ラジオ番組
赤坂泰彦のMillion Nights
ラジオの素晴らしさを教えてくれた始まりの番組
『赤坂泰彦のMillion Nights』とは
『赤坂泰彦のMillion Nights』(以下、ミリオンナイツ)は、TOKYO FM及びJFN系列で放送されていたラジオ番組である。
放送期間は1993年4月1日 - 1997年9月30日。FMナイトストリートで実績を積んだ赤坂泰彦氏が全国ネットのメインDJとして登板。
23時以降は赤坂以外が担当することもあった。
ちなみに一時期はB'zも担当している。
コンテンポラリー・ヒッツ(ヒット曲、とりわけジャパニーズポップスと呼ばれたJ-POP)へのリクエストが多い一方でビートルズなどのオールディーズ、コミックソングや異色の楽曲を積極的に流すなどといった試みが取られ、まりちゃんズの『尾崎家の祖母』のリバイバルなどは特筆事項のひとつであろう。
関連して、「うさんくさいポップス」やCHAGE(CHAGE&ASKA)との間で互いに放送されたくない自身の楽曲を巡る争いなど、ドキュメントバラエティさながらの展開で番組を盛り上げた。
いわゆる「深夜ラジオ」のノリをFMに持ち込んだものともいえ、FM放送のメディアとしての幅を広げ10代を中心に人気を博した。
通史的に見れば、既にJ-POP中心選曲に移行していたJFNとTOKYO FMが「トークラジオ」への脱皮を模索する時期に放送された番組の一つでもある。
1997年9月30日に4年半の放送に幕を下ろしている。
うさんくさいポップス
毎週火曜日の23時台に、「誰が、いつ、どこで、何のために歌ったのかわからない、とにかく胡散臭い曲」を「うさんくさいポップス」として紹介していた。
コーナーテーマ曲は松本浩とブルー・ナイツの『いとしのマックス』。
かかった曲はJRN系『コサキンDEワァオ!』の「コサキンソング」と相通ずるものがあるが、曲や歌手作詞曲家の詳細に触れることは一切なかった。
実際コサキンソング・うさんくさいポップス両方に認定された曲もあった。
このコーナーの底本としては幻の名盤解放同盟編纂の『幻の名盤解放歌集』、コモエスタ八重樫編纂の『東京ビートニクス』などのCDがあげられる。
曲がかかっている最中に赤坂氏がひたすら突っ込むのもコーナーの売りであり、特に子供が関与している曲に対しては極度の嫌悪を示しており、「生意気」「ませてんじゃねえよ!」「早く家に帰って寝ろよ!」「ざまあみろ!」などと一貫して罵倒していた。
「うさんくさいポップス」の特徴としてはリスナー投稿も受け付けていた点にあっただろう。
ただしコーナー内では、はがきによる投稿しか採り上げず、ランキングに対する投稿も、すべてはがきでしか受け付けないという徹底ぶりだった(その代わり、オンエア直後の曲に対する感想はFAXで募集し、エンディングまでのわずかな時間で採り上げていた)。
また、1997年2月からはリスナーによる投票をもとにランキングを作成し曲紹介の前に発表。
当初はわずか2曲のランキングだったが週を追うごとに増加。
一時中断を挟んで、ベスト5を発表する形で4月から最終回の9月まで継続した。
ちなみに、赤坂は現在もこのコーナーに思い入れがあるのか、公式ホームページ内のインターネットラジオ『da Radio Magic』のエンディング(ラジオのチューニング音)に、このコーナーでオンエアした曲を数曲ミックスしていた(2015年の時点ではエンディングが変更され、このミックス曲は使われなくなっている)。
CHAGEのラジ王との「対決」
当番組の放送当時、日本における商業FM放送発足以前からの長寿番組である0時からの『ジェットストリーム』を挟んで、25時から『ラジ王』というFM深夜番組があり、その火曜日担当であり、トップミュージシャンであるCHAGEからの「抗争」も、当番組を盛り上げる一因となった。
そもそもの原因は、当番組の火曜のコーナー内で、リスナーからのリクエストにより、以前に石川優子さんとCHAGEがデュエットした『ふたりの愛ランド』を放送したことにある。
この曲をあまりかけて欲しくないCHAGEは、『ラジ王』内で、やはり以前に赤坂氏が所属していた東京JAPの『摩天楼ブルース』や『熱風ラプソディ』をかけ「対抗」した。
さらに「対抗」として赤坂氏が、TOKYO FM局のレコード室に収蔵の東京JAPのレコードを全て隠すなどといった「実力行使」に及び、それに対しCHAGEが「リスナーである中高生の教育上よくない。借りたものは使い終わったら返しなさい」と放送中に述べたり、さらには、TOKYO FMの「社長」や「編成部長」を名乗り(実際は赤坂氏による)、CHAGE宛に怪電話や怪文書が届くなど、様々な、ある種の「アングル」っぽいやりとりが行われた。
こういった「'90年代のFM深夜番組文化」の流れの中で『ふたりの愛ランド・CHAGEさんバージョン』という曲まで生まれている。
曲中のCHAGEのパートだけを抜き出し、さらに「夏」という単語をしつこく繰り返させる編集を加えたものであり、この対決を象徴する歌となりリクエストも殺到した。
こういった「抗争」の結果、火曜日『根本要のRumor Show』の最終回の日には、全編根本氏と赤坂氏の二人で進行していたが、CHAGEがオンエア中に「乱入」し、激しいトークバトルが展開されている。
赤坂氏は当番組を交代後、約20年後に担当することになったエフエム愛知(@FM)の番組で、@FMの別の番組にゲスト出演するCHAGEに対し悪戯じみたメールを送るようリスナーに指示を出すなど、両者の「対立関係」は今も続いているようである。
ミリオンナイツ発の異色ヒット曲
ふざけた曲を流行らせることにかけて、ミリオンナイツは超一流だった。
一番のヒット曲といえば、おそらくまりちゃんズの『尾崎家の祖母』だろう。
今どきのコンプライアンスならバリバリ抵触しそうな気がする、相当ふざけた曲である。
まりちゃんズの『尾崎家の祖母』に負けず劣らずだったのが、MEN'S 5 の『“ヘーコキ”ましたね』。
コンプライアンス的には平気なような気がするが、こちらも相当ふざけた楽曲である。
こんな曲が流れるたびに喜んでいた、青い時代の思い出。
ちなみに、赤坂泰彦氏はこの曲の合間合間にいちいち「CHAGEさん」と囁いていた。
ミリオンナイツで一番の思い出
今でも鮮明に覚えている。
ミリオンナイツで一番の思い出といえば、1994年4月21日に「プロジェクト終了」宣言し同年5月18日・19日のライブ『TMN 4001 DAYS GROOVE』をもって10年に渡る活動を終了したTMNが、ライブ終了直後に番組へ駆けつけてくれた時のことだ。
正真正銘、TMN3人での最後のメディア出演。(※再始動後はカウントしない。)
TMNの音楽が本当に好きだった。
B'zを好きになったのも、もしかしたら自分の中の根底にTMNの音楽があったからなのかもしれない。
何故ならB'zの松本孝弘氏はTMNのバックバンドだったから。
TMNの代表曲『Get Wild』の、ギターを担当していたのも実はB'zの松本孝弘氏。
自分で選んだ音楽を聴くようになってから、常にTMNの音楽が傍らにあった。
TMNがテーマ曲を手がけたアニメ『シティーハンター』も大好きだったし、小室哲哉氏単独で楽曲を提供した映画『天と地と』も大好きだった。
著者の音楽遍歴はTMNから始まったといっても過言ではない。
そんなTMNが活動を終了する、まさにその日の最後の時に、これまた大好きなラジオ『赤坂泰彦のMillion Nights』に出演してくれたのだった。
ライブ終了直後の出演だから長時間の出演は叶わなかったが、ライブに行けなかったファンにとっては、とても貴重な時間を過ごすことができてとても嬉しかった。
番組の好き嫌いだけでなく、ラジオまるごと大好きなるにはこれだけで十分だ。
番組を去る前に、最後にTMNの3人で曲フリをしてくれた。
これだけでも涙ものだ。
しかも曲は名曲『Nights of The Knife』。
デビュー10周年と同時に「TMN終了」を各種メディアにて一斉発表した日にリリースされたシングルである。(なお、この時点ではラストシングルであった。)
情報化が進んだ今の社会では、こういう時に使うツールが、別にラジオじゃなくても構わないのだろう。
ピンポイントでファンに直接伝えることができるツールの方が、こういう時は好まれるのかもしれない。
だが何度もいう通り、ラジオにはあたたかさがある。
ファンではない人が聴いて、メッセージをくれる。
ファンもファンじゃない人も関係なく、TMNの活動終了を惜しんでくれたラジオ。
これからもずっと聴いていこうと思う。
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