其の三十一
美しき日本語の世界。
日本語だけにある表現「生き甲斐(ikigai)」
「生き甲斐(ikigai)」とは何か
「生き甲斐(ikigai)」は、幸せ・楽しさを感じられる活動や生きる原動力になる存在のことである。
また、生きる価値を実感できる行為も含まれる。
そのため、他人や社会の役に立っていると感じられるボランティアといった活動が「生き甲斐(ikigai)」になる人もいる。
「生き甲斐(ikigai)」の定義は曖昧で、はっきりとは決まっていない。
幸せや喜びは人によって様々なため、定義が難しいといえる。
「生き甲斐(ikigai)」は、日本特有の文化や価値観に基づく概念である。
英語では、「reason for living」「purpose in life」「something to live for」などが当てはまるが、一言で「生き甲斐(ikigai)」が持つすべての意味を表せる言葉はない。
そのため、海外でもそのまま「ikigai」という日本語で広まっている。
近年、この「生き甲斐(ikigai)」という日本の人生哲学とも言えるワードが、欧米でも広く知られる概念となってきた。
このキッカケとなったのが、長寿地域を意味する「ブルーゾーン(Blue Zone)」の概念を広めたアメリカの研究者で作家であるダン・ベットナー氏の発言である。
彼は日本・沖縄の長寿の理由のひとつとして、この「生き甲斐(ikigai)」に言及したことにより、この動きが始まったようである。
そんな流れもあり、2016年にスペイン人著者による『ikigai』と題した本が出版され、欧州各国で翻訳され話題を呼んだ。
あなたが毎朝起きる理由は何ですか?
西洋人の多くは、ゼラニウム(オランダの街中や窓辺で見かける機会が多い、四季咲き性の花)の前でじっと座っている生活にならないだけの余力を残しながら、リタイアできる日を指折り数えて待っている。
日本ではリタイアしても、ゼラニウムの前でじっとしていることはない。
元気いっぱいの高齢者が、ゼラニウムなどの花や野菜を自宅の家庭菜園で育てたりしている。
日本人からすると、充実した生活を長く続けていく秘訣は、リタイアするのではなく、できるだけ長く自分なりの「生き甲斐(ikigai)」を持って暮らしていくことだと思っている。
それはつまり、あなたが毎朝起きる理由となるわけである。
生き甲斐とは何か?
「生き甲斐(ikigai)」という日本語は、ふたつの言葉に分けることができる。
前半分が "人生" という意味で、後ろが "価値" という意味。
これは人間が生きている理由、即ち "生きる喜び" とか、あるいは日本流に解釈して "忙しくあり続ける喜び" というように意訳することもできるだろう。
常に忙しくあり続ける…この考え方は西洋人においては、イラつかせる原因となるだろう。
このような日本的メンタリティがなぜ、突然注目を集めるようになったのだろうか?
西洋の科学が長年にわたって治療法を模索してきた、誰もが避けられない "病" ––それが "老い" である。
これから逃れるのは不可能であり、やれることといえばせいぜい進行を遅らせることしかない。
ところが日本人はずいぶん前に、奇跡の処方箋を発見していた。
特に沖縄県北部のある島では、90歳はまだ若造で、100歳になると踊れや歌えやと、まるで成人になったかのようなお祝いをするらしい。
興味深いことに沖縄県は、日本の中でも第二次世界大戦において最も大きな影響を受けた地域のひとつであるということである。
島民の健康的な老いを支えているのは、バランスのとれたライフスタイルだ。
ほどほどの食事を摂り、生き甲斐を失わないよう、軽い肉体労働で忙しくあり続けて、気持ちを穏やかに保っている。
そこに住む多くの人々は、身体がもたなくなるまで忙しい生活を送ろうとしている。
西洋の価値観とは違って、そんな生活が死の間際まで続けようとすることも珍しくない。
生き甲斐––生き急ぐライフスタイルではない
このように日本人の考え方は、西洋人のメンタリティとは対照的だ。
資本主義者が考える理想的なイメージとしては、より大きく、よりよく、より多くを常に追求する。
ところが時代が進むに従って、世界は動きをどんどん速めているようで、このままブレーキをかけないでいると、我々自身が終焉を迎える前にガソリン切れになってしまうかもしれない状況にあるような気がする。
コロナ禍を経て、我々の多くがそんな状況であることを再確認できたはずである。
少しくらい立ち止まっても、世界は動き続けるということを…。
そんな人生で大切なのは、どれだけ多くの仕事をするかではなく、どれだけ満足のいく生活を送るかなのである。
仕事は必要だが、やりすぎは禁物というわけである。
テキサス州フォートワースを拠点に、ストレスの軽減、職場でのストレス、兵役に関連するストレス、慢性的な管理されていないストレスの健康への影響に関する情報を提供する「アメリカン・インスティテュート・オブ・ストレス」が、老齢による衰えについて調査したところ、「健康に最も悪影響を与える要因はストレス」であるという結果が導き出された。
西洋人のライフスタイルとストレスは、切っても切り離せない存在だ。
「お元気ですか?」と挨拶されると、つい「元気でバリバリ働いているよ!」と答えたくなってしまう。
まるでそれが「普通だ」と言わんばかりに…。
それがどういう結果をもたらすかということを考える余裕がない。
例えばこの記事を読みながら、メールに返信したり、ネットフリックスでお気に入りのシリーズをチェックしていたりするようでは、リラックスしているときですらストレスにさらされていることになる。
とはいえ、日本は生産力の高さと労働日数の多さは世界でも有名で、西洋化された大都市においては、「誰も立ち止まらない」という、ある種のウォールストリート的な日常が見られる。
そして文字通り、働きすぎて死ぬことを意味する「過労死(karoshi)」という言葉も存在するのが、日本という国の一面でもある。
その点、日本の中でも沖縄の人々は、ひとつずつの仕事に集中する。
そしてそれを「自分に合ったペースで行う」という、非常に適切な働き方をしているのである。
活動を止めることはないが、まるで夏のそよ風のように、自分の仕事と向かい合っている。
西洋における生き甲斐
沖縄に住む年配者によると、交友関係、あるいは模合(もあい=沖縄県や鹿児島県奄美群島において、複数の個人や法人がグループを組織して一定額の金銭を払い込み、定期的に1人ずつ順番に金銭の給付を受け取る金融の一形態)––共通の利益を持ったグループ––というのが、最も重要なもののひとつだという。
地域社会を助けるため、さまざまな種類のささやかな仕事が形態的かつ自発的に行われており、それは人々にストレスとなることなく、むしろは生きるためのエネルギーとなっているのである。
それはつまり、実利主義や資本主義のカタチを取った現世的 "幸福" に、彼らは大きな価値を見出していないことを意味している。
その際、彼ら老賢者は、時間をかけて自分たちの感情や気持ちを知り、それを大事にする。
それに対して西洋の人々は、自分の行動と感情をすぐに結びつけがちであるが––例えば「気分が悪いから、気分がよくなるようなことをやろう」という具合に––それよりも、気分が悪くなっている原因を突き詰めて、常にいい気分でいる "必要は無い" ということを受け入れるほうがよっぽどマシである。
気分が乗らないときは、じっくり考える必要もない。
大事なのは追加の行動を起こすことより、自分のための時間を割くことなのである。
その一方で食事に関しては野菜が中心で、ひとつひとつの料理の量も多くない。
日本人は、腹八分目が食事の基準となっている。
まだ食べられそうだが空腹は満たされた? それならそこで止めておくのである。
食後のひと眠りもしない。
すべてのエネルギーが消化に費やされるのではなく、前述したようなささやかな仕事に使えるようにすることが、大きな目標、即ち生き甲斐の流れにつながっていくのである。
例えば、あなたの「生き甲斐」がものを書くことであるなら、紙に言葉を書き連ねることばかりがそれではない。
読書をしたり散歩をしたり、絵を描いたりと、気の向くままの些細な行動もインスピレーションのもとになるはず。
それはあなたの「生き甲斐(ikigai)」を充実させる流れをつくり出してもくれるのである。
目的の力 幸せに死ぬための「生き甲斐」の科学 (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)
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