【心に沁みる名言〈特別編〉】
日本と世界の未来を担う若者からの提言
"沖縄のジャンヌ・ダルク" 我那覇真子さんの靖国名演説 (2017年)
"沖縄のジャンヌ・ダルク" 我那覇真子さん
我那覇真子(がなはまさこ)さんは、フリージャーナリストであり予備自衛官。
「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員、日本文化チャンネル桜沖縄支局キャスター。
参政党外部アドバイザーでもある。
鮮烈の "デビュー" は平成25(2013)年2月。
舞台は沖縄県名護市で開かれた米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を求める市民大会である。
沖縄の朝野に「県内移設断固反対」の声がみなぎっていた時期だ。
保守派が開催した大会への、マスコミなどの視線は冷たかった。
だが、地元有力者らに続いてマイクを握った我那覇真子さんのスピーチに、会場を埋めた1千人超の聴衆は喝采した。
「移設問題が解決しない原因はマスコミを中心とする反米活動にあります」
「状況がひどくなったのは保守の政治家が革新の口まねをして基地反対を言い出したからです」
当時無名の23歳。
黒髪を後ろに束ねた清楚な女性がズバズバ放つ直言に、「そうだ!」「よく言った!」の掛け声が飛び、拍手が湧き起こる。
その様子はインターネットの動画サイトなどで拡散し、「沖縄の愛国ヒロイン」「ジャンヌ・ダルク現る」などとたちまち話題になった。
"沖縄のジャンヌ・ダルク"
【全文】我那覇真子さんの靖国名演説 (2017年)
皆様、今日は、只今ご紹介いただきました沖縄より参りました我那覇真子(がなはまさこ)と申します。
靖国に眠る英霊の方々に、尊崇(そんすう)と感謝の言葉を捧げたく沖縄県より参りました。
この様な場に立たせて頂き誠に光栄に存じます。
若輩の身ではありますが、一言述べることをご容赦願いたいと思います。
他の方々と同じように、私もまた御国の盾となり散華された英霊の方々に深く感謝申し上げる一人であります。
そして、その御恩にどうお応えすべきなのかを自らに問う者でもあります。
私の住む沖縄県においては、沖縄戦に多くの県民が率先して防衛の任に当たり、戦火に倒れました。
私の親戚にもその様な方は多くいます。
その中に、当時17歳で学徒動員に応じた女性がいました。
沖縄県第三高等女学校に在籍していた彼女は、最期の挨拶に私の祖母を尋ねています。
その身を案じた祖母は翻意を促したのですが、彼女の決意は固く決然としてこう言ったといいます。
「おばさん、私もまだ17歳だけど、やりたいことも沢山あるけれども、今は御国のために逝くことが本望です。」
そして帰らぬ人となりました。
私はこの話を父から聞きました。
父は熱く語りました。
その時は私は、何故かまるで自分が時空を超えてその場に居合わせているかのような感じがしました。
魂の震える思いがしたのです。
この様な時に、こういった強い思いに駆られるのは、私だけではなく多くの国民に共通するものでしょう。
これは人として自然の情であると私は思いますし、かつて御英霊の方々こそがこの魂の震えによって立ち上がったと思うのです。
72年前、沖縄戦の口火を切ったのは、沖縄県出身の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)少佐率いる神風特攻隊です。
その伊舎堂中佐は、出撃前にこういった言葉を残されています。
「自分は戦死するのは何とも思っていない。しかしこの戦争が終わった日本はどうなっているのだろうか?」
どうなったのでしょうか日本は。
私は思うに実は、日本は靖国に眠る英霊を語る時、戦後最大のタブーがここにあるのです。
古来より、我が国は後に続く者があることを信じて国難を乗り越えてきました。
これは日本国を貫く約束であります。
国難に殉ずるのはその為です。
しかし戦後日本は、どうなったのでしょうか?
テレビに象徴される底なしの文化の退廃と白痴化。
例えば、全国の成人式における幼稚園児にも劣る低俗な乱痴気騒ぎ。
この、現代日本の醜い姿は英霊の方々にとても釈明出来るものではありません。
個人的な思いとして私は、英霊の方々に感謝と同時にお詫びをしなければならないと思います。
英霊の皆様、誠に申し訳ございません。
皆様が身をもって残された日本はこの様になりました。
英霊の皆様、ごめんなさい。
今の日本は、自らの誇りを捨て隣国に侮辱され、国家主権を侵されるままの国になりました。
恥ずかしい限りであります。
これでも我々は、日本として生きていきたいのであります。
日本を愛するが故です。
英霊の皆様、今少しばかりお時間を頂きたいと思うのです。
後に続く者のあることを信じて頂きたいのです。
祖国日本は再び立ち上がります。
そうしなければ皆様の魂が死んでしまいます。
私たちは英霊を二度死なせる訳にはいきません。
そして本日お話しようかどうか迷いましたけれども、若者の青年のフォーラムという事ですから、やはり本音を話さなければなりません。
今我々は英霊の前でお話させて頂いておりますが憲法の問題、どうするのでしょうか。
これまで押し付けられた憲法を、解釈改憲という事で誤魔化してきました。
その矛盾を今度はどのようにごまかそうとしているのか。
"加憲改憲" であります。
私は日本国を守るためにも、"破憲改憲" が必要であると思っております。
破憲改憲の「は」は破るです。
どういう意味でしょうか?
良く考えてみてください。
今我々日本国を守ってくださいっているのは誰でしょうか。
自衛隊の方々です。
その方々が加憲改憲を待っておれるでしょうか。
それが成立する前に、もし事が起きたら、我が国に危機が迫ったら、我々はどうするのでしょうか。
自衛隊はどうするのでしょうか。
その時に我々は選択を迫られます。
憲法を守るのか、日本国を守るのか、この選択です。
私は自衛隊が国民を守って下さること、国家を守って下さることを信じています。
皆様いかがでしょうか。
そして、その自衛隊が我々国民を守ることが出来るのは、我々国民がその世論を作って初めて、自衛隊は我々を守ることが出来るのです。
話が長くなってしまいましたが、私は沖縄で、沖縄県民として、国防を担える沖縄であるという事を誇りに思っております。
若者代表として私は日本再生をここでお誓い申し上げます。
英霊の皆様今は安らかに御眠りください。
有難うございました。
日本と世界の未来を担う若者からの提言
神の命令を受けたと称して現れ、2年後異端として殺されたジャンヌ・ダルク。
異端にして聖女であるジャンヌ・ダルクの通り名は、我那覇真子さんにとってはもしかしたら不名誉なものかもしれない。
しかし彼女の凛とした姿は、"救国の英雄" "憂国の士" ジャンヌ・ダルクを彷彿とさせる。
彼女の言葉には、聴く者を否が応でも期待させる熱量がある。
"沖縄のジャンヌ・ダルク" の声は、国家主義の欠片も持ち合わせていない著者の心にも強く沁みわたる。
思想を超えた名演説
最初にお断りしておくが、著者は特定の政治思想など持ち合わせていない。
民主主義体制か権威主義体制か全体主義体制かなんてどうでもよくて、実はただ心穏やかに平和に、出来たら幸せに生きていければそれだけでいいと思っているイチ平民にすぎない。
しかし強いて言うなら、日本人として生まれたからにはその誇りだけは持っていたい。
それくらいの思想しかない。
それは愛国心なんて大層なものではないのだけれど、そんな著者でも近年日本の衰退ぶりを嘆くひとりではある。
日本の未来を心から憂う国民ではある。
このままでは本当に日本が無くなってしまうかもしれない。
日本が滅亡してしまうかもしれない。
そんな危機感に日々苛まれる。
事ここに至り、国民を顧みず我が身可愛さに国を弄ぶ政治家を憎み、政治に無関心すぎる国民を軽蔑するのは、そんな想いからである。
本稿で紹介した我那覇真子さんの名演説は、場所が靖国神社ということもあり、なかには特定の政治思想に傾倒するものだと勘繰る人もいるだろう。
そもそも靖国神社とは招魂社に起源を発し、明治維新のために殉難した死者を慰霊する目的で諸藩に設けられた招魂場に由来していて、明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した人の霊を祭る神社である。
ただ第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和条約の第11条にある裁判・判決によって死亡した者(極東国際軍事裁判等の軍事裁判によりA級戦犯・BC級戦犯であるかないかに関わらず死刑になった者等)も祭神の範疇に含まれたために、他国から抗議の声が上がる。
とはいえ、それを煽ったのは日本国内のメディアだから、皆さんが靖国神社から想起する特定の政治思想は、完全に後から意図的に植え付けられたものなのだ。
つまりは著者にも靖国どうこうという意図も思想もまったくない。
皆さんにもそういう事実もちゃんと踏まえた上で、固定観念を除き去り、曇りのない心で是非この演説を聴いてほしい。
戦争も知らずに恵まれた環境でぬくぬく育てられた著者だけど、この演説には思わずグッときてしまう。
この国の未来を憂いた先人たちの想いを想像すると、今の日本の現状は大変申し訳なく思えてくる。
この演説では英霊なんて仰々しい言葉が遣われているが、どうか構えないで最後まで聴いてほしい。
構えるほど堅いものではなく、その実はこの国の明るい未来を信じて散っていった先人たちを想う演説にすぎないから。
ただし多くの日本人が、今聴くべき言葉がそこにある。
多くの日本人が真摯に向き合うべき言葉がそこにはある。
本稿が日本の未来を考え変えていく力の一端になれば幸いだ。
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