...
...

ioritorei’s blog

完全趣味の世界

※当サイトではアフィリエイト・Google AdSenseによる広告を掲載しております。

美しき日本語の世界。[其の九]

 

 

 

 

其の九

美しき日本語の世界。

 

 

「行間を読む」

 

 

「行間を読む」とは、文章の行と行の間の何も書かれていない作者の「隠された意図や意味合いを読み取る」いう意味である。

ここでいうところの「行間を読む」とは、和歌や短歌、俳句や小説など、芸術的な文学に対して行う行為を指す。

ビジネスシーンなど、公式な場で使用する文章は明確な表現を必要とするから、「行間を読む」行為の対象外である。

 

 

 

「察しと思いやり」の文化が築き上げた日本語には行間がいっぱい

 

 

「察しと思いやり」の文化が築き上げた日本語は、ニュアンスで表現される言葉が数多く存在し、肝心な部分を端折られることが多い。

肝心な部分を端折るということは、読まなくてはいけない行間がたくさんあるということだ。

その際必要になるスキルが「行間を読む力」である。

こんな風に表現すると「行間を読む」ことが、読む人に負担を強いることのように思われるかもしれない。

不親切な文章は「行間を読む」ことを強要されるが、この場合は「行間を読ませる」と表現する。

したがって「行間を読む」こととは別であることは明言しておこう。

 

 

 

誤訳とは違う

意訳は「行間を読む」ことで生まれた素晴らしい文化

 

 

どうしたら「行間を読む」ことの素晴らしさを伝えられるのか…。

例えに散々悩んだ末に辿り着いた答えは、洋楽や映画などで我々が普段から接している意訳※である。

意訳といえば、有名なのが映画字幕翻訳者の戸田奈津子さん。

戸田さんの名前は、洋画のエンドロールで一度は見たことがあるのではないだろうか。

戸田さんの翻訳した映画は数多くあるが、著者が一番印象に残っているのは映画『タイタニックでのワンシーン。

映画『タイタニックの中でもかなり有名なセリフであるから、覚えている人も多いのでは?

ポーカーの賭けで勝ち、タイタニックのチケットを手に入れたジャックは、友人ファブリツィオとタイタニックに乗り込む。

船首にやって来たジャックが、ジャンプするイルカの姿を見てテンションが上がり、風を浴びながら叫ぶ言葉。

 

「I'm the king of the world !」

 

 


www.youtube.com

 

 

このセリフを直訳するなら「俺は世界の王だ!」となる。

直訳を聞いて、皆さんはどう受け取られただろう。

これが、まだ何者にもなれていない若造のセリフだと考えるなら、「王」とはいささか大言壮語な言葉に聞こえはしないだろうか。

野望と意欲は感じるが、あまりに世間知らずが故にどこか滑稽に感じられる。

何よりこの訳では、ジャックのキャラでなくなってしまう。

そこで戸田さんは行間を読み、こう意訳した。

 

「世界は俺のものだ!」

 

夢と希望だけを胸に新天地へと向かうジャックの心中を、たったひと言で見事に言い表した素晴らしい意訳である。

直訳とはほんの少しのニュアンス違いでしかないが、その "ほんの少し" がこれほどまでに印象を変える。

当該セリフのみならず、前後のセリフや行動までを考慮しなければこの役は出てこない。

これが「行間を読む」ということである。

ちなみにこのセリフは、ジャックを演じたレオナルド・ディカプリオのアドリブだったという。

戸田さんのこの意訳を、誤訳とする向きもある。

たしかに原文と比べたら、意味がまったく違うと受け取られても仕方ないかもしれない。

だがよく考えてもらいたい。

このセリフの真意は、原文を読めばわかるという類のものではない。

台本にあるセリフならば監督や脚本家、演出家でも共有できた感情かもしれないが、前述した通り、件のセリフはアドリブである。

したがって、発した本人にしかもはや理解出来ない感情なのである。

その意思を汲んで、それを見事な語彙力で表現してくれた戸田さんを、少なくとも著者は素晴らしいと思う。

戸田さんは翻訳についてこう語る。

「英語じゃないのよ、映画よ。最初からそれしかない。映画が好きだから英語を勉強したわけで、英語そのものが好きな人間ではないのです。ボーナスで英語を勉強したっていうだけ。映画がすべての始まりでした。」

 

※意訳

 

原文の一語一語にとらわれないで、全体の意味を汲み取って訳すこと。

また、訳したものを指す。

 

 

 

「行間を読む力」を養うために

 

 

先に記した意訳然り、「行間を読む力」があると物事の意味合いをより理解し、応用力をつけることができる。

では「行間を読む力」とは、どうすれば養われるのだろうか。

「行間を読む力」を備えた人は、どのような訓練をしているのだろうか。

それはもしかしたら、俳句や短歌といった文字数制限の世界に接することで鍛えられているのかもしれない。

日本語は、あらゆるものを少ない言葉で表現することに長けてきた言語である。

日本を代表する文学である俳句は、17音節からなる世界で一番短い詩といわれている。

そして俳句は、たった17音節から想像を膨らませて、その世界観を思い描かなくてはならないのだ。

俳句の世界観を理解するためには、言葉から情景を思い浮かべることができるかどうかにかかっている。

想像力を駆使するのは、何も俳句だけに限ったことではない。

特に日本語で主語がない場合や最後まで言わない場合には、とにかく想像するしかない。

特に難しいのが複数の意味合いを持たせている場合だが、語彙力や表現のルールやパターンを知ることなどによって、読み抜く力も付いてくるのではないだろうか。

日本語に「行間を読む」ことが求められるのは、文字数制限された文学のように、無駄なもの排除していった結果得られた、副産物だったのかもしれない。

 

 

落語の行間 日本語の了見

落語の行間 日本語の了見

 

 

 

☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎

 

Yomiwa JP Dictionary(多言語辞書)

Yomiwa JP Dictionary(多言語辞書)

  • Nomad AI OU
  • 辞書/辞典/その他
  • 無料

nemo 日本語

nemo 日本語

  • Nemo Apps LLC
  • 教育
  • 無料