其の十三
美しき日本語の世界。
「おあとがよろしいようで」の真意
2018年平昌オリンピックスピードスケート女子500メートルで、悲願の金メダルを手にした小平奈緒選手。
同種目五輪3連覇が期待された韓国代表のイ・サンファ選手を下しての優勝となった。
この時、小平奈緒選手は14組。
ライバルの韓国のイ・サンファ(李相花)選手は次の15組。
オリンピック記録をマークした小平奈緒選手だったが、その後の行動が全世界の人々をさらに驚嘆させた。
静かに! というジェスチャーをしたのである。
おそらくは、次に控えているイ・サンファに対する最大の配慮だったのだろう。
自分は今オリンピック記録を叩き出したけど、次のサンファにもベストを尽くしてもらいたい。
ベストを尽くすためには平常心でいることが肝要だ。
そのためには観衆のドンチャン騒ぎを収めなくてはならない。
そんな思いで、静かにしてほしいというジェスチャーをしたのだろう。
観衆も小平奈緒選手のその合図をすぐ受け止め、会場は静寂を取り戻し、イ・サンファ選手は完璧の状態でスタートできた。ーーー
この記事を読んで、落語の「おあとがよろしいようで」という言葉を思い出したよ。
そう言ったのは、読者が趣味の博識の知人だった。
小平奈緒選手は、自分がオリンピックレコードを出して会場が拍手喝采で沸いたとき、唇に人差し指を当て、「シーっ」というジェスチャーをみせた。
次に走る選手のレースのために「皆さんお静かに」という合図である。
それが、落語家の常套句とどんな関係があるというのだろう。
彼は言う。
落語家が噺の最後に用いる 「おあとがよろしいようで」ってね、私も間違えて解釈してたんだけどね。
本当はオチがうまくいったという意味じゃなくて、次の高座に上がる人の準備が整ったので私はここで終わりにします。
自分などより、次の方の噺のほうが素晴らしいのでどうぞお楽しみに、っていう意味なんだよ。
あぁ、小平選手の「シーっ」ていうスポーツマンシップと同じだなぁって思って。
自分を一段下げ、次の人に花を持たせる。
なんて日本人らしい、慎ましくて奥ゆかしい心のあり方だろうと心に響いた。
落語好きを自称しておきながら、恥ずかしながらこれはまったく知らなかった。
よく考えてみれば、「自分の話のオチがうまくいったようで」などとご満悦で噺をまとめるような野暮なスタイルは、日本人の気質に合わない。
すると、落語が始まったといわれる元禄期から300年余の間、脈々とその慎ましい精神は受け継がれてきたことになる。
なんと素晴らしい文化ではないか。
粋な心遣い
こんな話もある。
ある男性アナウンサーが、後にライバル局のアナウンサーとなる男性と学生時代にテレビ局の就職試験の待合室で、隣りあった時の話をしていた。
対抗心で、ひとことも口をきかずじっと待っていた。
ところが、先に彼が面接に呼ばれると、穏やかに微笑み「お先に」と言われた。
あぁなんて大人なんだろう、その瞬間に彼に負けたと思った。
結果、彼が受かり、当人は別の局アナになったという。
お先に。
おあおとがよろしいようで。
皆さんお静かに。
このような粋な気遣いは、一朝一夕では身につくまい。
しかしそれを心に留めておくか否かで、人としての佇まいは変わるような気がする。
あなたは次の人のために扉を開けておくぐらいの気遣い、できていますか?
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