伝説のバスケットボール漫画
SLAM DUNK
- SLAM DUNK
『SLAM DUNK』とは
『SLAM DUNK』(スラムダンク)は、バスケットボールを題材にした井上雄彦先生による漫画作品。
「週刊少年ジャンプ」にて、1990年(42号)から1996年(27号)にかけて全276話にわたり連載され、アニメやゲームも制作された。
主人公の不良少年桜木花道の挑戦と成長を軸にしたバスケットボール漫画。
単行本第21 - 23巻の初版発行部数250万部は、当時としての最高記録である。
2013年2月時点でシリーズ累計発行部数は1億2029万部を突破している。
本作品の舞台は神奈川県の主に湘南地区であるが、登場する高校などは基本的に架空の名称が使われている。
作中の年代は翔陽戦翌日の新聞記事から原作では1992年、アニメでは1994年の3月 - 8月ごろとなっているが、現実の暦と日付と曜日が一致していない。
連載終了後の2001年、バスケットボールは大幅に公式ルールの改正が行われたため、作中のゲームは現在とは異なるルールに基づく。
また、連載中の1995年にも小幅な改正が行われたが、作中では最後まで1994年以前のルールが使用されている。
第40回平成6年度(1994年)小学館漫画賞少年部門受賞。
2006年に文化庁が実施した文化庁メディア芸術祭「日本のメディア芸術100選」にてマンガ部門で1位を獲得。
「ダ・ヴィンチ」調べによる漫画家、評論家、書店員、読者の総勢808人が選んだ漫画史50年の中のコミックランキングで第1位に選出された。
ジャンプ歴代最高部数653万部を達成した1995年3 - 4号で巻頭オールカラーを飾り、最終回となる1996年27号では表紙と巻頭カラーの両方を飾った。
なお、ジャンプ史上において最終回の掲載された号での表紙を単独で飾った史上初の作品であり、本作品以外では2016年9月に完結した『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の2作のみである。
2001年に発売された完全版コミックスは、集英社における一連の名作の完全版コミックス化の先駆けとなった。
2006年に井上氏が創設したスラムダンク奨学金は、本作品の印税の一部が原資として充てられている。
SLAM DUNK 完全版 24 (ジャンプ・コミックスデラックス)
SLAM DUNK(スラムダンク) コミック 全31巻完結セット (ジャンプ・コミックス)
連載終了とその後
本作品は連載が唐突に終了した。
物語がインターハイのトーナメント戦の途中にあり、後の対戦相手かのように登場した名朋工業高校、愛和学院高校、大栄学園高校らとの試合は描かれないままの終了であった。
連載について井上氏は本誌のあとがきで「続きはやりたい」とコメントを残している。
本誌上では最終ページに「第一部完」と書かれており、ジャンプ・コミックスの紹介でも既刊扱いとされている。
なお、単行本の最終回最終ページでは、本誌とは異なり「第一部完」の言葉がなく、最後に作者のあとがきが載せられている。
また、「ジャンプ」連載版とコミックスでは最終話の台詞が若干異なっている。
井上氏は連載終了について、
- 「インターハイの組み合わせを作った時点で山王戦が最後と決めていた」
- 「トーナメント表を出したからには決勝まで行くっていう決まった道はもう進みたくない」
- 「前の試合よりもつまんない試合は絶対描きたくない」
- 「山王戦より面白い試合は描けないと思っていた」
- 「テンション高いところで終わらないと、作品にとって不幸になっていく」
と、語ったらしい。
続編については「あるかもしれない」という含みのある発言をし、自身の公式サイトでは「描きたくなった時に描く」と言っている。
資生堂「Aleph」のCMにおいて、本作品の登場人物が使用されて話題を呼んだ。
このCMの中には宮城の背番号が4になっていたり、流川のバッシュがジョーダン5からジョーダン12になっていたり、花道の髪が若干長くなってプレイしているなど、最終回以降の描写がなされている。
2004年7月にジャンプ・コミックス版単行本日本国内発行部数が1億部を突破。
それを記念して、同年8月11日には全国紙6紙朝刊紙上にて、作者の井上氏が一面広告で湘北メンバー6人それぞれの描き下ろしイラストを掲載。
2004年12月には統合により現在は使われていない当時の神奈川県立三崎高等学校校舎において「1億冊ありがとうファイナル」を開催。
各教室の黒板に漫画『スラムダンク-あれから十日後』を描いた。
井上氏の公式サイトのみでしか告知されなかったにもかかわらず、3日間で5000人を超えるファンが訪れた。
現段階で唯一の正統な続編作品となっている。
2006年9月に発売された『超こち亀』の中で、作者が1Pの作品を寄稿しており、その中で主人公の桜木花道を含めた桜木軍団たちが、両津勘吉と一緒に歩いている絵が描かれている。
2007年7月に「週刊少年チャンピオン」で「水島新司先生画業五十周年記念号」に1Pの作品を寄稿しており、桜木花道がピッチャー・殿馬一人がバッターの絵が描かれている。
2009年4月に、『スラムダンク-あれから10日後』完全版が発売。
2018年に、単行本の別バージョンとなる「新装再編版」が6月1日から4か月連続で刊行された。
アニメ『SLAM DUNK』
テレビ朝日系列にて1993年10月16日 - 1996年3月23日に放映。
全101話+SP版2話。
製作は東映動画。
基本的には原作に沿った流れになっており、インターハイに出場決定して試合会場に出発するところまでがアニメ化された。
前述のとおり、原作におおむね準じてはいるが、桜木軍団の活躍をクローズアップした回、花道と晴子が夏休みに縁日に行くという回、インターハイ出場を控えた湘北メンバーが、陵南と翔陽の混成チームと対戦する回など、アニメオリジナルストーリーも少数挟まれた。
第21話と第22話の間に放送されたSP1は、第21話までの内容をダイジェストで約45分にまとめ、木暮、晴子、彦一らが回想するという内容であったが、本放送以降はほとんど再放送されておらず、DVDにも収録されていない。
また、第61話と第62話の間に放送されたSP2は、本放送以降は1度も再放送されておらず、こちらもDVDに収録されていない。
2003年に、スポーツウェアメーカー・デサント製による登場人物の桜木花道、流川楓、赤木剛憲、三井寿、宮城リョータと同じコスチュームが付属する限定版DVD-BOXが発売され、後に単巻発売された。
また、2008年にも登場人物の花道、牧紳一、仙道彰と同じコスチュームが付属する限定版DVD-BOXが発売され、湘北高校、海南大付属高校、陵南高校の選手のコスチュームも期間限定で特注販売された。
2013年にはテレビアニメ化20周年記念プロジェクトにより、様々な企画が大々的に行われた。
その第1弾として、キッズステーションでテレビシリーズのHDマスター版の放送が行われた。
2014年には、GYAO!でテレビシリーズの無料配信が行われ、ニコニコ動画でも、同年8月9日から16日まで「ニコニコ生放送」でテレビシリーズの無料配信を行ったほか、テレビシリーズや劇場版のBlu-rayソフトも発売された。
8月13日には20周年記念プロジェクトのファイナル企画として「Blu-ray Collection発売記念SLAM DUNKファンミーティング」が行われ、花道役の草尾毅、流川役の緑川光、三井役の置鮎龍太郎が生出演。
ニコニコ動画がその模様を生中継した。
また、オープニングアニメーションに登場する鎌倉高校前駅付近の踏切が台湾からの観光客の人気スポットとなっていることが報じられた。
あらすじ
神奈川県立湘北高校に入学した赤い髪の不良少年である桜木花道は中学時代に50人の女性から振られ続けた上、最後に振られた女性が「バスケ部の小田君」に好意を持っていたため、バスケットボールが大嫌いになっていた。
しかし、廊下で自身に声をかけてきた赤木晴子に自身の長身と筋肉、身体能力の高さを見出された花道は彼女にバスケット部への入部を薦められる。
花道は晴子に一目惚れし、バスケットボールは全くの初心者であるにもかかわらず、晴子目当てに入部。
その後、地道な練習や試合を通じて、徐々にバスケットの面白さに目覚め、その才能の芽を急速に開花させる。
湘北バスケ部には監督である安西光義の許、晴子の兄でもある主将の赤木剛憲と副主将の木暮公延らに加え、スーパールーキーと称される流川楓も加入。
前年度のインターハイ県予選ベスト4である陵南高校との練習試合後には入院していた宮城リョータと元バスケ部の三井寿も復帰した。
夏のインターハイ制覇を目指す湘北は初戦で前年度のインターハイ県予選ベスト8である三浦台高校を破り、その後も予選を順調に勝ち進み、インターハイ常連校の翔陽高校に勝利したことで決勝リーグに進出。
決勝リーグの初戦で前年度までに過去16年連続インターハイ出場を果たしている王者・海南大附属高校と激戦を繰り広げるも敗北。
2戦目で前年度のインターハイ県予選ベスト4である武里高校に勝利。
3戦目では宿敵の陵南を破り準優勝。
海南と共にインターハイ出場を果たす。
広島県で行われるインターハイのトーナメント1回戦で湘北は大阪府代表校の豊玉高校と対戦して勝利。
2回戦では前年度までのインターハイで3連覇を果たした秋田県代表校の山王工業高校と対戦する。
一時は20点以上の差をつけられるが驚異的な粘りで反撃。
花道は負傷した背中の痛みに耐えながらプレーを続け、試合終了間際のジャンプシュートによる決勝点で湘北を逆転勝利に導く。
しかし、全てを出し切った湘北は続く3回戦で愛知県代表校の愛和学院高校との対戦でウソのようにボロ負けした。
インターハイ後、3年生は赤木と木暮が引退し、三井のみ残留。
新キャプテンにリョータが就任し、晴子を新たにマネージャーとして迎えるなど、チームは冬の選抜に向けて、新体制となる。
流川は全日本ジュニアの代表に選ばれ、花道はリハビリを続けながら再びコートに立てる時を待つ。
『SLAM DUNK』が後世に与えた多大な影響
本作が少年誌におけるスポーツ漫画界に与えた影響はとてつもなく大きい。
連載が終了して20年以上経過している現在でもなお(続編や外伝などがほぼ一切だされていないにも関わらず)衰えることが全くない人気を誇り、国内の累計発行部数はジャンプ漫画史上でもトップ5に入る記録である。
それゆえに少年誌で(特にバスケットボールを題材とした)スポーツ漫画を描こうものなら、ほぼ確実に本作と比較対象にされてしまう宿命を背負うことになる。
もちろんそれぞれ作者によって違った個性があり、違った良さがあるのだが、本作の存在があまりにも大きすぎるため、大衆から評価される作品にするのは大変難しくなっているとされる。
実は本作以前はそもそもバスケットボールの認知度そのものが低く、それもあってか漫画業界では「バスケットボール漫画は成功しない」とみなされていたのだが、それを見事に覆したのがこの『スラムダンク』であった。
作者の井上氏はバスケ漫画を描きたいという思いはずっと温めており、自分が描くまでは誰も描かないで欲しいと神に祈っていたらしい。
なお、バスケが漫画として最初に取り上げられたのは六田登先生の『ダッシュ勝平』でアニメ化も果たしたものの、これは少年漫画的なコメディ作品であり、しかも後半にはバスケをやめて別のスポーツをやっている。
一番古いバスケ漫画は八神ひろき先生の『DEAR BOYS』であるが、こちらも初期はバスケを題材とした純愛ストーリーで、バスケ漫画化していったのは同作の影響もあった。
そんなわけで、本格的なバスケ漫画は同作が初といわれている。
ただ、井上氏は100%売れるという確信は持っていなかったため、もしバスケ路線で失敗したらヤンキー路線で行くつもりだったと発言している(桜木軍団のキャラが立っているのはそのため)。
しかし、蓋を開けてみれば少年漫画どころか青年漫画にまで多大なる影響を与えたスポーツ漫画のマイルストーン的作品となり、本作以降、本格スポーツ漫画が増え続けることになった。
また、同作連載中は他紙連載中のスポーツ漫画(特に競合他社)にまで影響を与えていくことになり、青春路線重視だった週刊少年「サンデー」では桜木花道のアンサーキャラみたいな人物が多数登場している(『健太やります!』の緒方明、『帯をギュッとね!』の仲安昌邦など)。
「少年ジャンプ」を例にとっても『アイシールド21』『火ノ丸相撲』、「ジャンプ」以外では『はねバド!』などが、それぞれの作者が『スラムダンク』に大きく影響を受けたと発言している。
また『宇宙兄弟』の小山宙哉先生、『ゴールデンカムイ』の野田サトル先生なども同作のファンと公言しているなど、そのジャンルはスポーツ漫画の枠を超えている(二人ともデビュー作はスポーツ漫画)。
では、この作品の何が凄かったのかというと、ポイントゲッター(流川・仙道・沢北など)やゲームメイカー(宮城・牧・藤真など)が目立つスポーツ漫画において、漫画映え・読者ウケさせるのが難しいリバウンダー(桜木)を主人公とし、地味なリバウンド描写を奇跡的に格好よく描き上げ、リバウンダーの重要性を物語に上手に組み込んで、他のスポーツ漫画の華やかなポジションの主人公達に全く見劣りしない、少年誌を代表するにふさわしい主人公に築き上げたところである。
また同じジャンプ系スポーツ漫画でも、『リングにかけろ』や『キャプテン翼』、後年の『テニスの王子様』等における、所謂「必殺技」といった派手で少年誌映えする超人的な技が存在せず、あくまで実際にプレイ出来る技の範疇に収まっている事も(当時のジャンプ作品としては)異色さに拍車をかけている(ただし、高校生ではかなり難しい、本場NBA選手でしか出来ないような技を使ったり、一流のプロ選手にも匹敵する体格や身体能力を持つ者は何人かいる。井上氏もそれは自覚しており、同氏原作の『リアル』では子供が野宮に「ダンクして?」という問い掛けに対して「できねえよ!」と即答している)。
このスラムダンクでの登場人物達の活躍に憧れてバスケットボールの道に入った当時の小中学生達は多かった。
日本のみならず、中国、台湾、韓国でも圧倒的な人気を誇る。
ただ、バスケの本場アメリカではそこまでの人気にはならず、むしろアメフトをテーマに扱った『アイシールド21』などの方が人気は高かった。
『SLAM DUNK』が巻き起こした空前のバスケブーム
神様マイケル・ジョーダンの登場と時を同じくして連載開始
どんなにバスケットボールに興味がなくても、マイケル・ジョーダンの名前くらいは聞いたことがあるだろう。
MJの愛称で知られるジョーダンはNBA公式サイトでは「史上最高のバスケットボール選手」と述べられるとともに、人間離れした動きや実績からバスケットボールの神様とも評される。
1980年代と1990年代にNBAを世界的ブームを牽引した最重要人物であり、バスケットボールのみならず、スポーツというカテゴリにおいて世界的な文化の象徴となった。
スラムダンクコンテストでフリースローラインからのダンクを披露するなど、その跳躍力から「Air Jordan」や「His Airness」という愛称で呼ばれるようになった。
この神様・ジョーダンの登場と時をほぼ同じくして、『SLAM DUNK』の連載は始まっている。
そしてジョーダンの活躍と共に『SLAM DUNK』人気も高まっていった。
主人公・桜木花道が初めてダンクするシーンでは、ジョーダンと同じくフリースローラインから跳んでいたし、花道が属する湘北高校バスケットボール部のイメージカラーはジョーダンの黄金期の象徴であるブルズカラーである。
このように書くとジョーダン人気に『SLAM DUNK』があやかったと思われるだろうが、まったくの逆だ。
『SLAM DUNK』がジョーダンの人気を爆発的に押し上げたのだ。
ただしこれは日本限定でのこと。
古今東西、バスケ好きにジョーダンを知らない者はいない。
それが日本では『SLAM DUNK』の登場まで、ほとんどメディアで取り上げられたことがない。
それほど当時の日本のバスケ人気は乏しかった。
『SLAM DUNK』で多くの人がバスケに興味を持ち、それがそのまま当時のNBAのスター選手だったジョーダンの人気へと繋がっていった。
だから本場アメリカでこんなバカなこと(『SLAM DUNK』→ジョーダン人気)を言おうものなら、鼻で笑われるか本気で怒られるだろう。
桜木花道のモデルはデニス・ロッドマン?
神様・ジョーダン率いたシカゴ・ブルズには、リバウンドに特化したリバウンダーと呼ばれる特殊な選手が存在していた。
その名はデニス・ロッドマン。
1980年代から90年代にかけて、NBAに於いて当時を代表する優れたディフェンダーであり、歴代でも屈指のリバウンダーであった (1992-1998で7年連続NBAリバウンド王)。
ロッドマンのディフェンスに対する考え方は、NBAに多大な影響を与えた。
髪を染める、全身にタトゥーを入れる、女装癖を隠さないなど、奔放なライフスタイルも話題を集め、コート内外で起こす様々な騒動も注目された。
髪を染めている点や、コート内外の問題児ぶりは花道そのもの。
オフェンスが苦手なところもそっくりだ。
おまけにロッドマン同様花道も、自称・リバウンド王を名乗っている。
これだけ共通項があれば、どう見ても花道のモデルはロッドマンで間違いないのだが、井上雄彦先生は「花道にモデルはいない」と語っているらしい。
さらには「モデルがいるとすればチャールズ・バークレー」とも語ったとか…。
モデルの真偽はどうであれ、『SLAM DUNK』がNBAを意識していたことだけは間違いない。
バスケットボールはマイナースポーツ
前述した通り、本作の登場以前はバスケットボールの認知度そのものが非常に低かった。
当時の日本では、サッカーやラグビーなどの世界的スポーツの人気が何故か低かった。
日本人は猫も杓子も野球一択。
当然だが、バスケットボールもマイナースポーツのひとつだった。
これには理由があって、当時プロ化されていたスポーツが野球しかなかったことに起因していると思われる。
言い換えれば、プロスポーツ選手を目指すなら野球選手しかなかった。
だから野球に人気が集中した。
それをサッカーが追いかける。
肝心のバスケ人気はといったら、正直無いに等しい状態だった。
ジョーダン人気も日本のバスケ人気にはたいした影響を与えていなかった。
それを『SLAM DUNK』の登場で一変させた。
いいや、一変どころの騒ぎじゃない。
バスケ=NBAという印象を読者に植え付け、バスケのイメージを激変させた。
おかげで、それまではマイナースポーツだったバスケットボールが、一躍超人気メジャースポーツへと激変することになる。
ストリートバスケ "3 on 3" の流行
『SLAM DUNK』がキッカケで爆発的に人気を博したバスケットボール。
それまでバスケをプレイすることがなかった人たちまで、スポーツといえばバスケ・バスケ・バスケ。
学校では昼休みにリングの奪り合いが勃発。
爆発的なバスケ人気に市町村も街ぐるみで便乗する。
街の至る所にリングが設置され、ストリートバスケが流行する。
祭りの一環で大会まで開催されるほどの過熱ぶりだった。
ストリートバスケが流行ったキッカケはたしかに『SLAM DUNK』であったが、あれほどの人気を博した最大の理由として、オシャレなイメージがあったことが挙げられる。
公式バスケの暗いイメージとは対照的に、華やかなイメージのあるストリートバスケ。
ダサい(当時)ユニフォームではなく、Tシャツにジーンズのようなオシャレでカジュアルな服装でバスケする姿は、たしかに格好良くみえた。
ストリートバスケは、当時流行りのモテ要素でもあったのだ。
『SLAM DUNK』で公式バスケを始めた人も、もちろん数多くいたがそれはガチ勢の話。
世間的なバスケ人気は公式ではなく、最終的にストリートへ流れていったように思う。
その理由はストリートバスケこそ、『SLAM DUNK』が仕掛けたバスケ=NBAのイメージに、一番近かったのかもしれない。
バスケ=NBAという間違った認識
『SLAM DUNK』が仕掛けたバスケ=NBAという認識は、正しくもあるが間違えでもあった。
たしかにNBAはバスケットボールの最高峰。
バスケ=NBAという認識は正しい。
アメリカ・ドリームチームのブッチギリの強さがそれを証明している。
試合も華やかで煌びやか。
NBAを観ているとバスケットボールとは、なるほどこんなに格好良いスポーツなのだと感じるだろう。
しかし日本のバスケ事情では、それこそが間違った認識。
今でこそ日本のバスケの試合もNBAに倣って煌びやかに演出しているようだが、昔のバスケはとにかく暗い。
日本ではNBAのように試合中に格好良い音楽が流れることなんてもちろんないから、ドリブルの音がダムダムと鳴り響いているだけのような状態。
声を出すのはチームメイトばかり。
得点するまでは観衆も大人しくしている。
攻守が目まぐるしく入れかわるバスケにとっては、その得点シーンだって一瞬だ。
アリウープでもキメれば別だろうが、日本でそんなスーパープレイになんて滅多にお目にかかれない。
故に得点シーンに余韻なんてない。
体育館の照明は暗いし、そもそも試合会場がそこら辺の普通の体育館って…。
『SLAM DUNK』を読んで初めてバスケの魅力を知った人は、日本バスケの現実を知ってさぞや愕然としたことだろう。
不朽の名作
『SLAM DUNK』伝説
画期的かつ圧倒的な井上雄彦ワールド
音のない世界
不朽の名作『SLAM DUNK』では、ある画期的な表現法が話題となった。
その手法は作中でも限られた重要なシーンでしか用いられていない。
井上雄彦先生はなんと、視覚でしか情報を得られない漫画というジャンルから、音を表現する文字を一切消してしまったのだ。
それもほとんど1話まるごとである。
これは驚愕の演出であった。
音のない漫画にとって、文字の存在は生命線である。
文字は作画だけでは表現しきれない情報やディテールを捕捉してくれる重要なツールだ。
それを一切消してしまおうというのだ。
並の漫画家さんなら一度は考えたことがあるアイデアでも、恐ろしくて実行に移すことはできないだろう。
作画だけですべてを表現するのは、それほど難しいことなのだ。
だが井上雄彦先生はそれを見事にやってのけた。
セリフがないのに声が聴こえてくるような不思議な感覚。
音がないのに、音が聴こえたような不思議な感覚。
無音の中で大歓声が聴こえてきた。
自分だけの脚色。
音がないというだけで、人の想像力とはこれほどまでに逞しくなれるのか。
それはとても驚くべき素晴らしい体験だった。
作画だけで泣かされた漫画は後にも先にも『SLAM DUNK』しかない。
名言の数々
『SLAM DUNK』には今でも語り継がれる名言が多いことでも有名だ。
安西先生の「あきらめたらそこで試合終了ですよ」は、ことあるごとにいまだに引用されている。
他にも、
など、数多くの名言を輩出している。
ただ名言といっても人生訓な安西先生の言葉くらい。
他の言葉は各キャラクターの口癖のようなものなのが『SLAM DUNK』の名言の特徴だ。
またその名言が言い放たれるタイミングが、実に絶妙なことも特徴だろう。
名言を聴いた瞬間に鮮明に蘇るそこに至るまでの経緯。
目標1万本という、途方もない数のシュート練習をこなしてきた花道。
その花道が最終盤でシュートをうつ瞬間に「左手はそえるだけ」と呟くシーンは、そのセリフまでもが名言になってしまうほど、今でも頭から離れない『SLAM DUNK』屈指の名シーンだ。
アニメ『SLAM DUNK』
テーマ曲は時代を彩る名曲ぞろい
アニメ化された『SLAM DUNK』で使用された楽曲は、どれも時代を彩る名曲ぞろいだった。
主題歌
オープニングテーマ
- 「君が好きだと叫びたい」(1 - 61話)
歌 - BAAD
最終回ラストでも挿入歌として使用された。
- 「ぜったいに 誰も」(62 - 101話)
歌 - ZYYG
エンディングテーマ
- 「あなただけ見つめてる」(1 - 24話)
歌 - 大黒摩季
- 「世界が終るまでは…」(25 - 49話)
歌 - WANDS
- 「煌めく瞬間に捕われて」(50 - 81話)
歌 - MANISH
- 「マイ フレンド」(82 - 101話)
歌 - ZARD
世間的な人気というならやはりWANDSの「世界が終るまでは…」なのだろうか。
アニメ『SLAM DUNK』といえば、個人的には大黒摩季さんの「あなただけ見つめてる」なのだが…
なお、「煌めく瞬間に捕われて」以外のエンディングテーマは全てミリオンセラーを達成している。
聖地
江ノ電「鎌倉高校前駅」
『SLAM DUNK』に登場する湘北高校は架空の学校である。
だが物語の舞台となったのは実際の湘南であるから、作中では実在する景色が多く描かれていたのだ。
例えばアニメ『SLAM DUNK』のオープニングに登場する「踏切」。
鎌倉の江ノ電に実在し、訪れるファンが後を絶たない聖地となっている。
山側から見るのがベストだが、134号からでも簡単にその存在は確認できる。
ここはロケーションが本当に最高だ。
夏は海がキラキラと輝き、冬は優しい光が包んでくれる。
何より、春夏秋冬いつ行っても気持ちのいい浜風が吹いてくる、実に素晴らしいところである。
134号はドライブスポットとしても優秀で、お気に入りの音楽を聴きながら流せば嫌なことも忘れられる。
近くには江ノ島もあれば鎌倉もある。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』公開前に一度行っておくのもいいだろうが、ファンでなくてもおすすめのドライブスポットだ。
個人的にはアニメ『SLAM DUNK』のテーマソングではなく、サザンを流したい気分になってしまうが…。
そういえば昔134号をドライブしていた時に見かけた、オープンカー+ラジカセ+矢沢永吉+ショートボード+グラサン+タンクトップのイカしたロマンスグレー。
なかでもラジカセに永ちゃんってスタイルには最高にシビれたっけ。
そんなイカしたロマンスグレーとも会えたりする『SLAM DUNK』の聖地。
都内からでも手軽に聖地巡礼できるのも魅力のひとつだろう。
幻の続編
『スラムダンク-あれから10日後』
神奈川県立三崎高等学校校舎
皆さんは『スラムダンク-あれから10日後』という続編の存在をご存知だろうか。
前述にもある通り、2004年12月に統合により現在は使われていない当時の神奈川県立三崎高等学校校舎において「1億冊ありがとうファイナル」が開催される。
そこで井上雄彦先生は各教室の黒板に漫画『スラムダンク-あれから十日後』を描いた。
各キャラクターの文字通り「あれから十日後」を描いた短編漫画だ。
この企画。
井上氏の公式サイトのみでしか告知されなかった。
にもかかわらず3日間で5000人を超えるファンが訪れたというが、逆に言えばこんな素晴らしい企画にたったの5000人しか訪れていない。
それはまだインターネットが完全に普及しきっていない頃の話。
おまけに『SLAM DUNK』本編が終了してから何年も経った頃の企画。
HPを逐一チェックするようなよほどのマニアでもない限り、この企画の存在自体を知ることもなかった。
残念ながら著者もそのひとりだった。
後に黒板に描かれた漫画『スラムダンク-あれから十日後』は特別仕様で数量限定発売に至るが、それまでこの企画の存在そのものを知ることはなかった。
なーんで公式サイトのみの告知とかするかなぁ…。
神奈川だったら実物を見に行けたのに…。
Switch Vol.23 No.2(スイッチ2005年2月号)
漫画『スラムダンク-あれから十日後』の存在が広く世に知られるようになったのが「Switch Vol.23 No.2(スイッチ2005年2月号)」に掲載されたことでだった。
幻の漫画『スラムダンク-あれから十日後』を目の当たりにして、企画の存在すら知らなかった多くのファンが悔しがったことは言うまでもない。
Switch Vol.23 No.2(スイッチ2005年2月号)特集:井上雄彦「スラムダンク、あれから10日後」
今となってはプレミア品?
後に数量限定で製品化された漫画『スラムダンク-あれから十日後』。
黒板に描かれた漫画を製品化しただけあって、黒板の比率通りの横長の特殊な仕様だ。
また一冊に綴られている製品というわけではなく、一枚につきひとつのエピソードという具合に描かれている短冊方式である。
完全版とやらがどういう仕様かは不明だが、初期ロットはこんな感じで箱に収められていた。
実は我が家にある。
価格はたしか5000円ほど。
今ではいったいいくらで取引されているのか……。
伝説のエピソード
漫画『スラムダンク-あれから十日後』が発売された頃に、まことしやかに囁かれた伝説のエピソード。
真偽は不明だということを先にお断りしておく。
1996年に連載が終了した『SLAM DUNK』。
そして「1億冊ありがとうファイナル」が開催されたのが2004年。
実に8年間ものあいだ、井上雄彦先生は公式の場で『SLAM DUNK』を描いていない。
漫画『スラムダンク-あれから十日後』で井上雄彦先生が久しぶりに描いた桜木花道をみたご内儀が、先生に向かって感想をこう伝えたという。
「これは花道じゃない」
漫画『スラムダンク-あれから十日後』を実際に読んでみれば、ご内儀がこう言った理由もわからなくはない。
気になる人は是非チェックしてみてほしい。
ほーんの少しだけ、昔の花道じゃないんだよなぁ…。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』
描かれるのはやはり山王戦か?
間もなく公開が予定される映画『THE FIRST SLAM DUNK』。
井上雄彦先生自身が監督と脚本を務めるとあって、注目と期待が高まっている。
なかでもどのエピソードが映像化されるのかに注目が集まる。
大本命はやはりアニメで描かれなかった「山王戦」だろう。
先にも述べた音のない演出は、まさにこの「山王戦」でのことだ。
試合も大詰めのクライマックス。
原作では無音のまま進行しているが、最後の最後にたったひと言だけ「左手は添えるだけ」と花道が呟きついに流川からパスを受ける。
伝説の『SLAM DUNK』の中でも、さらに伝説の名シーンがついに映像化されるのか⁉︎
最高にアツいあの名シーンを、今度は映像で体験できるのか?
期待は高まるばかりだ。
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