#172
心に沁みる名言
今日を精一杯生きるために…
明日ではなく今日。
今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。
まひろ(大河ドラマ「光る君へ」より)
大河ドラマ『光る君へ』第36回「待ち望まれた日」でのヒトコマ。
彰子はまひろを指南役に、唐の詩人・白居易(白楽天)の「新楽府」を学び始めた。
以前、まひろと一条天皇の間で話題になった「新楽府」の一節が気になった彰子。
それは「身分の高い低いでは、賢者か愚者かは計れない」という内容だった。
「新楽府」は民衆の歌という形を借りて社会批判や風刺を織り込んだ作品で、権力者サイドには耳に痛いものも多いのだが、彰子はだからこそ関心を持ったのだろう。
テキストで登場したのは、名君として知られる唐の太宗皇帝の統治がいかに立派だったか、という内容だった。
「太宗皇帝は戦上手なだけではありません。人に対して常にまごころを尽くしたので、人々の心は皇帝に付き従ったのです」。
まひろの解説に深く頷く彰子。
まひろは、この詩から「瑕※」に着目する。
「人の好き嫌いの心はとても変わりやすいもの。嫌いとなれば傷ばかり探し出します」と聞かされた彰子は、「私も間もなく、帝に傷を探されるのだろうか」と不安げ。
そこでまひろは「瑕、とは、大切な宝なのでございますよ」と諭し…。
※. [疵・瑕]
物がこわれ損じた所。また広く、不完全な所。欠点。
瑕こそ 人を
その人たらしめるものにございますれば
不完全な部分にこそ、その人の真実がある。
自分にとってイチオシの人やキャラクター(推し)を応援する活動全般を "推し活" と呼ぶ。
"推し活" の対象は、アイドルや芸能人、歌手、スポーツ選手、声優、YouTuberなどリアルに存在する人間だけでなく、アニメや漫画のキャラクター、Vtuberなど、現実には存在しない対象にも及ぶ。
たとえ現実には存在しない対象だとはいえ、推しとは総じて自分にとってのアイドル(「推しの対象」の意、以後同)なのである。
"推し活" と表立っては言わないまでも、誰の心の中にもアイドルが存在するはずだ。
それは憧れの対象であり、目標とする存在であり、時には恋愛対象にもなり得る存在なのだろう。
だが我々は、「アイドル」という言葉の持つ本来の意味を忘れてしまっているのではないだろうか。
「アイドル」という言葉は、英語の「idol」に由来し、その語源はギリシャ語の「エイドーロン」。
意味は「実体のない形」で、それが「神の偶像」を指すようになった。
元々は宗教的な意味合いでの「崇拝の対象」であり、「偶像」とも訳される「idol」という言葉には「盲目的に、むやみにあがめられる」ニュアンスが伴うこともある。
つまり「アイドル」とは、第三者あるいはセルフプロデュースされ意図的に祭り上げられ神格化された偶像なのであり、"推し活" とはその偶像を崇拝する行為なのである。
様々な媒体の中で活躍するアイドルは、その媒体内で醸成(プロデュース)されて偶像化する。
偶像化されたアイドルは、その輝かしい一点のみをことさら強調されて、いよいよ神格化に及ぶ。
だが我々が知るアイドルのその輝きは、その人のほんの一面でしかない。
本当の意味でその人を知ろうと思うなら、際立ったその一面よりむしろ、隠されたその他の部分の方が重要なのである。
そこにこそ、その人の本質がある。
しかし残念ながら日本人には、それが苦手なようである。
日本の教育では、長所を伸ばすのではなく短所を直そうとする減点方式の考え方が根強い。
小さい頃から短所を直さないといけないと植え付けられているため、人の短所を探してしまう癖が日本人には付いてしまっている。
この、人の短所を探してしまう癖というのが非常に厄介な代物で、先ごろ流行った「蛙化現象」もこの癖に起因している。
「交際相手などの嫌な面を見て幻滅する」という意味である「蛙化現象」は、木を見て森を見ずの行為に他ならない。
たとえばそれが個人間の話しならまだ良いが、「蛙化現象」の対象がアイドルへ向かうと事態は一気に深刻化する。
集団による「蛙化現象」は、同調圧力が強い日本社会において、相手の顔色次第で意見を覆したり、心にもないことに賛同してしまったりする「手のひら返し」を誘発する。
そして「手のひら返し」は伝播し、集団による誹謗中傷へと連動していく。
アイドルが、ただアイドルという役柄を演じ損ねたというだけで裏切り行為と糾弾し、よってたかって袋叩きにしてしまう。
それが自分勝手な妄想から生まれた、一方的で過度な期待だということを理解もせずに…。
人は完璧ではない。
必ずどこかに「瑕」をもつ。
そして人が生きる事とは、すなわち「瑕」を積み重ねる事なのである。
真剣に生きる人ほど、世間で注目を集める人ほど「瑕」とは無縁でいられない。
強烈な光ほど、より濃く影を落とす。
輝かしい一面はたしかに眩しく写るだろう。
しかし光だけ見ていては何も見えなくなってしまう。
光と影があってこそ、その姿形をくっきり映し出してくれるのだ。
減点方式でしか物事を考えられない人にとって、「瑕」とはただのマイナス要因でしかない。
だがもし「瑕」 をプラス要因として加点することができたなら、それこそ真の愛情ではないだろうか。
本来「瑕」とは近しい人になればなるほど、長く一緒にいる人になればなるほど愛おしくなるものなのだから。
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