブで返した事がある。
1999年2月10日の回では安藤さんが風邪で休演のため、「安藤さん自粛中」のテロップで押し通した。
また、自粛した回は上記のテロップと白黒の安藤(内村)さんの静止画像に続いて川端健嗣アナウンサー(当時)が「ウッチャン、安藤さん怒ってますよー」と言うやり取りがあった。
(その後川端は「そのせいでは無く、今日安藤さんは風邪でお休みです」と続けた。)
稀に『ニュースJAPAN』に大物政治家がゲストとして出演した際、「安藤さん」の後の微妙な空気の中でゲストの政治家が映し出される場面も見られるなどハプニング性のあるコーナーであった。
(その中でも、1999年3月10日に石原慎太郎がゲスト出演した日は「今日はそういう場合じゃありません。
今夜のゲストはこの方です」と少々引きつった表情で生予告していた。)
『生活』後期になると「安藤さん」に代わって他のコントのキャラクターが登場するようになるが、「安藤さん」ほどのインパクトや笑いは得られなかった。
このスタイルは放送時間が移動し『笑う犬の発見』にリニューアルした際、エンディング時に後番組の『発掘!あるある大事典』のパロディーを行った点に引き継がれているが同番組の予告は事前収録のため各回のハプニング性では本家に及ばなかった。
深夜帯お笑い番組復活への狼煙
深夜帯のお笑い番組が衰退していたあの頃。
ましてやコント番組なんて絶滅種に近かった。
そんな時、突如として現れたのが『笑う犬の生活』だった。
30分ほぼ全編にわたりコントのみ。
最後にメンバートークがあるにはあるが、おまけみたいなものだった。
そんな調子だからコントの詳細な設定なんか教えてくれない。
よくわからないものを観せられ、よくわからないまま笑う。
実際、元ネタなんかわからなくても十分面白かった。
『笑う犬の生活』の登場は、それまで衰退しかけていた深夜帯お笑い番組に灯りをつけた。
これを機に、深夜帯で一定の人気を博した番組がゴールデンに進出するTV界の黄金ルートが確立された。
宇多田ヒカルの衝撃のデビューは『笑う犬の生活』からだった
数あるコントも大変面白かったのだが、『笑う犬の生活』で一番印象的だったことを問われれば、宇多田ヒカルさんの衝撃的なデビュー以外に思い浮かばない。
それはもう、本当に凄かったんだから。
『笑う犬の生活』の初代エンディング曲は、宇多田ヒカルさんのデビュー曲『Automatic』だったのだが、エンディングには番組オリジナル映像ではなく宇多田ヒカルさんのPVが流された。
有名なこれ↓ね。
今でこそ、凄いことだと思われるかもしれない。
しかしよーく考えてもらいたい。
その当時、宇多田ヒカルさんはまったくの無名のアーティストだ。
当時の視聴者は皆「この人誰?」と思ったに違いない。
宇多田ヒカルさんのスターへの階段の第一歩は、「この人誰?」から始まった。
だが、やはりそこは後の大スターだった。
トップアーティストになる人間というのは、どんな状況下でも、観衆の目を惹きつけるオーラみたいなものがあるのだろう。
視聴者はソファーの前でクネクネと踊るこの無名のアーティストから目が離せなかった。
たちまちのうちに、全国に「この人誰?」は伝染しその素性が明らかになった。
デビューしたての宇多田ヒカルさんのその完成度のあまりの高さに、ゴーストライターを疑った時期も正直なところあるにはあった。
その素性からもゴーストライター説に信憑性の高さを感じていた。
『First Love』はアルバムも楽曲もあまりに出来すぎていた。
だが、他人にはない感性で世に名曲を送り出し続ける宇多田ヒカルさんの数々の楽曲に触れるうちに、ゴーストライターへの疑念は吹き飛んでしまった。
天才ってのは本当にいるものなんだな。
疑った自分が恥ずかしい。
何はともあれ、宇多田ヒカル伝説は『笑う犬の生活』から始まっている。
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