【週刊少年ジャンプ】あんなに夢中になったジャンプ作品だけど、実は昔から特有のクセが苦手だったんだ…
『週刊少年ジャンプ』とは
略称は「ジャンプ」・「WJ」 。
1968年に『少年ジャンプ』として月2回刊誌として創刊し、翌1969年より週刊となり『週刊少年ジャンプ』に改名した。
また、2014年9月22日よりアプリケーションとして『少年ジャンプ+』を配信している。
1968年7月11日に『少年ジャンプ』の名称で同年の8月1日号として創刊。
創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売、1969年10月から週刊化された。
2003年5月までは毎週火曜日発売、2022年現在は毎週月曜日発売。
シンボルマークの海賊マーク(ジャンプパイレーツ)の名前は「ジャーニー」。
1994年12月末発売の1995年3・4号で653万部という日本国内における漫画雑誌の最高発行部数を記録した。
雑誌キーワードは「友情・努力・勝利」。
以前は全ての掲載作品のテーマにこの要素または繋がるものを最低1つ、必ず入れることが編集方針になっているとされていた。
この標語は同誌の前身とも言える月刊漫画雑誌『少年ブック』の編集方針から受け継いだものであり、元は小学校4年生・5年生を対象にしたアンケート(「一番心あたたまる言葉」「一番大切に思う言葉」「一番嬉しい言葉」)によって決められたものである。
しかし「少なくとも今はそんなテーマはないと思う」「少年マンガを作っていればそんなテーマは自然発生的に出てくる」という意見を持っていたり、「一度も標榜したことはない」「大事なのは、作品が面白いかどうか。そして、対象の読者に伝わるかどうかだけ」と断言する編集者もおり、現代では絶対的な要素ではない。
なお、雑誌の名称である「ジャンプ」は同社編集者で立ち上げに関わり、のちに『トイレット博士』に登場するスナミ先生のモデルにもなった角南攻氏が適当に命名したものであり、「ホップ・ステップ・ジャンプ」に掛けたものといわれる。
紙面を超えた活動にも積極的で、『週刊少年ジャンプ』関連のオリジナルグッズを販売する店舗(ジャンプショップ)やウェブコミック配信サイト(ジャンプデジタルマンガ・少年ジャンプ+)、テーマパーク(J-WORLD TOKYO)、テレビ番組(サキよみ ジャンBANG!・特捜警察ジャンポリス)などを擁している。
2014年9月以降は電子書籍版でも紙媒体と同日配信しており、『少年ジャンプ+』のアプリケーションをインストールすれば有料で購入することができる。
週刊少年ジャンプ50th Anniversary BEST ANIME MIX vol.1
栄枯盛衰
『週刊少年ジャンプ』の歴史
創刊時
1968年 - 1969年
1968年7月11日創刊。
創刊号の公称発行部数は10万5000部。
当初は男気がある劇画調の作品が盛んに登場していた。
「父の魂」「男の条件」「ハレンチ学園」「男一匹ガキ大将」(1968年 -)、「デロリンマン」(1969年 -)などが連載。
1970年代
1970年 - 1974年
1971年、公称発行部数が100万部を突破。
1973年8月に『週刊少年マガジン』を抜いて雑誌発行部数で首位。
「あらし!三匹」「ど根性ガエル」「トイレット博士」(1970年 -)、「侍ジャイアンツ」「荒野の少年イサム」「ライオンブックス」(1971年 -)、「アストロ球団」「マジンガーZ」(1972年 -)、「はだしのゲン」「包丁人味平」「プレイボール」「大ぼら一代」「女だらけ」(1973年 -)、「妖怪ハンター」(1974年 -)などが連載。
1975年 - 1979年
ギャグ漫画分野の強化に乗り出し、その結果「1・2のアッホ!!」(1975年 -)、「悪たれ巨人」「東大一直線」(1976年 -)、「すすめ!!パイレーツ」(1977年 -)、「キン肉マン」(1979年 -)などがヒットし、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(1976年 -)は連載が40年続くロングラン作品となった。
それ以外にも「サーキットの狼」「ドーベルマン刑事」(1975年 -)、「リングにかけろ」「朝太郎伝」「ホールインワン」(1977年 -)、「コブラ」「さわやか万太郎」(1978年 -)、「私立極道高校」「テニスボーイ」(1979年 -)などが連載。
1978年、公称発行部数が200万部を突破。
1980年代
1980年 - 1983年
1980年、公称発行部数が300万部を突破。
「北斗の拳」(1983年 -)による格闘アクション路線が発行部数を急激に伸ばし、他にも「山崎銀次郎」「激!!極虎一家」(1980年 -)、「キャプテン翼」「ブラック・エンジェルズ」(1981年 -)、「風魔の小次郎」「よろしくメカドック」(1982年 -)、「シェイプアップ乱」「天地を喰らう」「銀牙 -流れ星 銀-」(1983年 -)などが連載。
一方で「Dr.スランプ」「3年奇面組」(1980年 -)、「ストップ!! ひばりくん!」「キャッツ♡アイ」(1981年 -)、「ウイングマン」(1983年 -)など、少女や女性キャラクターに重きを置いて人気を博した作品が多く登場した。
1984年 - 1986年
1984年1・2号より、創刊以来使用されていた誌名ロゴを角ばった形に一新する。
この時期から漫画雑誌としての側面が強化され、アイドル・スポーツ選手などのグラビアは掲載されなくなり、1983年に発売されて読者層に注目されたファミリーコンピュータのゲームソフト紹介コーナーが「ファミコン神拳」を皮切りとして登場した。
ゲーム紹介コーナーはゲーム機の主役が変わった現在でも続いている。
1984年12月の年末最終号(1985年3・4合併号)で公称発行部数が400万部を突破。
「ドラゴンボール」「きまぐれオレンジ☆ロード」「男坂」(1984年 -)、「魁!!男塾」「ついでにとんちんかん」「シティーハンター」(1985年 -)、「聖闘士星矢」「県立海空高校野球部員山下たろーくん」(1986年 -)などが連載。
1987年 - 1989年
1988年2月23日発売の1988年13号で創刊号から1000号を達成し、この年に創刊20周年を迎える。
さらには1988年12月の年末最終号(1989年3・4合併号)で公称発行部数が500万部を突破。
「ジョジョの奇妙な冒険」「燃える!お兄さん」「ゴッドサイダー」「THE MOMOTAROH」(1987年 -)、「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」「ろくでなしBLUES」「ジャングルの王者ターちゃん」「神様はサウスポー」「まじかる☆タルるートくん」「ボクはしたたか君」(1988年 -)、「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」「電影少女」(1989年 -)などが連載。
1990年代
1990年 - 1993年
「花の慶次」「SLAM DUNK」「珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-」「幽☆遊☆白書」(1990年 -)、「アウターゾーン」「ペナントレース やまだたいちの奇蹟」(1991年 -)、「モンモンモン」「ボンボン坂高校演劇部」「BØY」「究極!!変態仮面」(1992年 -)、「地獄先生ぬ〜べ〜」「NINKU -忍空-」「とっても!ラッキーマン」「D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜」(1993年 -)などが連載。
1990年から1992年までF1チーム「マクラーレン」のスポンサーになり、巻頭のカラーページに特集記事が組まれる。
同時にF1を題材とした作品が数点掲載された。
1993年31号で創刊25周年を迎える。
記念イベントとしてこの年の夏休みに、創刊以来最大規模となるイベント「週刊少年ジャンプ創刊25周年特別企画 ジャンプマルチワールド」を東京後楽園で開催。
19日間の開催期間で約16万人を動員した。
公称発行部数は1991年3・4号で602万部を突破。
週刊誌が全国紙の発行部数を抜いたとして一般メディアも報道する。
1994年 - 1996年
「王様はロバ〜はったり帝国の逆襲〜」「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」「みどりのマキバオー」(1994年 -)、「陣内流柔術武闘伝 真島クンすっとばす!!」「レベルE」「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」(1995年 -)、「WILD HALF」「幕張」「封神演義」「遊☆戯☆王」(1996年 -)などが連載。
1994年12月の1995年3・4号で653万部の歴代最高部数を達成するが、その後1995年25号で「ドラゴンボール」、1996年27号で「SLAM DUNK」と、看板作品が立て続けに終了し、公称発行部数が減少に転ずる。
この時期は長年行われていなかったアイドルグラビアの掲載と「愛読者賞」の復活があった。
1996年52号で、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が本誌初の連載1000回に到達した。
1997年 - 1999年
発行部数がこれまでの公称から印刷証明付部数(実際に発行した証明のある部数)に切り替わる。
その結果、1997年48号で『週刊少年マガジン』に発行部数を抜かれる。
「花さか天使テンテンくん」「I"s」「世紀末リーダー伝たけし!」「ONE PIECE」「明稜帝 梧桐勢十郎」(1997年 -)、「ROOKIES」「ホイッスル!」「HUNTER×HUNTER」「シャーマンキング」「ライジングインパクト」(1998年 -)、「ヒカルの碁」「テニスの王子様」「NARUTO -ナルト-」(1999年 -)などが連載。
部数の降下傾向は続くものの、『週刊少年マガジン』についで2位は維持。
また1998年からは14年間使用した誌名ロゴの変更、経済面を考慮し表紙のギミックを廃止するなどの試行錯誤が続いた。
2000年代
2000年 - 2004年
「BLACK CAT」「ピューと吹く!ジャガー」(2000年 -)、「ボボボーボ・ボーボボ」「Mr.FULLSWING」「BLEACH」(2001年 -)、「いちご100%」「アイシールド21」(2002年 -)、「武装錬金」「DEATH NOTE」(2003年 -)、「銀魂」「家庭教師ヒットマンREBORN!」「D.Gray-man」「ムヒョとロージーの魔法律相談事務所」(2004年 -)などが連載。
1998年(平成10年)から開設した公式サイト「POP WEB JUMP」が拡張を続け「デジタルマンガ部門」が新設、サイト上で漫画を連載させるなど新しい試みが行われたほか、2000年からジャンプフェスタが毎年開催され、イベント限定グッズの販売や連載作家を招待するなどして盛況を続けている。
漫画業界全体の発行部数が落ち込む中、2002年(平成14年)8月に『週刊少年マガジン』を抜いて再び漫画誌の発行部数1位となる。
「ドラゴンボール」終了後から減少した実売率も、94~95%に回復した。
2005年 - 2009年
「魔人探偵脳噛ネウロ」「べしゃり暮らし」(2005年 -)、「To LOVEる -とらぶる-」「エム×ゼロ」「P2! - let's Play Pingpong! -」(2006年 -)、「サムライうさぎ」「ぼくとわたしの勇者学」「SKET DANCE」「初恋限定。」「PSYREN -サイレン-」(2007年 -)、「ぬらりひょんの孫」「トリコ」「バクマン。」「いぬまるだしっ」「黒子のバスケ」(2008年 -)、「べるぜバブ」「めだかボックス」「保健室の死神」(2009年 -)などが連載。
2008年の34号で創刊40周年を迎え、同年48号にて創刊号から通算2000号を達成。
連載作品の単行本売り上げは好調に推移している一方、グロテスクな表現、生命倫理に反するとして日本PTA全国協議会によるメディアランキング雑誌部門で『少女コミック』を抜き、ワースト1位にランキングされた。
誌面を越えた活動の一環として2009年4月3日から、テレビ東京系列毎週金曜日18:00〜18:30に『週刊少年ジャンプ』・『ジャンプスクエア』・『Vジャンプ』共同のジャンプ専門情報番組『サキよみ ジャンBANG!』を放送した(2014年3月28日に放送終了)。
2010年代
2010年 - 2014年
「クロガネ」「ニセコイ」(2011年 -)、「ハイキュー!!」「斉木楠雄のΨ難」「暗殺教室」「食戟のソーマ」(2012年 -)、「ワールドトリガー」「SOUL CATCHER(S)」「磯部磯兵衛物語~浮世はつらいよ~」(2013年 -)、「火ノ丸相撲」「僕のヒーローアカデミア」(2014年 -)などが連載。
2010年の2号で印刷証明付発行部数が300万部に復帰。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で17号が臨時休刊(発売延期)。
この出来事(※)が発行と連載作品の発表方法に大きな影響を与えたと同時に、週刊少年ジャンプの根強い人気を世に見せた。
2013年、創刊45周年を記念してテーマパーク「J-WORLD TOKYO」(東京サンシャインシティ)を開園。
2013年33号(創刊45周年記念号)では史上初めてデジタル版が発売同日に電子書籍で有料配信された。
2014年9月22日、マンガ雑誌アプリ『少年ジャンプ+』を創刊。
これ以降、発売当日に電子版が有料配信されるようになる。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で印刷工場が被災し、3月14日発売の15号が被災地を中心に大幅な遅れや未配送となったため、緊急措置として3月23日から4月27日までYahoo! JAPAN特設サイトで本誌漫画部分が無料配信された。
3月28日発売の17号も地震による資材と輸送燃料の不足の影響を受けて、発売延期となり4月4日に発売された。
この延期のため2011年の少年ジャンプは51号までの発行となり、通年週刊化された1970年以降で唯一52号が刊行されない年となった。
物流が混乱している最中、被災地で新刊が入荷未定ながら3月14日に再開した宮城県仙台市青葉区五橋の書店に、山形県まで買出しに行った男性客から3月21日に16号が寄付された。
その後、募金箱と共に「少年ジャンプ3/19発売16号 読めます!! 一冊だけあります」との貼り紙を出したところ、停電や未配送により最新刊を読むことが出来ない多数の少年たちが募金して回し読みをした。
この出来事が報道されると全国から漫画雑誌約30冊が届き、4月10日の配本再開まで募金と回し読みがされた。
この事を知った集英社は、5月に回し読みされた16号を引き取り、額装して編集部に保管した。
少年たちの募金約4万円は仙台市教育委員会に贈られ、回し読みされた16号は「あの少年ジャンプ」として、2012年4月22日、第16回手塚治虫文化賞で特別賞を受賞した。
2015年 - 2019年
「鬼滅の刃」(2016年 -)がテレビアニメ化された後に各メディアで取り扱われるなど高い人気を獲得、社会現象と呼ばれるほどのヒットになる。
他にも、「ブラッククローバー」「背すじをピン!と〜鹿高競技ダンス部へようこそ〜」「左門くんはサモナー」(2015年 -)、「ゆらぎ荘の幽奈さん」「BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-」「約束のネバーランド」「青春兵器ナンバーワン」(2016年 -)、「ぼくたちは勉強ができない」「Dr.STONE」「トマトイプーのリコピン」(2017年 -)、「アクタージュ act-age」「呪術廻戦」「思春期ルネサンス!ダビデ君」「ジモトがジャパン」(2018年 -)、「チェンソーマン」「夜桜さんちの大作戦」「ミタマセキュ霊ティ」(2019年 -)などが連載。
2016年、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が40年に渡る長期連載に幕を閉じた。
少年漫画雑誌最長の連載記録であり、マスメディアにも大きく取り上げられ、最終話が掲載された42号は5日も経たず完売状態となり、12月31日に創刊以来初の重版が発売された。
2017年、創刊50周年を記念した「週刊少年ジャンプ展」が、翌2018年に跨り全3回に分けて六本木ヒルズで開催された他、『復刻版 週刊少年ジャンプ』が発売された。
一方で、1~3月の印刷部数(電子版含まず)が1978年に突破して以来、維持していた200万部を割った。
2018年7月に発生した平成30年7月豪雨の影響により、7月9日発売分の32号の配送が被災地を中心に大幅な遅延、未配達という事態が発生した。
そのため、インターネット上で同号の無料配信が7月17日から31日にかけて実施された。
2019年4月8日から6月10日の期間限定で、本誌と『週刊少年マガジン』の連載作品約150タイトルを無料で読むことができるウェブサイト『ジャンマガ学園』を立ち上げた。
『少年ジャンプ+』と『マガジンポケット』との、史上初めての共同企画だった。
2020年代
2020年 -
「AGRAVITY BOYS」「アンデッドアンラック」「マッシュル -MASHLE-」「森林王者モリキング」「あやかしトライアングル」「破壊神マグちゃん」「灼熱のニライカナイ」「僕とロボコ」「BURN THE WITCH」「仄見える少年」「高校生家族」「SAKAMOTO DAYS」(2020年 -)、「逃げ上手の若君」「ウィッチウォッチ」「アオのハコ」「PPPPPP」(2021年 -)、「あかね噺」「すごいスマホ」(2022年 -)などが連載。
2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大防止措置とし、全国の公立小中学校を臨時休校とする要請が公立小中学校に渡されたため、2020年1~13号までのインターネット上での無料配信を同月31日まで実施することを発表した。
2020年4月8日、編集部に勤務する40代社員に新型コロナウイルス感染の疑いがあることを公表。
これに伴い4月20日発売予定の21号を翌週の27日に21・22号合併号として発売することを発表した。
2020年5月11日、作家へのコロナ対策の影響により連載漫画の休載が増えることを明かした。
2020年5月15日、集英社の『週刊少年ジャンプ』『ジャンプSQ.』マンガ誌アプリ『少年ジャンプ+』の編集部は漫画家、漫画家志望者を対象とした漫画制作の講座「週刊少年ジャンプ・ジャンプSQ.・少年ジャンプ+ present ジャンプの漫画学校」を合同で創設することを発表。
2021年13号から短編読み切り枠『ジャンプ・ショート・フロンティア』がスタート。
2022年7月、『週刊少年ジャンプ』と『週刊少年サンデー』 の共同企画として、『ONEPIECE』の尾田栄一郎先生と『名探偵コナン』の青山剛昌先生のスペシャル対談が行われた。
作品を振り返って改めて思い知らされた
我が青春時代はジャンプと共にあり
こうして改めてジャンプの歴史を振り返ってみると、ジャンプの凄さを思い知らされる。
特に1980年〜2000年にかけて連載されていた作品は、どれも不朽の名作といって差し支えのない作品ばかりだ。
『ウイングマン』なんて、超懐かしいんですけどww
この歴史をみてもわかる通り、ジャンプ人気は長期連載の有名作品ばかりが支えていたわけではない。
昔のジャンプには意欲作が溢れていた。
ジャンプ連載作品からみえる多様性
こうして改めて振り返ってみると、昔のジャンプ作品には多様性があったような気がする。
それだけオリジナリティに溢れていた。
例えば、ジャンプではお馴染みの「バトル系」漫画である『北斗の拳』と『聖闘士星矢』。
同じ「バトル系」でありながら、この二作品にはそれぞれの独創性があった。
似た要素はあっても、似た作品ではなかった。
個性と多様性に溢れていた。
今こそ必要な多様性ではあるが、時代が進むにつれ既視感は増すばかりである。
情報化社会が進む現代で、オリジナリティを求めるのは難しいことなのだろうか。
偉大なる「ドラゴンボール」の存在
ジャンプの歴史を辿るなかで改めて思い知らされたのが、「ドラゴンボール」の存在の大きさである。
覚えている方も多いだろうが、「ドラゴンボール」は悟空が大きくなってから初めての天下一武道会で、一度は終わりかけている。
天下一武道会編の話末で、亀仙人が「これで終わりじゃないぞい。もうちょっとだけ続くぞい」(たしかこんな感じ)としっかり明言しているのだ。
まぁ「もうちょっと」という言葉の解釈は、人それぞれではあるのだが…。
結論からいってしまえば、この時の「もうちょっと」の方が、"それまで" よりも圧倒的に長かった。
鳥山明先生は終わらせたかったようだが、集英社が許さなかったようだ。
何せ、集英社のドル箱である。
そう簡単には終わらせてくれないだろう。
だが「ドラゴンボール」をあそこで終わらせなかったことで、ジャンプ人気は最高潮を迎えることになる。
この時のジャンプはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
これはあくまで体感であるが、この時のジャンプ人気が史上最高潮だったように思う。
月曜日にジャンプを学校に持っていきたらヒーロー扱い。
「ドラゴンボール」の最新話を、こぞって食い入るように読み込んでいた。
だが何ごともやりすぎは良くないのだろう。
セル編までは何とかついて行こうとする読者もいただろうが、ブウ編ともなるともう何が何やら…。
それでも「ドラゴンボール」がジャンプ人気を支えていたことは、「ドラゴンボール」終了後に減少した実売率が如実に物語っている。
やはり偉大なるは「ドラゴンボール」。
名作ひしめくジャンプ作品の中でも、群を抜いた存在なのである。
「ドラゴンボール」を継ぐもの
その名は「ONE PIECE」
「ドラゴンボール」の連載終了から集英社を救ったのが「ONE PIECE」である。
まさかあの「ONE PIECE」が、これほどの長期連載になるとは夢にも思わなかった。
序盤の「ONE PIECE」といえば、突然意味不明なことばかりを言い出す主人公(ルフィ)に困惑させられてばかり。
会話が繋がっていない、支離滅裂な作品という印象が強かった。
それが尾田栄一郎先生の壮大な伏線だと気づくまでは…。
それからは「ONE PIECE」の独壇場。
「ドラゴンボール」最盛期を思い出すような獅子奮迅の活躍をみせている。
「ONE PIECE」は「ドラゴンボール」無きジャンプ人気を、見事に支えてみせた作品なのだ。
あんなに読んでたジャンプなのに…
実は昔から苦手だったジャンプ作品のクセ
少年時代、あれほど夢中になっていた『週刊少年ジャンプ』。
ジャンプの発売日には学校でまわし読みしていた。
それがいつの頃からか一切読まなくなってしまった。
個人的に好きな作品、特に「ジョジョの奇妙な冒険」と「ONE PIECE」と「こち亀」は単行本でフォロー。
何故か?
それは著者自身がジャンプ作品のクセに耐えられなくなったことが考えられる。
苦手①
何より苦手なのが、クセの強すぎるキャラの風貌だ。
髪型や服装や、それらの配色である。
モブキャラとは明らかに違う髪型。
主人公がひとりだけあまりに特殊すぎる。
そもそも髪の色が特殊なのも、気持ち悪い。
また服装の配色も相当苦手。
特に学園モノは酷い。
何故制服の色をキャラによって変えるのか?
戦隊ヒーローでもあるまいに。
それでも違う学校に通っているというのなら、辻褄は合う。
だが同じ学校で制服の色が違うのは、何とも気持ち悪い。
一時期のジャンプ作品には、色がつくと必ずこんなクセが付き纏っていた。
しかし各キャラを認識し識別するために、有効な表現法であることは明白。
ジャンプ読者のターゲット層を考えれば、こうなるのも致し方ないのか…。
苦手②
まずジャンプ作品の主人公、もしくは主要キャラの特有の口癖が年を重ねるにつれ聞くに耐えなくなった。
主要キャラの口癖は、子供が真似しやすい上に流行になりやすい。
販促という点において、おおいに理解できる手法である。
理屈はわかる。
だが年を重ねるとあまりに狙いすぎていて気持ちが悪い。
だって身近にそんな喋り方をする人間なんていないのだから…。
違和感が半端ない。
いいや、違和感しかない。
わかりやすい例を挙げるなら…「だってばよ」(岸本斉史先生、ごめんなさい)とか?
ちなみに「だってばよ」が口癖の主人公が登場する作品は、もちろんほとんど観た記憶がない。
苦手③
③に関してはジャンプ作品に限ったことではないのだが、少年誌漫画の主人公があまりに格好良すぎるのが苦手だ。
特に大人びた口調で、出来る大人以上の危機対応能力をみせる主人公。
まったくリアリティを感じない。
そもそも危機対応能力とは、経験値がものを言う。
この主人公が、いったいどれだけの修羅場を経験してきたというのか…。
そんな気になってしまえば、興醒めもいいところだ。
「鬼滅の刃」「呪術廻戦」からみえた少年漫画の希望
特に最近注目されたジャンプ作品といえば「鬼滅の刃」と「呪術廻戦」である。
この二作品からは著者が苦手な少年漫画特有のクセをあまり感じない。
「鬼滅の刃」の羽織の色の違いは内容を考えれば瑣末なことで、まったくの許容範囲である。
何より、炭治郎の髪の色が普通なことには好感が持てる。
「呪術廻戦」も同様である。
容姿が突飛な子供じみたキャラはパンダ先輩以外に登場しないし、パンダ先輩は何故か全然許せる愛すべきキャラである。
この二作品が少年漫画の悪習ともいえる、戦隊ヒーロー化を防いでくれた希望の光である。
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