赤いスイートピー / 松田聖子(1982年)
音楽史に残る名フレーズ
はじめて聴いた時より今の方がずっと魅力的な名曲
ふと懐かしい音楽を耳にすることがある。
TVやラジオで流れてくる懐かしい曲の数々。
時に「あれ?こんな良い曲だったかな?」なんて感じる曲も中にはあったりするから音楽は面白い。
本稿ではそんな「はじめて聴いた時より今の方がずっと魅力的な名曲」ばかりを取り上げていこうと思う。
『赤いスイートピー』とは
『赤いスイートピー』は、1982年1月にリリースされた松田聖子さんの8枚目のシングルである。
作詞を松本隆先生。
作曲を呉田軽穂さんが担当。
ユーミンが他のアーティストへの作品提供の際には、本名のほか、グレタ・ガルボをもじったペンネームである呉田軽穂(くれだかるほ)を使用する場合があるのだ。
作曲にユーミンを起用したのは作詞担当の松本隆先生の発案で、「ライバルに曲書いてみない?」とユーミンに直々に作曲依頼をした。
女性ファンを増やしたいというプロデューサーサイドの意向に対して、ユーミンは作曲家としてではなく名前(知名度)で選ばれる事を嫌い当初は渋っていた。
そこで、作曲者名にペンネームである「呉田軽穂」を使用しても良いのならという条件で引き受けたという。
ユーミンは、「誰が作ったか知らなくても、曲調だけで聴き手の心をつかめたなら、これほど作家冥利に尽きる事はない。そして本当にその通りになったのでとても充実感のある仕事でした」と、後に語っている。
当時の聖子さんは過度なスケジュールの影響から喉を酷使し、歌唱時に声が擦れてしまう事があった。
そこでプロデューサーサイドはユーミンに対して、喉に負担が掛からないようキーを抑えたスローバラードを作って欲しいと依頼した。
ユーミンが完成させた曲は、元々はBメロやサビの『赤いスイートピー』のフレーズで音程が下がる曲だったが、プロデューサーから「春をイメージした歌なので、最後は音程を上げる形にして春らしくしてもらいたい」とリテーク依頼を出された。
本人曰く「提供した曲をダメ出しされたのは後にも先にもその時だけなのですごく驚いた」という。
当時はプロデューサーの熱意に折れ、仕方なく現在の形に修正したそうだが、「今になって考えると春の歌だし、あれで良かったんだと思います。そして、相手が誰であろうと妥協せずに向かい合うスタッフがいたからこそ、彼女(聖子)は短期間であれだけの存在になれたのでしょう」とコメントした。
聖子さんはそれまでの声を張り上げ伸びのある歌い方を改めて、この曲から徐々に歌唱法を変えていったと云われている。
松本先生はユーミンが先に作ったメロディーを受け取った時、「単純に詞をつけていくとユーミンみたいな語感になってしまう」と感じて、「かなり抵抗して、松本風の言葉をわざと並べた」という。
長く聖子さんの曲を担当した松本先生は後年、この曲で聖子さんと「同期した」と表現している。
本曲発表当時、スイートピーの主流は白やクリーム色、ピンクなどが主流で、『赤いスイートピー』は存在しないと思われていた(実際には、1800年ころには既に存在していた)。
本曲がヒットして以降、品種改良して作った鮮やかな色の赤いスイートピーが売られるようになった。
松本先生は「心の岸辺に咲いたとあるから、これは全て夢なんだなと分かってもらえたら、別に何色でもいいんですけど」と語っている。
本来の楽譜では「はーんとーし」であったが、実際の歌では聖子さんが自分の間合いで「はんとーし」と歌っている。
プロデューサーの若松宗雄氏が元の譜割で歌うようにリテイクを出したが、若松氏は最終的に「はんとーし」を使うことにしたという。
冒頭の歌詞、"春色の電車" について、松本先生は「 "春色" は子どもの頃に記憶しているオレンジと緑色の湘南電車で、それが海に続いているイメージ」であると明かし、更に「江ノ電の鎌倉高校前から鎌倉駅の商店街を抜けて海が急に見えてくる景色が大好きだった」「その線路の脇に赤いスイートピーが咲いていたらかわいいんじゃないかな、と想像して歌の舞台にした」と、2021年8月1日放送の『関ジャム 完全燃SHOW』で回答している。
本曲の発表前の1981年年末に聖子さんはデビュー以来のトレードマークであった「聖子ちゃんカット」をショートヘアにしており、本曲を披露した際にはその髪型に関しても大きな話題となった。
ただし、発表前の新曲としてテレビ朝日の歌番組で披露したことがあり、その時は断髪前の姿での歌唱シーンが確認されている。
聖子さんの代表曲であったが、同年の『第33回NHK紅白歌合戦』で歌唱されたのは『野ばらのエチュード』で、以降も長らく未歌唱のままであった。
デビュー35周年の2015年、『第66回NHK紅白歌合戦』の紅組のトリおよび、大トリで初歌唱となった。
音楽史に残る名フレーズ
聖子ちゃんファンからしたら、何を今さらと思われるかもしれない。
聖子ちゃん世代の人にとって『赤いスイートピー』は、当たり前のように名曲中の名曲なのだろう。
それはわかっている。
ただ、聖子ちゃん伝説をリアルタイムで知らない世代にとっての『赤いスイートピー』といえば、真っ先に思い浮かぶのは松本隆先生の素晴らしい詞だったりする。
春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ
煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから
何故知りあった日から半年過ぎても
あなたって手も握らない
このA〜Bメロにかけての松本隆先生の詞は、日本の音楽史に残る名フレーズといえるだろう。
歌い出しの「春色の汽車」。
イマイチ意味不明にもかかわらず、たったこのワンフレーズだけで、聴く人を曲の世界観へと惹きつけてしまうスーパーフレーズだ。
そしてそこから展開される、昭和を経験した人間にしかわからないアオハル描写が、くすぐったいやら甘酸っぱいやら。
何度聴いても、いつ聴いても、素晴らしいのひと言しか出てこない。
それほど『赤いスイートピー』とは、松本隆先生の曲というイメージが強かった。
呉田軽穂の正体
そもそも世代ではないので、いくら松本隆先生のスーパーフレーズがあろうと、積極的に自分から『赤いスイートピー』を聴く機会は、実はそれほど多くなかった。
それがある時のこと。
何かのキッカケで、『赤いスイートピー』を作曲した呉田軽穂さんの正体が明かされる。
はっ!?
世代でもファンでもない人間だが、この情報はあまりに衝撃的だった。
こうなるとミーハーなもので、ユーミンが作曲したとなれば聴こえ方が変わってくる。
だってあのユーミンなんだもの。
何より昔の曲なのに、急にえらく新鮮に聴こえた。
今まで知っていた、ユーミン楽曲のテイストとはまるで違っていたからだ。
ユーミンの楽曲では聴いたことのないメロディ。
それに加えて松本隆先生の名フレーズである。
これでははじめて聴いた時より、何倍も魅力的に聴こえてしまうのも致し方ないことである。
『赤いスイートピー』の制作秘話を知ってから、80年代アイドルの楽曲に興味を持ち出すことになる。
昔は何が良いのかさっぱりわからなかったが、今ならわかる。
昔のアイドルって本当に可愛いww
松田聖子×神田沙也加
『赤いスイートピー』
映像はおそらく松田聖子さんデビュー30周年記念LIVEのもの…だと思う。
もう二度と観ることができない貴重な母娘共演で名曲『赤いスイートピー』が聴けるかと思ったが、残念ながら沙也加さんの歌唱はなし。
その代わりと言ってはなんだが、聖子ちゃんが『赤いスイートピー』という楽曲を、どれほど大切にしているのかを垣間見れる映像となっている。
だからこそ、沙也加さんはあえて歌わなかったのだろう。
その気持ちが、今は切ない…
松田聖子×神田沙也加『赤いスイートピー』
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