たしかに言霊は存在する。
しかし言霊について書く前に、ことわざや故事に傾倒した時の話をしておこう。
ことわざや故事にこそ、成り立ちの理と美に溢れている。
例えば《五十歩百歩》という言葉。
正確には日本のことわざではなく中国故事になる。
もちろんご存知だろうが【似たりよったり】という意味だ。
しかし五十歩百歩がなぜこういう意味になったのか成り立ちを正確に答えられる人がどれだけいるだろう?
「五十歩も百歩も似たりよったり」では満点解答とは言えない。
成り立ちの背景にはこんな物語がある。
戦で逃げ出した二人の兵士が「俺は五十歩しか逃げていない」「いやお前は百歩逃げた、俺こそ五十歩しか逃げていない」などと言い合っていた。
この言い合いを聞いていた別の兵士がこう言った。
「そもそも逃げ出したことには変わりないではないか。」
実はこの話は、五十歩やら百歩やらと歩数の差を論じているのではなかったのだ。
このように成り立ちの経緯を知ると言葉がずっと面白くなる。
《矛盾》という言葉がある。
この言葉の成り立ちは簡潔な上に理も美もあるからかなり面白い。
最強の矛と最強の盾。
両方売っていれば、なるほどそれこそ矛盾だわ。
ここまでくると些細な言葉の意味にも興味を持つようになってくる。
ひょんなことから《向日葵》(ひまわり)という漢字の成り立ちを調べる羽目になった。
皆さんは《向日葵》という漢字を見て不思議に思ったことはないだろうか?
一般的な日本人の感覚なら "日に向う葵" なんだから〈日向葵〉になると思わないだろうか。
この時点でレ点が入る漢文が出典元になっているだろうことは推察できる。
実際、日本語の《向日葵》は「ひまわり」の中国名をそのまま引用したようだ。
しかし詳しく調べてみると【向レ日葵 : 主君を仰ぐ】という意味もあることがわかった。
むしろこちらの意味の方が先に存在したのではないだろうか。
花に命名する遥か昔から「向レ日葵」という言葉が存在していて、それは忠義心に篤い人物を意味していた。
太陽に向かって咲くひまわりの花を見た先人が、まるで「向レ日葵」のようだと当て字したのではないかと著者は考えている。
いくら調べてもこの推理に確証は得られなかった。
しかしこういうエピソードがあるとすれば素敵ではないか。
明日から使える素敵なエピソードなら他にもある。
なぞなぞみたいで本稿の意図するものとは多少方向性が変わるが良かったら考えてみて欲しい。
問題。
『愛の先には何がある?』
答えを聞けばくだらなくも、なるほど素敵と思ってもらえるはずだ。
答えは『恩』。
なぜかって?
五十音順で先頭の「あい」の先にあるものといえば、同じく五十音順で最後尾の「をん」になる。
現代では「を」と「お」に発音の違いはないから、「あい=愛」の先にあるものは「おん=恩」というわけだ。
くだらないと思われたかもしれない。
しかしこんな屁理屈にも意味がちゃんと伴っているところが凄い。
何より愛の先にあるものが恩だなんて、何だか人生の真理っぽくていいじゃないか。
ささやかな言葉遊びにも美しさが溢れている日本語は、言語として相当優秀な部類に入るのではないだろうか。
日本人が母国語である日本語に誇りを持たなくてどうする。
日本語には日本人すら気づかない素晴らしい魅力に溢れている。
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