【アニメ界「特殊能力編纂の歴史」】
荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』の "スタンド能力" は冨樫義博『幽☆遊☆白書』で "領域(テリトリー)" の概念が加わり『HUNTER×HUNTER』の "念能力" により発展し芥見下々『呪術廻戦』の "領域展開" へ
『ジョジョの奇妙な冒険』の "スタンド能力"
"スタンド" とは、『ジョジョの奇妙な冒険』第3部以降に登場する能力。
漢字では「幽波紋」と表記される。
「超能力」の概念に像を与え、具現化・擬人化した存在。
側に立ち現れる姿は背後霊を思わせる。
その外見は個々によって様々だが、召喚獣や怪人とでも呼ぶべき異形のものが多い。
従来の「超能力で遠くの物を壊す」描写が、「スタンドの像が遠くの物をぶん殴る」という描写に置き換わっている。
名前の由来は、第3部では "傍に立つ" (Stand by me)という意味からで、第7部以降の世界では "立ち向かう" (Stand up to)という意味から。
"スタンド能力" は、漫画分野においていわゆる「異能力バトル」の先駆けといえるパワーシステムである。
この偉大かつ画期的な概念の発明は、「現在のバトルマンガは全て『ジョジョ』の影響下にあると言っても過言ではない」「能力バトル漫画の金字塔」とまで評されるほど、漫画・アニメ・ゲーム・ラノベ界など様々な分野に絶大な影響を与えた。
スタンドの基本的な定義
【スタンドの姿はスタンド使いでなければ見ることは出来ず、スタンドに干渉できるのはスタンドのみ】
- ただし物質と同化するタイプのスタンドに対しては、誰でも目視可能で、何でも干渉できる。
【スタンドにはその持ち主である「本体」がいる】
- 殆どは人間だが、人間以外の生物、さらには植物や無機物が本体となる場合もある。
【スタンドは1人につき1体、1種類である】
- 外見上複数体存在する(1組)場合もある。ただし、極めて特殊な状況下おいては、2種類以上の全く別のスタンドを駆使する事もある。
【スタンドと本体のダメージは連動する】
- 物質と同化するタイプや自動操縦型の場合はこの限りではないが、スタンドへの攻撃によって本体が負傷・絶命させられる場合が多い。本体が死ぬ・気絶するなどで無力化されればスタンドも消滅する事が多い。
【スタンドは1体につき1つ特殊能力を持つ】
- 能力は本体の精神的才能に基づき、精神が成長すればスタンドも成長・変化する場合がある。自動操縦型を除き、スタンドのパワーと射程距離は基本的に反比例する。力の強いスタンドは本体から遠いほどパワーが落ちて、離れられる距離≒射程距離も短い。
※上記はあくまでも原則であり例外も存在する。
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『幽☆遊☆白書』の "領域(テリトリー)"
"領域(テリトリー)" とは、『幽☆遊☆白書』魔界の扉編(仙水編)に登場する能力者の能力の有効範囲のこと。
これを敷く事で各人の能力が発動する。
なお、霊感のあるものや能力者は領域に入ると分かるらしい。
蔵馬曰く「異空間に迷いこんだような違和感」とのこと。
『幽☆遊☆白書』の世界には、人間界、霊界の他に妖怪達の住まう「魔界」が存在する。
この魔界と人間界の間にある、2つの世界を隔てる「界境トンネル」の結界が薄くなると、魔界からのエネルギーが人間界に影響を及ぼす。
それにより、通常の人間にも特異な能力を持つ者達が存在し始める。
この人々を作中では「能力者」と呼称していた。
なお、能力が発現する何日か前に強い目眩や吐き気に襲われた後に能力者となる。
能力の種類はその人間の生い立ちや性格、思い入れにより決まる。
能力名の基本は全て、漢字名にフリガナとして英名が付く。
基本的に霊能力の一種であるため、能力者となった者は妖怪などの普通の人間には視れないものも視えるようになる。
能力の実態は、魔界との境界が薄れることで起こりうる脅威から身を守るための力。
直接的な戦闘力が低い能力が多いのも、あくまでも「自衛のための力」である事の現れである。
ただし『ジョジョの奇妙な冒険』の "スタンド能力" のような擬人化された描写は(ほぼ)ない。
前編となる暗黒武術会編(戸愚呂兄弟編)で多数の強力な妖怪が登場した後、主人公達の前に立ちはだかった次なる敵が紛れも無い人間であった事実は、当時の読者達に衝撃を与えた。
"領域(テリトリー)" と "禁句(タブー)"
"領域(テリトリー)" という概念を理解するために最適な能力がある。
"禁句(タブー)" 。
"禁句(タブー)" の領域 "(テリトリー)" の範囲は10mほどで出入り自由。
"領域(テリトリー)" 内ではあらゆる暴力行為が禁じられ、「~と言ってはいけない」と宣言する事で能力が発現。
「能力者が指定した言葉(禁句)」を口にした者は魂を抜かれてしまう。
意味のある単語としてではなく、ただの文字の並びの指定であり、例えば「あつい」という言葉を禁句にされた場合、「あ」と「つ」と「い」を続けて言った時点で魂が抜かれる。
全く別の用途や意味で言っても能力は発動するので、禁句によっては迂闊に言葉を発する事すら難しくなる。
事実作中では、
ぼたん:クワちゃん、オレンジジュースでいい?
桑原:ああ
蔵馬:オレも同じものでいいよ
桑原:ついでに氷も入れてくれ。コップは透明なのがいいな。ストローもあったらつけてな
というやり取りで桑原は魂を抜かれている。
また1文字だけでも禁句指定することができる上に、指定できる禁句の数には制限が無いと思われる(少なくとも50音全てを指定するだけの猶予はある)ため、やろうと思えば何か発言した時点で魂を抜くことまで可能となる。
一方で特定の発音または発音の並び( "あつい" = "atsui" )を指定しているとも取れるので、発音が異なる場合魂が抜かれない可能性があるが、その描写がないので不明である。
ただし「暴力行為」でなければ相手の行動に制限はなく、能力も使う事ができる。
例として蔵馬は植物を操る能力を使い、柳沢の胸ポケットから鍵を盗み、さらに眠らせることに成功している。
殴る蹴るのような行動でなければ直接触れられる事も防げないため、あくまで推測でしかないが「触れるだけで経絡秘孔を突き死に至らしめる事が可能」な北斗神拳のような技に対しても恐らく無力。
故に相手次第ではこの能力が仇となってしまう危険性もあり、「完封」できるわけではない。
また能力者自身も禁句のルールを破れば、魂が抜けてしまう。
それにより能力が解かれるために魂が抜けた者は元に戻るが、発動者自身は領域が解除された後でも自力で元に戻る事は不可能。
霊体すらない魂だけの状態となるため、誰かに戻してもらわなければ、1日であの世行き。
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『HUNTER×HUNTER』の "念能力"
"念能力" とは、体から溢れ出す生命エネルギー「オーラ」を自在に使いこなす力のこと。
あらゆる生物がオーラを持っているが、それを使いこなせる念能力者はごくわずかに限られる。
常識では考えられない力を発揮できるため、念能力者は一般人からは天才や超人として特別視されている。
また、ある分野で突出した力を持つ人物が、本人も自覚しないまま念能力を使っているケースは多い。
修行次第では誰にでも習得が可能で、動物や虫ですら可能。
しかし悪用される危険があるため、念の存在は一般人には秘匿になっている。
ただし、プロハンターには相応の強さが求められるため、念の習得は「裏ハンター試験」の課題となっている。
また、バトル描写が多いので勘違いされるが、特にハンターは「獲物(ターゲット)を追い求めるもの」であり、敵を殺傷することが主目的ではないので、"念能力=必殺技" ではない。
むしろ "念能力" を殺傷目的で極める(何かを害する以外使い道がない能力を開発する)のはかなり異質なことであり、あの戦闘狂のヒソカですら多彩な利用が可能だが、そのままでは殆ど殺傷能力がない能力である。
ただし、強化系の念能力は四大行の延長であることが多い(「力んで殴るだけ」等)、のでその場合はこれに該当しない。
なお、"念能力" には擬人化されたものも登場する。
制約と誓約
"念能力" への理解は、『幽☆遊☆白書』の能力と "領域(テリトリー)" とさほど変わりはない。
だが "念能力" には、さらにもうひとつ新しい概念が加えられた。
それが「制約と誓約」である。
ケルト神話のゲッシュよろしく、自ら念能力に「制約(ルール)」を定めて、それを遵守すると「心に誓う(誓約)」ことで、爆発的な力を発揮できるようになる。
制約が厳しいものであればあるほど念能力は強大化するが、術者の背負うリスクも大きくなる。
地道な修行で得られる「安定した力」とは真逆の「諸刃の剣」であるため、強力ではあるが非常に危険。
そのため制約を使うには、相応の覚悟が求められる。
しかしブランクな能力は応用が効く分育ちにくく、実践に投入しにくくなるためすぐにでも使いたい能力と、じっくり育てる能力の見極めが必要。
また、「容量(メモリ)」※の削減にも繋がるため、ある程度必然的に満たす条件は制約と誓約として付加しておくのもアリ(接触技なら触れるだけでなく「掴む」事や「触れ続ける」必要がある様にしたり等)。
「制約と誓約」で使用する能力には、使用するたびに肉体や寿命などに制約を課されるパターン、禁忌を破ると巨大なリスクを背負うパターン、特定の条件を満たさないとそもそも能力が発動しないパターンがある。
その点、「触った箇所に」や「能力を説明する」、「一定時間だけ」等は最もオーソドックスな「制約と誓約」である。
※系統と容量(メモリ)
オーラには6つの属性があり、誰もが生まれついて、そのどれかに属している。
生まれ持つ系統が最も効率がよく、習得が早い、そして最も強い力が発揮できる。
逆に相性の悪い系統ほど、扱いにくく覚えにくい。
そのため、放出系に向いているからと言って絶対に具現化系が使えないわけではないが、無理に習得率を超えると、伸び代が途絶える事になるので、明確な目的か相当な執着がない限り覚えるのは非推奨。
各系統は円を描くようにして並んでおり、隣り合うものほど相性がいい。
オーラを自在に操る「発(念能力の集大成。個別の能力。いわゆる特殊能力、必殺技。)」は習得できる量に限りがあり、これを(劇中ではヒソカのみ)「容量(メモリ)」という。
最も効率がいいのが自分の系統で、次が両隣。
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『呪術廻戦』の "領域展開"
"領域展開" とは、『呪術廻戦』に登場する戦闘技術。
術式の最終段階であり、呪術戦の極致。
これを習得し自在に使いこなせる者はごく限られている。
劇中序盤で解説・紹介された技であるにもかかわらず、原作16巻149話の段階で、呪術師側で使えると判明していた術師はわずか2名であった(さらにその内1名は習得したばかりで未完成)。
また、渋谷事変の時点では特級呪霊のメンバーや、両面宿儺といった敵対勢力側が全員この領域展開を使用していたにもかかわらず、呪術師側は五条悟と伏黒恵を除いて誰も使用できる人間がいなかった事から、連載当初から登場していた敵キャラクター達が総じていかにレベルの高い存在であったかが、逆説的に証明されてしまった。
領域展開の実態
それぞれの術師の中にある生得領域(いわゆる心象風景)を「結界」という形で体外に創り出して敵を閉じ込め、その結界に術師本人の生得術式を付与する事で術式に基づく攻撃を必中とする結界術の一種。
結界術は使用者のイメージが重要であり、特に領域は術師が様々な条件を自身に合ったものにすることで初めて成立する(必中のみの領域は例外)。
なかには領域を小さくすることで強度を上げたりできる者やある効果を消して別の効果を付与・強化したりできる者もいるが、状況に応じて条件を細かく切り替えるといったことは領域を習得した実力者でも極めて困難である。
能力としては、より「閉じ込める」事に特化している結界であり、例えるならば空間支配能力的な代物で、発動と同時に術者の周囲の空間が術者の領域へと変化する。
その為に領域習得の条件としては、単に呪術師としての能力や実力だけでなく結界術の素質も要求され、これが領域を使える呪術師が少ない大きな理由のひとつである。
領域展開の効果
五条いわく、領域展開を行う絶大なメリットは主に2つ挙げられる。
- 環境要因による術者のステータス上昇
領域の中はいわば「術者の精神世界」もしくは「術者の術式の中」である。
術者自身が最も行動しやすい言わばホームグラウンドのような環境になっており、より洗練された自身の能力を遺憾なく発揮できるというわけである。
- 領域内で発動した術者の術式の絶対命中
術式が付与された領域の中にいるという事は「既に術式が当たっている」という事になる為、領域内での術式に基づく攻撃は必ず当たる。
例えば、式神を具現化して攻撃する術式であれば「既に式神が攻撃した状態」で具現化する。
このため攻撃を受けた側からすれば、突如として現れた式神によって攻撃されたような状態になる。
また、この必中効果によって本来なら相手に直接触れなければいけないタイプの術式であっても、領域内においては遠距離から発動して相手を攻撃する事が可能になってしまう。
アニメ界「特殊能力編纂の歴史」
"スタンド能力" → + "領域(テリトリー)" → "念能力" → "領域展開"
初めてスタンド能力の描写を観た時の衝撃は今でも忘れられない。
超能力を可視化した上に、能力者それぞれの個体差があり、キャラ付けまでしているスタンドは、革新的なアイデアだった。
何より子供でも理解しやすく、食いつきやすい。
案の定、当時の子供たちはスタンド能力に夢中になった…かといえば、残念ながらそうはならなかった。
その理由は『ジョジョの奇妙な冒険』独特の作画にあった。
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独特の世界観を持つ『ジョジョの奇妙な冒険』は、その作画も特徴的で観るものの好き嫌いが非常に大きかった。
かくいう著者も、1〜2部時点で『ジョジョの奇妙な冒険』に夢中になることはなかった。
こうして "スタンド能力" という革新的なアイデアは、一般的に広く知られることもなく、長い間知る人ぞ知る設定となってしまった。
そんな "スタンド能力" が再び脚光を浴びることになったのが、『幽☆遊☆白書』での "能力者" と "領域(テリトリー)" の概念である。
当時はパクり疑惑も持ち上がったが、冨樫義博先生自身はこう仰っている。
"領域(テリトリー)" の元ネタは例のアレで、パロディとして笑い飛ばしてもらいたかったのだけど……
ほとんどの人にはパクリだと思われたみたいで肩身が狭かった。
「例のアレ」とは、もちろん『ジョジョの奇妙な冒険』の "スタンド能力" である。
パクり問題については賛否両論あると思うが、著者としては、あまりにあからさまな場合を除き何ら問題ないことだと考えている。
オリジナルの存在が曖昧な創作物の世界の中で、パクりだなんだと騒いだところで何ら意味を持たない。
なぜなら、オリジナルだと思われているものですら、他作品から何かしらの影響を受けているのだから。
要するに、そのアイデアにオリジナリティがあれば良いだけ。
では、『幽☆遊☆白書』の "能力者" と "領域(テリトリー)" にオリジナリティはあったのか?
答えはイエス(だと思う)。
『ジョジョの奇妙な冒険』の "スタンド能力" にも、射程距離という概念がたしかにあった。
しかしそれはあくまで射程距離(※一部を除き第3部に限る)であって、"領域(テリトリー)" という閉ざされた空間の概念ではなかった。
"領域(テリトリー)" に入った者は術が解除されるか、術者を倒すかしか抜け出す術がなかったのだ。
これは "領域(テリトリー)" という概念のオリジナリティと呼べるのではないだろうか。
しかしパクり疑惑が影響したのか、"領域(テリトリー)" という概念は『幽☆遊☆白書』魔界の扉編(仙水編)終了とともに姿を消した。
しかし "領域(テリトリー)" という概念は進化し、『HUNTER×HUNTER』の "念能力" として再び世に現れる。
"念能力" は、基本的に『幽☆遊☆白書』の "能力者" と "領域(テリトリー)" を基にした概念である。
が、新たに "制約と誓約" という概念が追加されたことは特筆すべき点だろう。
能力は制約し、誓約することで強くなる。
その制約が大きければ大きいほど、誓約が厳しければ厳しいほど、その能力は強くなる。
すなわち、それまでは安定供給志向であった特殊能力が、(場合によっては)ハイリスクハイリターンなものに生まれ変わったのだ。
それはつまり、どんなチート能力にも相応の理屈がつけられるようになったということ。
その非常に良い例が『HUNTER×HUNTER』でのクラピカの能力 "絶対時間(エンペラータイム)" である。
"絶対時間(エンペラータイム)" とは、クラピカが「緋の眼」発動時にのみ使える特殊能力。
オーラの絶対量が増える上、全系統の威力を100%引き出すことが出来るというチート能力。
しかしこの能力のために課せられた "制約と誓約" は、非常に重く厳しいものだった。
これは念能力全般に言えることだが、天性の系統でない能力は
- そもそもレベルの高い能力を習得する事ができない
- 習得できても、同じレベルの能力を天性の系統の能力者が使う場合と比べて威力・精度が落ちる
という二重のハードルがある。
"絶対時間(エンペラータイム)" はこのうち後者のハードルを無くすものであり、前者には一切影響しない。
こう聞くとたいしたことが無いようにも思えるが、念能力世界には「習得することだけなら簡単な能力だが、その威力が使い手次第で天と地ほど違う」というような能力は山ほどある。
よほど複雑な複合能力でない限り、威力と精度だけが問題の能力の方が多い。
その問題を "制約と誓約" で克服した "絶対時間(エンペラータイム)" は、幻影旅団に対して圧倒的な強さを誇った。
しかしその分、反動も大きかった。
"絶対時間(エンペラータイム)" はその決定的な強さゆえ反動が激しく、長時間使用すると数日寝込む程の疲労に陥り、発動中は痛みにさいなまれる。
ヨークシンシティ編では反動で2日間寝込み、センリツの笛での回復も効果がなかった。
このことから "絶対時間(エンペラータイム)" が、どんな制約を設けても体の負担は軽くならない上に、わずかなミスが命取りになる猛毒の両刃であることが判明する。
さらにクラピカが "絶対時間(エンペラータイム)" に対し、「発動時一秒につき一時間寿命が縮む」という凄まじい制約をかけている事が後に判明。
これは約2時間半の発動で寿命が1年縮み、1日中発動し続けるとそれだけで約10年分もの寿命が失われる計算となる。
しかし "絶対時間(エンペラータイム)" で最も特筆すべき点は、"制約と誓約" の厳しさではなく、クラピカがこの強さを短期間で手に入れたということである。
一般的な考え方として、それ相応の強さを手に入れるためには、それなりの試練が必要となる。
従来ならそれはテンプレ化された修行の繰り返しだったりで、強くなるためには一定の時間が必要だったのだ(※ただし潜在能力等、才能の要素は除く)。
しかし『HUNTER×HUNTER』の "制約と誓約" は、そんな定石化された時間の概念を超越してしまった。
言うなれば、アッという間に強くなれる理屈が生まれたのだ。
これは論理的にジャイアントキリングが成立できるようになったことを意味する。
おかげで、弱者は設定に無理なく強者を倒せるようになった。
結果的に物語の展開に大きな幅をもたらすことになったのだ。
このウルトラCは『呪術廻戦』でも、形を変えて受け継がれている。
そもそも "呪術" や "呪い" という概念は、"制約と誓約" が形を変えたものだ。
ただひとつ違う点は、"制約と誓約" が自分自身に課すものに対し "呪術" や "呪い" は相手に課すものであること。
ただし主人公・虎杖悠仁と宿儺の指の関係は、 "呪術" や "呪い" であると同時に "制約と誓約" と同じ縛りであるとも思われる。
このように、人気作品にはそのアイデアにたとえ既視感があったとしても、人気になるだけのオリジナリティが含まれている。
だから人気作品になったのだ。
何よりパクりだなんだと穿った見方ばかりしていたら、せっかくの面白い作品もつまらないものになってしまう。
だったら視点を変えて、アイデアの編纂を楽しんでみるのもひとつの手ではないだろうか。
その作品のルーツを探ってみたらどうだろうか。
本稿で取り上げた作品は普通に観てもどれも面白い作品ばかりだが、時には視点を変えて観てみるのもまた一興。
『呪術廻戦』七海建人の最期の言葉は "呪い" になるのか、それとも…
最後にちょっとだけ余談を。
著者としては、『呪術廻戦』における "呪術" や "呪い" が相手に課すものという点が、今後の物語の鍵を握っているのではないかと睨んでいる(2023年12月現在)。
七海建人、通称ナナミンが悠仁にかけた最期の言葉。
呪いの言葉になってしまうとナナミンが最後まで躊躇って、でもどうしても言わずにいられなかった最期のひと言。
「あとは頼みます」
これは『呪術廻戦』における "呪術" や "呪い" であり、『HUNTER×HUNTER』における "制約と誓約" でもあるのではないだろうか。
ナナミンの最期の言葉は、最初のうちこそ "呪術" や "呪い" のように課せられた者を弱らせる要素になるかもしれない。
しかし悠仁がその "呪術" や "呪い" を乗り越えた時、それは非常に強い "制約と誓約" に生まれ変わる。
ナナミンの人気ぶりとその存在感の大きさ※を考えるとそんな気がしてならないが、『呪術廻戦』の今後は果たしてどうなる?
※ナナミンの人気ぶりとその存在感の大きさ
ナナミンがブチ切れた回、特にナナミンの作画だけ飛び抜けて力が入っていた。
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