#133
心に沁みる名言
今日を精一杯生きるために…
明日ではなく今日。
今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。
高槻耕史(「ドライブ・マイ・カー」より)
ひそかに妻と寝ていたかもしれない高槻に、家福は夫婦の秘密を明かす。
妻の音には、別に男がいた。
音との日々の暮らしは、とても満ち足りたものだと自分は思っていた。
しかし妻は自然に夫を愛しながら、夫を裏切っていた。
夫婦は誰よりも深くつながっていたが、妻の中には夫が覗き込むことのできない黒い渦があった。
かつてワーニャ役で名声を得ながら俳優としてのキャリアを中断したのは、チェーホフの戯曲が要求する「自分を差し出すこと」に耐えられなくなったからだ。
家福は、そう高槻に話す。
この告白をきいて、高槻も音から聞いたという物語を語り始める。
それは、音が家福とのセックスのさなかに語った物語の続きだったが、家福が知っていたよりも陰惨で不思議な内容だった。
恐ろしいことが起きたのに、しかもそれは自分の罪であるのに、世界は穏やかで何も変わっていないように見える。
でもこの世界は禍々しい何かへと、確実に変わってしまった。
高槻は音からきいたそのような物語を、みさきの運転する車の中で、家福へ向かって語り続ける。
高槻は最後にこう語る。
(でも)
どれだけ理解し合っているはずの相手でも
どれだけ愛している相手でも
他人の心をそっくりのぞき込むなんて無理です
自分がつらくなるだけです
でも
それが自分自身の心なら
努力次第で
しっかりとのぞき込むことはできるはずです
結局のところ
僕らがやらなくちゃならないことは
自分の心と上手に
正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか
本当に他人を見たいと思うなら
自分自身を深く
まっすぐ見つめるしかないんです
僕はそう思います
映画『ドライブ・マイ・カー』がどんな作品なのかを端的かつ的確に言い表している名言。
激しく同意である。
当ブログでも何度か記したが、著者も常々、人は完全には理解りし合えないと考えている。
もし、あなたが他人を理解できると思っているのなら、それは傲慢な考え方だと知るべきだ。
誰だって秘めた自分を隠している。
あなたが知る、あなたの大切な人は、あなたの中で構築された理想像に過ぎない。
あなたが理解していると思い込んでいるのは、その人のほんのイチブでしかないのだ。
では我々にできることは?
もちろん言葉通り、深く内省することだが、ではなぜ相手にではなく自分なのか?
それは相手がたとえどんな姿だったとしても、すべてを受け入れる覚悟を自分の中に見出す必要があるのだと、著者は思う。
そのためにも自分自身を深く深く、まっすぐ見つめるしかないのである。
詰まるところ、愛とは相手次第の感情ではなく自分の中から湧き出る感情なのだろう。
自分自身と向き合うことこそ、愛する相手と真に向き合うことなるのだ。
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