最強失恋ソング決定戦
太田裕美『木綿のハンカチーフ』
『木綿のハンカチーフ』は太田裕美さんの楽曲で、自身4枚目のシングル。
1975年12月に発売されたヒット曲である。
太田最大のヒット曲にして代表曲であり、翌1976年末の「第27回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした際の披露曲となった。
はっぴいえんどから作詞家に転身した松本隆氏の出世作となった。
この曲の大ヒットにより、太田さんの楽曲は以降しばらく松本・筒美の黄金コンビが担当することとなった。
本曲はアルバム『心が風邪をひいた日』(1975年)のA面冒頭の曲として制作され、収録後「出来が良い」とレコード会社が気に入ってシングルカットが決まった。
シングル盤ではリカット・シングルとして新たに録音し直されている。
松本隆氏の要請によりアルバムバージョンとは歌詞を一部変更。
またアルバムバージョンでは萩田光雄氏が単独で編曲を担当したが、シングルバージョンでは筒美京平氏が若干アレンジを加えてストリングス系を中心にアレンジを変更している。
シングルバージョンにはマトリクス番号違い(SOLB-352A1、SOLB-352A2)の2つが存在し、ギターの音量などミックスが異なる。
歌詞は4番まであり、東京を想起させる都会に出た男性と、故郷に残された女性との遠距離恋愛が破れるまでを、男女の対話形式でストーリー仕立てにしている。
男性の旅立ちから始まる1番は広く知られているが、2番では男性が故郷に帰らなくなり、3番と4番では都会で浮かれた男性が女性を捨て、4番では女性が最後の贈り物に涙を拭く「木綿のハンカチーフ」を下さいと訴える内容となっている。
「第27回NHK紅白歌合戦」では1・3・4番を歌唱したが、紅白本番では当時は放送時間の制約で1曲3分以内が原則だったこともあり、原曲よりテンポを速めて演奏されていた。
太田さんの次作の『赤いハイヒール』などと共に、本曲は従来のアイドル歌謡とは一線を画す趣向を凝らしており、フォークソングと歌謡曲の橋渡しを行なったと位置づけられている。
松本氏にとっても職業作詞家への転換点となった作品だった。
松本隆先生の傑作詞
この楽曲が完成するまでには紆余曲折があったようだ。
当時の日本の歌謡曲では、1人の歌手が男性と女性の言葉を交互に切り替えて歌うという構成は例がなく、新しい日本語ポップスを創造しようという松本氏の試みとされた。
しかし松本氏の歌詞を見た筒美氏は「こんな詞じゃ曲を付けられないよ」と言い放った。
筒美氏は「詞が長過ぎる」と松本氏に対して歌詞を短くすることを望んだが、松本氏や担当ディレクター兼プロデューサーの白川隆三氏と連絡が取れず、筒美氏は仕方なくそのまま歌詞に合わせて曲を作った。
これについて松本氏は、筒美氏から「曲を付けるのは難しい」と連絡があることを予想していたため、締切当日まで連絡の取れない場所に雲隠れしていたという。
しかし実際に作曲に取りかかるとすんなりと進み、筒美氏は「いやー、いい曲が出来たよ」と喜色満面で提出したという。
太田さんによると、例えば「僕は旅立つ」というフレーズでファルセットになるあたりに、太田さんの歌唱法の良さを引き出そうとする筒美氏の工夫が見られるという。
松本氏は、2017年11月18日放送のTBS系「サワコの朝」への出演時に、当時のディレクターの白川隆三氏から「松本くんの歌はずっと東京で生まれ育った人の歌詞だから、地方の人にはうけない」と指摘されたことを踏まえ、白川氏をモデルとして歌詞を書いたと述べている。
NHK BSプレミアム「名盤ドキュメント」で2017年4月26日に放送された『太田裕美「心が風邪をひいた日」木綿のハンカチーフ誕生の秘密』によれば、松本氏は当時炭鉱町だった福岡県田川市出身の白川から聞いた「炭鉱の閉山もあって大阪や東京へ出て行く人が多かった」という話を参考にしたという。
なお、松本氏は東京都港区青山の出身であり、太田さんも東京生まれの埼玉育ちだったため、曲を受け取って歌詞に妙味を感じたものの何故ここまでヒットしたか当時は釈然とせず、後年に高校生の息子をニューヨークへ留学で送り出した時にようやく遠隔地に住む大事な人を気遣う主人公の気持ちが実感できたという。
また松本氏は、ヒットの最大の要因は「タイトルや歌詞にあえて『コットン』ではなく、当時でさえすでに死語となりつつあった『木綿』という古風な言葉を用いたことにあったのではないか」と語っている。
音楽評論家の平山雄一氏は「主人公の大人しく耐えて待つ田舎の女の子には、松本の理想の女性像が反映されているが、それを歌う太田は言いたいことをはっきり言うサバサバした性格で、そうしたキャラクターのギャップが太田の入れ込み過ぎない客観的な歌いぶりにつながり、リスナーに広く受け入れられやすくなった」と論じている。
なお、歌詞の内容と構成がボブ・ディランの1964年の楽曲『スペイン革のブーツ』に酷似しているとされ、伊藤強氏など当時の音楽評論家から「盗作だ」として批判されもしたらしいが、たとえそれが事実であったとしても、日本人にとって『木綿のハンカチーフ』が名曲であることには変わりないだろう。
昭和歌謡最強コンビ・松本隆×筒美京平の傑作
松本隆×筒美京平の昭和最強コンビが世に送り出した最高傑作だと、個人的には思っている。
今からおよそ半世紀も前の1970年代の楽曲だというのに、それほど歌詞に古臭さがないのが凄い。
もちろん昭和歌謡特有の言い回し等があるから、多少の違和感はあるのだが、そんなものは些事に過ぎない。
ストーリー仕立ての歌詞が、えもいわれぬ哀愁を誘う。
大人の事情で全詞を記載するわけにはいかないので、涙を誘う最後の一節のみ記載する。
恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に過す街角
ぼくは ぼくは帰れない
あなた 最後のわがまま
贈りものをねだるわ
ねえ 涙拭く木綿の
ハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい
こうして改めて一部抜粋してみると、やはり全詞通してこその『木綿のハンカチーフ』だと痛感せざるを得ないのだが、この一節だけみても松本隆先生の凄さを十分に感じることができる。
それは最後のワンフレーズ。
「ハンカチーフ下さい」を二度続けられたことにある。
ひと組のカップルが遠距離恋愛を経て別れるまでを描いた壮大な物語の終わりを、なんとシンプルな言葉で締めくくるのだろう。
凡人なら何かと小細工したがるものだが、勇気を持って小細工無しで締めくくる。
いや…松本隆先生が持っていたのは勇気ではなく確信だったのかもしれない。
だからこそ『木綿のハンカチーフ』は不朽の名作となった。
これからもきっと若いアーティストたちが歌い継いでいってくれるだろう。
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