其の四十二
美しき日本語の世界。
実は大切な言葉を省略している日本語
別れる時の挨拶である「さようなら」。
実は大切な言葉を省略している日本語のひとつだということをご存知だろうか。
現在では「さようなら=別れの言葉」として認識されているが、そもそも「さようなら」という言葉自体に別れの意味はない。
元になっている言葉は「然(さ)あらば」という古語。
これは「さやう(さよう)ならば」と同義で、「そうであるならば」という意味で用いられていた。
この「さやうならば」は、武士の挨拶として遣われており、正しくは
「さやうならば、御暇仕らん(さようならば、おいとま つかまつらん)」
と遣われていた。
これは「それならば、帰りましょう」という意味だが、正確に訳すと「それならば(あなたにやむを得ない用事があるならば)私は帰らせていただきましょう」となる。
現代風に言い換えると、「それでは、失礼いたします」といった感じ。
この「さやうならば」の「ば(接続助詞)」と、「御暇仕らん」の部分が省略され、今の「さやうなら」になったというわけである。
ちなみに、同義の「さあらば」が言い縮まって「さらば!」となった。
本来なら名残惜しい、別れるから悲しい、今は別れるけど良い別れだよ、もう一度会おう、などなど、奥深い言葉であるはずの「御暇仕らん」が実は省略されているという事実。
知らない人が意外と多い。
広く知られている省略された言葉といえば、関西弁の「おおきに」もそれに当たる。
「おおきに」は、多くの京都人が頻繁に遣い、現代でも大切に使い続けられている「京ことば」のひとつである。
しかしそもそも「おおきに」とは、「大いに」や「たいへん」を意味する言葉で、話し言葉として遣われるときには、「おおきにありがとう」の「ありがとう」が省略されているのだ。
このようにルーツを辿ると、日本語とは大切な言葉を省略する言語だということがよくわかる。
日本人に多くみられる "言わなくても伝わる" といった考え方も、そういった日本語の特徴に起因しているのかもしれない。
日本人の奥ゆかしさもまた然り。
だがしかし、"秘すれば花" も遣い方次第。
言葉にしなくては伝わらない想いや、言葉にしてほしい想いがたくさんある。
TPOをわきまえて、言葉は上手く遣い分けよう。
☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎