#44
停滞する思考に一石を投じる苦言
声にできない本音を言葉に…
何かと生きづらい世の中で、思ってはいても言葉にできない声がある。
感じていても声にするのが憚られる言葉がある。
それは耳障りが悪く、心地良い言葉ではないのかもしれない。
だが言葉にされて、はじめて気づくこともある。
本稿で取り上げる言葉は、ひとつ間違えれば暴言とも受け取られかねないものだ。
しかし何かを変えるためには、声に、言葉にしてより多くの人に考えてもらうべきだろう。
本稿が停滞する思考覚醒へのキッカケとなることを切に願う。
久能整(映画「ミステリと言う勿れ」より)
久能整
19歳の大学2年生。
魚座。
ボリューミーな天然パーマの髪と仏頂面が特徴的な青年。
土日にはよくカレーを作る。
趣味は絵画鑑賞で特に印象派を好みグッズを集めている。
パワーストーンや星座に詳しい。
天然パーマは一応気にしている。
マフラーを巻いていることが多く、タートルネックも着用する。
大学では教育学部で、将来は教師志望。
「友達も恋人もいないが快適」に生きていて、基本的には1人で行動する。
好き嫌いが激しく、興味を持った人間には例え犯罪者であろうと積極的に話しかけるが、興味のない人間からは干渉されても無視したり冷たい態度をとる。
「僕は常々思うんですが」が口癖で、気になる事があると相手構わず思ったことを喋り出す。
記憶力と観察力、事実から推測する力に優れ、相手のちょっとした言葉のあやから心理を見ぬくのが得意。
意図的に相手を刺激して怒らせ、本音を引き出したりもする。
社会では「当たり前」とされている常識にも常に疑う視点を持ち、本人としては思ったことをそのまま話しているだけに過ぎないが、それが事件の真相解明に繋がったり、悩みを解決に導いたり、傷つけられた人の心を救ったりすることもある。
反面、思い込みやソースを確かめずに喋ることもあり、しばしば注意されている。
達観しているように見えて、精神的には非常に子どもっぽいところがある。
また人の癖を真似る傾向があり、犬堂我路からは「人をイラつかせるからやめた方が良い」と忠告されている。
思ったことをすぐに喋らずにはいられない性格と相まって、相手からは「うざい」「面倒くさい」は煙たがれることが度々ある。
映画『ミステリと言う勿れ』でのヒトコマ。
天然パーマでおしゃべりな大学生・久能整(菅田将暉)は、美術展のために広島を訪れていた。
そこで、犬堂我路(永山瑛太)の知り合いだという一人の女子高生・狩集汐路(原菜乃華)と出会う。
「バイトしませんか。お金と命がかかっている。マジです。」そう言って汐路は、とあるバイトを整に持ちかける。
それは、狩集家の莫大な遺産相続を巡るものだった。
当主の孫にあたる、汐路、狩集理紀之助(町田啓太)、波々壁新音(萩原利久)、赤峰ゆら(柴咲コウ)の4人の相続候補者たちと狩集家の顧問弁護士の孫・車坂朝晴(松下洸平)は、遺言書に書かれた「それぞれの蔵においてあるべきものをあるべき所へ過不足なくせよ」というお題に従い、遺産を手にすべく、謎を解いていく。
ただし先祖代々続く、この遺産相続はいわくつきで、その度に死人が出ている。
汐路の父親も8年前に、他の候補者たちと自動車事故で死亡していたのだった…
次第に紐解かれていく遺産相続に隠された<真実>。
そしてそこには世代を超えて受け継がれる一族の<闇と秘密>があった――― 。
"女の幸せ" とかにも騙されちゃダメです
それを言い出したのは
多分おじさんだと思うから
女の人から生まれた言葉じゃ
きっとない
女性をある型にはめたるために
編み出された呪文です
だって "男の幸せ" って言い方は
されないでしょ
片方だけあるのは
やっぱりおかしいんですよ
ただのおじさんの意見や感想が
自然の摂理や事実みたいに言われてしまってるんです
赤峰ゆら:たしかに
"女は愛嬌" "女の武器は涙" "女の友情は脆い"
どれもこれも男の感性か願望でしかないもんね
はい
世の中に残っているそういう言葉は
おじさんが言ったものがほとんどで
おじさんの趣味と都合が隠されている
魂の不死を論じたプラトンや、「私」という存在を考察したデカルト。
言語を巡る革新的な哲学を展開したウィトゲンシュタイン。
「普遍的な人間の問題」を扱ってきたとされる哲学だが、代表的な哲学者には男性が多い。
哲学の著作は男性によって近年まではほぼ独占され、"人間" についての探究をするから普遍的だという看板の下、偏った議論を展開してきた。
哲学の歴史では、さも男性は中性であるかのように普遍的真理を探究し、女性にだけ性的なものを割り当ててきたのだ。
これは学問の中でもっとも長い歴史を持つ分野のひとつともいえる哲学の世界で、連綿と性差別的な構造は温存されてきたことを意味する。
森羅万象を対象とするはずの哲学に潜むジェンダー格差。
それが「有害な男らしさ」という概念を生み出すこととなる。
「有害な男らしさ」とは、「男は強くたくましくあるべき」など偏った男らしさの規範を設定し、それに背く行動や思想、表現を排斥すること。
あるいはそうした負の側面を持つ男らしさの規範そのもの。
一般的に男性の多くは、子どもの頃「男の子なんだから泣くな」「男なら弱音を吐くな」などと教えられる。
また、周囲の大人の会話からジェンダー規範を学び、その刷り込みが是正されないまま、「有害な男らしさ」を宿していく。
大人になってからも、「一家の大黒柱であれ」や「男は仕事をするべき」という偏った意見がはびこる社会によって、ステレオタイプな「男らしさ」に縛られてしまう。
そういった規範に縛られながら生きることは、あるいは楽な生き方なのかもしれない。
道なき道を自由に歩くより、すでにある道を歩いている方が圧倒的に楽ではある。
だがそれは、思春期の頃に感じたつまらない大人の姿そのものだとは思わないのか?
我々はつまらない大人になりたくないと思いながら、いつの間にかつまらない大人の仲間入りをしてしまっているのではないだろうか。
「男性らしさ」「女性らしさ」という、身体的なジェンダーによってカテゴライズされるような固定概念は取り払い、互いの個性を尊重しあうような社会を築き上げていく。
幸いにも、ジェンダー平等(【性別に関わらず、平等に責任や権利、機会を分かち合い、あらゆる物事を一緒に決めること】)という考え方が浸透しつつある現代。
今こそ伝統とか慣習とか普通という名の偽りの正当性で人を縛りつけようとする古い時代の古い人間たちの呪縛から、我々は解放されるべき時なのかもしれない。
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