楢柴肩衝の話を書いたらなんだかノってきた。
もうひとつ勢いで書いておこうと思う。
古来より、政治と宗教は強く結びついている。
もちろん日本だけの話ではない。
他に救いを見い出せない民衆は神や仏の教えに縋り、崇め、畏れるが故に、宗教勢力の影響力は絶大だ。
だから宗教は人々の生活にも密接に結びついていた。
しかし人の心に宿るはずの信仰にはどうやら金の匂いがするらしい。
それは現代でも変わらないが、面倒くさいのでまぁ現代の話はヤメておこう。
織田信長が生きた時代は今とは比べものにならないほど宗教の影響力が強かった。
当時の宗教の役割は鎮護国家。
仏の教えで都を護るというのが主な役目で、だから都で何か悪いことが起きると宗教の力を借りておさめる、という具合だ。
無宗教・無信心の現代人にとっては子供騙しであるが、他に手立てがないから宗教に頼る部分が大きくなる。
当然、影響力は強くなる。
朝廷から広大な寺領を拝領し、そこから吸い上げる金銭でブクブク肥えてゆく。
ザクザク集まってくる金はさぞや膨大だったことだろう。
美食も美酒も美女もナマグサには関係ない。
なんだって揃う。
よほどの徳でもない限り、人間の欲には際限がないらしくいつまでもどこまでも欲しがる。
結果的には神(仏?)の御名の元に欲深い人間が蔓延る。
世界は自分たちの思いのままだ。
政治だって思い通りになった。
都を護っているのは誰だと思っている。
勘違いした俗物どもが、あたかも己が神の如く振る舞う。
もし自分たちに都合の悪い政治が行われても、僧兵を仕向ければ事は万事都合良く収まった。
脅迫じみた圧力で自分たちの思い通りに政治を操っていた。
そのような古来からの悪習に、日本史上初めてメスを入れたのが織田信長であった。
ちなみにいくら織田信長といえど、何もいきなり比叡山を焼き討ちしたわけではない。
各宗派にそれなりの寄進もしているし、比叡山には焼き討ち以前に宗教の公平性を保つよう再三再四申し入れている。
図に乗って聞き入れなかったのは比叡山の方だ。
織田信長自身は無神論者であったと思われるが、信仰自体を否定したことはない。
抵抗しなければ擁護すらした。
そんな信長の再三の忠告を無視し続けた比叡山は織田軍によって焼き討たれる。
これが日本史上初めて政教分離が成された瞬間だ。
神仏を畏れない信長の所業は信仰心のあった当時の人々にさぞや恐れられたことだろう。
しかし超合理主義者で無神論者の信長は偶像崇拝にも関心はなかったと思われる。
信長にとっては比叡山焼き討ちも、ただ軍事戦略上行った軍事行動ひとつでしかなかった。
現代でもそうだが宗教が政治に口出ししてくるとロクなことがない。
人の心は弱い。
人の心の弱さにつけ込めば人心掌握も容易い。
しかしそんな教えに真実の救いがあるとは思えない。
宗教を否定する気はないが、一部のそういったやり口には心底反吐が出る思いだ。
本当に罪深い人間ほど軽々しく神の御名を口にするのかもしれない。
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