アニメーション映画
アリスとテレスのまぼろし工場
『アリスとテレスのまぼろし工場』とは
『アリスとテレスのまぼろし工場』は、日本のアニメーション映画。
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』などの脚本家として知られ、『さよならの朝に約束の花をかざろう』で監督デビューを果たした岡田麿里さんの監督第2作で、『呪術廻戦』のアニメーション制作会社・MAPPAとタッグを組んだオリジナル劇場アニメ。
岡田麿里監督が自ら執筆した小説が原作で、「あの花」以来、約10年ぶりの書き下ろし作品。
変化を禁じられた世界を舞台に、繰り返す日常に飽き、恋する衝動を武器に未来へともがく少年少女たちの青春が描かれている。
デビュー作である前作『さよならの朝に約束の花をかざろう』に引き続き原作なしのオリジナル作品となる。
副監督には平松禎史氏、キャラクターデザイン・総作画監督には石井百合子さん、美術監督には東地和生氏が名を連ねるなど、前作のメインスタッフが再び集結している。
音楽は岡田監督が脚本を担当した映画『空の青さを知る人よ』の音楽作家・横山克氏が務めた。
アニメーション制作は映画『この世界の片隅に』やテレビアニメ『呪術廻戦』『チェンソーマン』などで知られるアニメ制作会社MAPPAが手掛けた。
同スタジオにとって、本作が初のオリジナル劇場アニメーション作品となる。
2021年6月27日にMAPPAの設立10周年を記念したイベント「MAPPA STAGE 2021 10thAnniversary」にて制作が発表され、2023年5月21日開催の「MAPPA STAGE 2023」にて公開日とキャストやメインスタッフの情報が公開された。
2023年9月15日に公開。
また、公開に先駆けて同年6月13日に角川文庫より原作となった小説が刊行された。
キャッチコピーは「恋する衝動が世界を壊す」。
第78回毎日映画コンクールアニメーション映画賞受賞作品。
あらすじ
中学生の正宗は、製鉄所の事故で出口を失った町で鬱屈した日々を送っていた。
ある日、同級生の睦実に導かれて訪れた製鉄所の高炉で、喋ることのできない少女と出会う。
変化を禁じて時が止まったような町で、少年少女の間に芽生えた恋が世界の均衡を崩していく。
登場人物
菊入正宗
声 - 榎木淳弥
表向きはクールに振る舞っているが、家族のことや将来の夢、抑えつけた恋心など様々な葛藤を抱えている。
絵を描く事が好き。
佐上睦実
声 - 上田麗奈
ミステリアスな正宗の同級生。
周囲から控えめで優しい女子だと思われているが、本当は気が強い。
連れ子として佐上家に入る。
五実
声 - 久野美咲
製鉄所に閉じ込められている野生の狼のような少女。
時さえも止まってしまい変化を禁じられたこの町で、唯一一人だけ成長を続けている。
笹倉大輔
声 - 八代拓
下ネタ好きで、何でもギャグにするお調子者。
進路希望はフリーター、ただし他の町で。
新田篤史
声 - 畠中祐
いつも冷静で大人びた性格。
何が起きても動じない。
さりげなく皆をフォローしている。
仙波康成
声 - 小林大紀
おっとりした優しい性格。
人前に出るのは苦手だったが、将来はラジオのDJになりたいと夢見るようになる。
園部裕子
声 - 齋藤彩夏
自分に自信が持てなくて、心の中に熱くてドロドロした想いを抱えている。
原陽菜
声 - 河瀬茉希
頭の回転が速くて活発で、男子に対しても堂々としている。
だが、心の中は乙女でロマンチスト。
安見玲奈
声 - 藤井ゆきよ
ファッションもヘアスタイルもカワイイ系女子だが、性格は裏表のないサッパリ系。
佐上衛
声 - 佐藤せつじ
見伏神社の代々の社家。
変わり者として嫌われていたが、爆発をきっかけに権力を手にする。
菊入時宗
声 - 林遣都
正宗の叔父。
普段は何も考えていないように見えるが、消えた兄の代わりに正宗とその母・美里を守ろうとしている。
※アナウンサーの吉田尚記氏が、作中で流れるラジオ番組のDJとして出演している
主題歌
- 心音(しんおん)
歌 - 中島みゆき
中島みゆきさんとしては初のアニメーション主題歌。
シングルのアートワークも、中島みゆき作品としては初のアニメ描き下ろしCDジャケットとなった。
それまでアニメ映画の主題歌を書いたことがなかった中島さんに駄目で元々と岡田監督がオファーしたところ、脚本を読み込んだ中島さんが本作の世界観に惚れ込み、コラボレーションが実現した。
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難解作品
本作は『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』などの脚本家として知られ、『さよならの朝に約束の花をかざろう』で監督デビューを果たした岡田麿里さんの監督第2作で、監督が自ら執筆した小説が原作の作品。
「あの花」「さよ朝」をご覧になった方ならおわかりだろうが、その期待を裏切らない作品となっていることは間違いない。
と同時に、岡田監督ならではの難解作品でもある。
ただはっきりわかることは、凝縮された青春時代の感情がしっかりと描かれており、そこに共感する人が世界中に間違いなくにいる反面、一方では現実が辛いから映画館に来てまで痛い思いをしたくないという人々も大勢いるだろうということ。
賛否両論分かれる作品なのかもしれない。
タイトルに込められた意味は?
本作登場キャラクターには、アリスもテレスも登場しない。
なのにどうして『アリスとテレスのまぼろし工場』なのだろうか。
このタイトルを見て聞いて、多くの人がまずピンとくるのが「アリスとテレス=アリストテレス」だろうが、おそらくそれで正解だ。
「希望とは、目覚めている者が見る夢だ」という、アリストテレスの言葉が劇中で登場する。
変化しゆく恐ろしい現実と、希望と喜びに満ちたこの現実を生きる我々に、岡田監督が伝えたかったこと。
目覚めている(=この世界で生きている)限りは、人は希望を持ち続けられる。
少し抽象的ではあるが、岡田監督ならではのタイトルといえるだろう。
ただ「アリスとテレス=アリストテレス」と聞いてもう少し深読みするなら、アリストテレスが提唱した二元的宇宙像に準えている可能性も否めない。
アリストテレスによる二元的宇宙像※は、バビロニアでの日食や月食などの現象が「地上の物体に作用する」という考え方と結びついて、「地上界の出来事には必然的に天上界が作用している」という考え方の基本となった。
ひとつの世界の出来事が別の世界に影響を及ぼすという考え方は、本作ストーリーと深く関係している。
岡田監督はおそらくここまで踏まえた上で本作を『アリスとテレスのまぼろし工場』と名付けたのだろう。
アリストテレスを「アリスとテレス」としたのは、そのままだとアニメーションとしてはあまりに堅苦しすぎるから。
観る者に最初から構えられてしまったら、伝わるものも伝わらないから。
あくまでも推察でしかないが、そんな気がする。
※アリストテレスの二元的宇宙像
アリストテレス自然学では、月下の世界は土・水・空気・火の四元素より成り、それらは相互に移り変わることが可能としている。
この月より下の常に転化して生成・変化・消滅を繰り返す世界は「地上界」と呼ばれる。
それに対して月とそれより先のエーテルよりなる世界では決して転化することがなく、生成や消滅は見られない。
この不変の世界は「天上界」と呼ばれる。
アリストテレスはそれぞれの世界は別な法則に従っていると考えた。
この考え方は二元的宇宙像(論)と呼ばれている。
「この町では変化は悪」
"変化は悪" は現代社会への強烈なアンチテーゼ
本作はエンタテインメント作品でありながら、底知れぬ深さを持つ考察しがいのある作品でもある。
物語の特殊な設定や、画面の端々のモチーフに思いをめぐらせると、観る者を未体験の知的興奮に誘う。
そのひとつが謎ルールの存在だ。
公式ホームページには、町の "変化してはいけない" というルールに補足するように、こんな一文が示されている。
[取り扱い説明]
触れてはいけない
話してはいけない
好きになってはいけない
この町では変化は悪
舞台は巨大な製鉄所のある町、見伏(みふせ)。
ある冬の夜。
正宗と友人たちが製鉄所の大爆発を目撃するところから、物語は動き出す。
爆発により燃え盛り、崩れていく工場。
町中が眩く照らされて人々は騒然とする。
あまりに突然の急展開に理解を追いつかせるのに精一杯。
だが、正宗はさらに目を疑うような光景に直面する。
空には光り輝く無数のひび割れが…。
そして製鉄所から狼のような煙が立ち上り、そのヒビを埋めていったのだ。
その後、何もなかったかのように町は平静を取り戻す。
しかし、爆発を境に町は決定的に変わってしまった。
その日から、月日は進むことをやめた。
町の外に出るすべての経路は閉ざされ、どこにも行けなくなった。
見伏の住民たちはこの町と、永遠の冬に閉じ込められてしまったのだ。
この冬の町の閉塞感は、地方に生まれ育った者ならたしかに昔知っていたようなものではないだろうか。
この町にいったい何が起きたのか。
どうしてこうなったのか。
そして、どうすればこの町は "元" に戻るのだろうか――。
この時点で相当な意味不明展開。
月日が進まないとはいったいどういうことか?
その理由はわからないが、物語が進むにつれその法則が徐々に明らかになってくる。
1日の時間は規則正しく過ぎていく。
朝が来て、夜になり、また朝が来る。
だがその1日が繰り返されるだけで、季節は一向に変わらない。
ずっと冬のままで、外は雪がちらついている。
住民たちは寒さに慣れてしまったのか、皆、軽装だ。
そして月日が進まないから、人々の身体的変化もない。
隔離された世界設定自体はさほど目新しいものではないが、本作設定の非常に興味深いのはこの「身体的変化がない」という点にある。
老人は老人のままで、自分確認票を書くのに難儀している。
衝撃的だったのは臨月の妊婦は一向に産気づかず、お腹の中に留まり続ける我が子に思いを馳せているという描写。
この描写こそが、時間が進まない町に囚われた人々の現状とこの世界の残酷さを如実に物語っている。
実は前述した「身体的変化がない」という設定にはもうひとつ特徴的な設定が設けられている。
住民たちは年齢は重ねない一方で、同じ1日の記憶は日々蓄積されていくので、「内面だけは成長していく」というのだ。
こうした状況で何が起きるか?
印象的なのは、この町では中学生でも運転が認められるようになったことだ。
田舎であれば車は当然必須アイテムだし、中学生にも運転を認めることは理にかなっている。
そしてこの中学生も車を運転できるという些細な点が、終盤を盛り上げる大きな要素となっているのだが、どういうことなのかはその目でご覧になって確かめてほしい。
話を戻そう。
この町では「身体的変化がない」のに「内面だけは成長していく」。
だから住民は元の世界に戻った時のために、変化することを禁じた。
肉体年齢と精神年齢のバランスを、時が止まった瞬間と同じ状態に保つことを選んだ。
元の世界に戻ったときに齟齬がないように、住民は身の上や趣味性向を記した「自分確認票」という書類を定期的に提出する。
想像するだけで、なかなか狂った世界ではないだろうか。
"変化は悪" とされた世界で、変わりたいと願う若者の姿と現状を受け入れ日々をただ淡々と過ごす大人の姿の対比には、否が応でも強いメッセージ性を感じる。
長い間停滞したまま動かない、現代日本社会に対しての。
そしてそのことを理解しながらも、まったく変えようとしない国民に対する強烈なアンチテーゼだ。
行儀よく無難に生きる若い観客にはもちろん、変化に臆病になっているかつての若者たちにとっても、観終わった時心の奥にうごめく何かに気づき、きっとその思いを抱きしめたくなるだろう。
さらに岡田監督は、ここにジェンダーレスの考え方も加えた。
本作の主人公は少年であっても、実際印象深かったのはすべて主に少女が登場しているシーンだったように思う。
あくまで印象的な話しでしかないが、この感覚に間違いはないと個人的には確信している。
ただ、本作を一度で理解するのは難しい。
もしかしたら何度観ても核心には迫れないのかもしれない。
それでも今、こういう時代に、このような表現は素晴らしいと感じる。
このような作品に挑戦し続けている岡田監督の姿勢に賞賛を贈らずにはいられない。
自分のことを知るためには、こういう作品が必要なのだと強く思う。
好き嫌いを確認するだけでいいから、一度だけても是非ご覧になっていただきたい作品である。
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