日本映画
峠 最後のサムライ
『峠』とは
『峠』は、司馬遼太郎先生の長編時代小説、及びその映像化作品。
1966年(昭和41年)11月から1968年(昭和43年)5月まで「毎日新聞」に連載され、1968年10月に新潮社で刊行。
それまでほとんど無名に近かった幕末から戊辰戦争時の越後長岡藩家老・河井継之助の名を、一躍世間に広めることとなった歴史小説である。
近代的合理主義を持ち、時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、「藩」や「武士」という束縛から自己を解放するまでには至らず、最後には武士として、長岡藩の家臣として、新政府軍に対抗する道を選んだ英雄の悲劇を描く。
『峠』の連載に先立って1964年(昭和39年)1月には「別冊文藝春秋」に河井を主人公にした短編小説「英雄児」を発表している。
また、同時期の類似テーマを扱った作品として、同年翌2月には「小説新潮」に大村益次郎を主人公にした短編「鬼謀の人」が発表されており、後に長編小説『花神』として連載されている。
2022年には『峠 最後のサムライ』のタイトルで映画版が公開された。
映画『峠 最後のサムライ』とは
『峠 最後のサムライ』のタイトルで映画化。
前述の通り、大河ドラマ『花神』にて、明治維新前後の日本を描いた司馬先生の原作5作品の1つだったことはあったが、本作品そのものを単独で映像化するのは今回が初となる。
当初は2020年9月25日に公開が予定されていたが、新型コロナウイルスの影響で2021年7月1日公開予定に延期となった。
しかし同年5月24日に再び延期が発表され、計3回の延期を経て2022年6月17日に公開された。
あらすじ
<敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ "最後のサムライ">
慶応3年(1867年)、大政奉還。
260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。
越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。
戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。
だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。
継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。
妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。
河井 継之助
河井 継之助〔かわい つぎのすけ、正字体:繼之助、文政10年1月1日(1827年1月27日) - 慶応4年8月16日(1868年10月1日)〕は、江戸時代末期の武士。
越後長岡藩牧野家の家臣。
「継之助」は幼名・通称で、読みは郷里の新潟県長岡市にある河井継之助記念館は「つぎのすけ」とするが、死没地である福島県只見町の同名施設は「つぐのすけ」としている。
諱は秋義(あきよし)。
号は蒼龍窟。
禄高は120石。
妻は「すが」。
戊辰戦争の一部をなす北越戦争で長岡藩側を主導したことで知られる。
官軍ではなく西軍と表現した司馬遼太郎の真意は?
本作の舞台は幕末の長岡。
おまけに、もし藩領が戦火に巻き込まれれば、民への被害は計り知れない。
結果的に長岡藩は中立の立場を保とうとする。
しかし西軍は長岡藩を許すことなく、藩領は戦火に巻き込まれていく…というストーリー。
幕末を題材にした時代劇ではありがちな展開ではあるが、ここまでの説明で従来の "ありがち" ではない表現があったことにお気づきだろうか?
従来の幕末時代劇では、薩長土肥を中心とした討幕軍を官軍と呼称するのが常である。
しかし本作では、わざわざ西軍と呼称している。
ちなみに対する幕府軍を東軍と呼称。
これは、歴史好きにとっては非常に興味深いことである。
考えられる理由はふたつ。
ひとつ目は、関ヶ原を擬えた可能性。
西軍の中心だった薩長は関ヶ原でも西軍に与していたことから、本作でも西軍と呼んだのではないか?と、推察できる。
ふたつ目は、薩長土肥連合を官軍だと認めていない可能性。
官軍とは義軍でなければならない。
では、薩長土肥連合が果たして義軍だったのかといえば、実情はそうでもない。
旗印にしていた錦の御旗は偽造(当初は)だったし、降伏を許さない非道さは義軍のそれとは程遠い。
本作は幕府軍の視点で描かれているから前者の可能性が非常に高いが、もし後者の理由だったとしたなら、著者が本作を観て得た印象(後述)は間違いではなかったことが証明される。
…のだが、残念ながら真実はわからない。
忘れ去られた「忠」と「義」の精神
儒教における八種の徳である、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌。
なかでも古来より日本人に最も尊ばれたのが「義」と「忠」ではないだろうか。
すなわち、忠義の精神である。
「義」とは、人間の行動・思想・道徳で、「よい」「ただしい」とされる概念である。
義人とは「堅く正義を守る人。わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人」(広辞苑第6版)。
対義語で、行動・志操・道徳が「わるい」「よこしま」を意味する概念は「奸」(かん)という。
「忠」とは、心の中に偽りがないこと。
主君に専心尽くそうとする真心。
現代では主君という概念がないので、「忠」の主な精神である「主君に専心尽くそうとする真心」は、もはや消え失せたといってもいい。
なかには、いまだに会社や組織に全身全霊忠節を尽くす人もいるのだろうが…。
故に、本稿における「忠」の精神は「心の中に偽りがないこと」の方に重きを置く。
さて、本作で描かれるのは天皇・徳川両家への忠義に揺れる長岡藩の姿。
損得勘定でしか動かない現代人にとって長岡藩の決定は、滑稽で理解し難い反応なのかもしれない。
誰だって、負けるとわかっている勝負に命を賭けるなんて御免だ。
長岡藩内だって、そう考える人間は少なからずいただろう。
しかしそういう考え方が大半を占めたなら、戊辰戦争で徳川家に味方する藩は一藩たりともなかったはずだ。
しかしそうはならなかった。
義理とか御恩といった考え方が、ちゃんとまだ機能していたからだ。
それはもはや意地や矜持といってもいいのかもしれない。
その根底にあるのが「義」と「忠」の精神なのだ。
本作では、現代の日本人が忘れ去ってしまった「義」と「忠」の精神を十二分に感じさせてくれる。
そして、どちらも古来より日本人が大切にしてきた精神である。
義理や御恩のみならず、意地や矜持の心すら忘れてしまった現代の日本人。
昔の人がみたら、どれほど情けない姿に映るのか。
日本人としての誇りを取り戻すためには、もはや歴史から学ぶ以外に手はないような気がする。
果たして明治維新は正しかったのかという疑問
そもそも論として、果たして明治維新は正しかったのか?
それが本作を観終わった著者の印象だった。
少なくとも、幕藩体制については外圧の強まりを鑑みる限り、もはや維持は不可能だっただろう。
しかし内乱を起こしてまで討幕する必要が、果たしてあったのかどうか。
現代日本の社会は、実はいまだにこの明治維新を引きずっていると著者は考えている。
旧長州出身の故安倍晋三氏が歴代総理大臣最長在任期間を誇れたのも、明治維新の賜物であり、延長線上の出来事なのである。
そして今なお門閥政治が続く日本の政界には、革命を夢見た頃の崇高な意志など一片も存在しない。
そのせいか、史家の間ではこれまでの旧態然とされてきた徳川幕府の評価が軒並み改められている。
一般的には不人気の徳川家康も、経営者の間では人気の偉人になっている。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
この言葉を今、痛いほど噛み締めている。
現代人は、今こそ歴史に学ぶべき時なのかもしれない。
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