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ioritorei’s blog

完全趣味の世界

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【Netflixシリーズ『セナ』】1994年5月1日、あの日イモラで止まった時間が今ようやく動き出す…。

 

Netflixシリーズ

セナ

※本稿にはネタバレを含みます。ご注意下さい。

 

 

1994年5月1日、あの日イモラで止まった時間が今ようやく動き出す…

 

 

 

 

 

 

 

Netflixシリーズ『セナ』とは

 

 

F1世界選手権で計3度のワールドチャンピオンに輝いたF1ドライバーアイルトン・セナの人生を初めてドラマ化したNetflixシリーズ『セナ』(全6話)。

本作は、日本で「音速の貴公子」の愛称でも親しまれたセナの輝かしいキャリアを振り返るだけでなく、彼の人柄や家族・友人・恋人との関係も掘り下げ、友人や家族から "ベコ" や "ベカン" と呼ばれて周囲から愛されたセナの真の姿に迫っていく。

1960年にブラジルのサンパウロで生まれたセナは、幼少期から高い運動神経を誇り、車やモータースポーツに早くから興味を示していたという。

成功に向かって挑戦を続け、圧倒的なスピードとテクニックで "世界的英雄" として、没後30年を迎えた今なお歴史に名を刻むセナの知られざる素顔を描く。

世界的英雄の素顔を描き出す本作の撮影は世界各地で行われたが、その中でもサンパウロ州にあるセナが育った実家は、彼の親族により初めて立ち入りが認められるなど、親族の積極的な協力のもとリアリティを徹底追求して制作された。

セナ役を務めたのは、フェラーリなどに出演した新星ガブリエウ・レオーニ。

レオーニは「この大スターに命を吹き込むという責任の重大さを考えると、これが自分のキャリアにとって最も栄誉ある役になると同時に、最も難しい役になるだろうということは、初めからわかっていました」と全身全霊で役に挑んだことを告白。

そしてセナの姉ビビアーニ・セナは、「これまで世間に知られていなかったセナの物語を語ることができて、とても嬉しく思います。我々セナの親族が関わることで特別な作品が生まれることを願います」とコメントを寄せた。

ショーランナー兼総監督のビセンテ・アモリンは、「セナを描く物語の本質は、目標を阻もうとするシステムに挑み、偉業を成し遂げた男の物語。彼は自分らしくあるために、困難に耐え、不利な状況の中で戦ったのです」と語っている。

映像では、レーシングドライバーとしてのキャリアをスタートさせた若きセナの姿を皮切りに、"世界の頂点" に至るまでのコースをトップスピードで駆け抜けていく輝かしい姿が映し出される。

劇中では、"伝説のF1ドライバー" としての活躍と成功だけでなく、彼の内側にあった苦悩、家族や友人、恋人との関係、そして、悲劇が語られる。

 

 

アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva,1960年3月21日 - 1994年5月1日)

 

世界中で絶大な人気を誇る地球上最速のスポーツ、F1。

その中でも史上最速とされるドライバーがアイルトン・セナである。

1984~1994年に成し遂げた、F1世界タイトル3度獲得、優勝41回、ポールポジション65回、表彰台80回という驚異的な記録からも、F1界のレジェンドと称される理由は明らかだ。

だが彼のすごさは数字や記録で語り尽くせるものではない。

セナが遺した記録だけを見れば、他にも同等以上のドライバーは複数人いる。

しかしその圧倒的なカリスマ性とドラマ性、そして悲劇的な最期を遂げたことから、未だにF1ドライバーの人気投票で1位になるほどの人気を誇る。

モータースポーツの主要カテゴリーであるF1において、奇跡の瞬間を何度も生み出したアイルトンは、F1の新たなスタンダードを打ち立てたのみならず、自分の限界を突破しようとするアイコン的存在となった。

ブラジルをより良い国にしたいという思いのもと、レースのほか慈善活動に積極的に取り組んでいたことでも知られている。

彼の意志を受け継いだアイルトン・セナ財団は、現代においてあらゆる方面で活躍できる人材を育成するという理念のもと、26年にわたり活動を続けている。

 

 


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あらすじ

 

 

アイルトン・セナレーシングドライバーとしてのキャリアを積み始めた初期の頃。

フォーミュラ・フォードに参戦するために英国にわたった彼が、3度にわたりF1チャンピオンに輝きながらも、イタリアのイモラで行われたサンマリノグランプリで悲劇的な事故に遭うまでの長い道のりを辿る。

 

 


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知る人ぞ知るドライバーとしてのセナ以外の別の顔をも忠実再現

 

 

本作はドライバーとしてのセナはもちろん、 ドライバーとしてのセナ以外の、知る人ぞ知る別の顔までをも忠実再現されている。

それはエンジニアとしてのセナである。

セナのマシン、エンジンへの指摘、要求は他のドライバーよりその頻度もレベルも高かった。そしてセナのドライバーとしてのセンシング能力は驚くべきものだったという。

セナは速く走るために、エンジンのレスポンスやドライバビリティ、そしてパワーや信頼性などすべてに関して自分の要求レベルに達していないところを指摘していた。

例えばドライバビリティが悪いからデータで何とかしてくれとリクエストされ、メカニックがデータを変えたり、いろいろなトライをしながら要求に応えようと頑張り、その後にセナが乗ってまた評価する。

直ってないと「直ってないじゃないか」、直ったら「いいね」と言って、良ければその後タイムがポンと上がる。

また、レースでエンジンが壊れると、セナが使用したエンジンも当然ながら、他のエンジンが壊れたとなると、次のレースやサーキットに行くと、メカニックと会うや否や「あのエンジンはどうだったんだ?何が悪かったんだ?どうするんだ?」とすぐに詰め寄り、貪欲なまでに解決策を求める。

走って調子が悪いと、「次のセッションまでに何をするんだ?」その繰り返しが週末3日間あって、レースが終わるといろんなコメントが出てくる。

で、「次のレースまでにどうするんだ?」と。

で、次会えば「どうしたんだ?」と、その繰り返しだったという。

しかしセナの言ってくることは本当に正確だったと、当時のエンジニアたちは口を揃える。

ある時「スロットルペダルが全開になってない」とセナが言い出し、測ってみたら本当に2mmくらいストロークが足りなかったことがあった。

また別のあるレースでは、エンジンに異常を感じてリタイアしたが、実際にはエンジンは壊れてはいないとされた。

しかし、エンジニアがエンジンを分解してみたところ、パーツが壊れてエンジンブローする寸前だった。

この一件でエンジニアによるセナへの評価や信頼が上昇することとなったという。

当時のエンジニアのひとりはこう語る。

「あんなスピードで走っていて、なんでそんな細かいことまで、何周目のどこでどうしたとか、『なんで覚えているんだろう?』というくらい細かくフィードバックしてくる。多くのドライバーも似たようなものを持っているのですが、セナの場合は、さらに一段上という感じでした」

このような逸話がいくつも残るセナは、エンジニアリングに関しても非常に長けていたドライバーだった。

そしてそれは、セナの速さを語る上で非常に重要な要素である。

本作のような作品は、ややもすると一般には知られざるセナの私生活を描くことに重きを置きたがる。

それが不要とまではいわないが、今さら私生活を暴露され、いたずらに誤解を招くような描写が多くなるのは、ファンとしては受け入れ難い。

だが本作は違った。

カニックにあれこれ細かい注文をどんどん出していくセナの姿がちゃんと描かれていたのが、ファンとしては何より嬉しかった。

 

 

 

1994年5月1日、あの日イモラで止まった時間が今ようやく動き出す…

 

 

マクラーレン・MP4/4 (McLaren MP4/4)。

1988年のF1世界選手権においてシーズン開幕戦から最終戦まで使用され、唯一イタリアGPでフェラーリゲルハルト・ベルガーに優勝をさらわれシーズン完全制覇はならなかったものの、圧倒的な強さで全16戦中15勝を記録し、アイルトン・セナに自身初のドライバーズタイトルとマクラーレンコンストラクターズタイトルをもたらしたF1史上最強フォーミュラ1カーである。

全16戦中、イギリスGPを除く15回のポールポジションと、イタリアGPを除く15回の勝利、全てのレースでどちらかが「完走」を記録。

ワンツーフィニッシュは10回を数え、獲得したコンストラクターズポイントは199点で、2位フェラーリ(65ポイント)の3倍以上の、F1史上でも類を見ない記録を打ち立てた。

そして驚異的なこの最強マシンを駆るのが、稀代の名ドライバーであるアイルトン・セナアラン・プロスト

この両マクラーレンドライバーによって争われたドライバーズチャンピオン争いは、7勝のプロストに対し8勝を挙げたセナのものとなった。

そしてF1黄金期はこの年から始まった。

1988年から1991年にかけてのマクラーレン・ホンダ時代はF1黄金期と呼ばれ、この期間、マクラーレン・ホンダは4年連続でダブルタイトル(ドライバーズ、コンストラクターズ)を獲得し、最強マシンと称された。

F1黄金期は、同時に最強ドライバーであるセナとプロストがしのぎを削り合ったセナ・プロ時代とも呼ばれている。

あの頃のF1は本当に面白かった。

セナやプロスト以外にも、ピケやマンセル、ベルガーにパトレーゼ、ブーツェンにナニーニなど非常に魅力的なドライバーが華やかなF1GPを彩り、当時その存在が都市伝説化していた、オーバーテイクボタン(オーバーテイク用ブーストボタン)なるワクワク技術に心が躍った。

夜中になることが多かった地上波放送も、眠い目を擦りながら夢中になって観ていた。

そんな黄金期も、HONDAのF1撤退から陰りが差し始める。

本田宗一郎氏が我々にみせてくれた夢はHONDAの撤退で一度終わりを告げるが、まだF1にはセナがいた。

日本人にとってセナの存在は、HONDAが撤退したF1にあって本田宗一郎氏から託されたHONDAの魂だ。

セナが走り続ける限りF1は終わらない。

本気でそう思っていた。

だがそれも、あの日突然終わりを告げる。

1994年5月1日、F1世界選手権第3戦イタリア「サンマリノGP」 、イモラ・サーキット

ポールポジションでレースをスタートしたアイルトン・セナが、高速コーナーの「タンブレロ」でマシンのコントロールを失い、コンクリート壁に激突。

病院に緊急搬送されたが、現地時間午後6時40分に死亡が発表。

世界的英雄の決勝レース中の事故死という、あまりにショッキングなニュースは世界中を駆けめぐり、モータースポーツファンのみならず全世界が悲しみに暮れた。

思えばあの日以来、あれほど熱中したF1からずっと目を背けてきた。

あのレースからずっと目を背け続けてきた。

大好きだったセナの最期になった事故シーンなんて、そう何度も見たいものではない。

だが、時を経て本作の第6話「時間」

ここには、あの日起きたことが克明に描かれている。

長年確執が噂されていた盟友プロストと交わした最期の通信。

ファンにとって涙なしでは観られない感動シーンもしっかり再現。

 

 


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それだけではない。

その事柄は知っていても、そこに至る経緯までは知らなかったエピソードまでしっかり再現されている。

たとえばセナの事故死の前日、公式予選セッション中の事故により死亡していたローランド・ラッツェンバーガーのために、セナはオーストリアの国旗を用意していた。

これは後に判明した事実として、医療スタッフがセナを調べた際、畳まれたオーストリアの国旗がコクピットから発見されてわかったことだった。

そしてこの国旗は、セナが表彰台でラッツェンバーガーに敬意を表して掲げようと用意していたものだったのだ。

あの事故のせいで国旗が掲げられることはなく、このエピソードは知る人ぞ知る逸話になってしまっていたのだが、本作ではそこに至るまでの経緯をしっかり描いていてくれた。

それがファンとしては本当に嬉しかった。

大嫌いだった1994年のF1「サンマリノGP」だったが、本作のおかげでようやくあの日とちゃんと向き合えた気がする。

あの日、イモラで止まった時間が今ようやく動き出す。

セナの事故死以来避けてきた、あの頃胸を熱くした数々の名レースを、もう一度観てみようと思う。

同じようにあの頃のF1に心躍らせた人には、ぜひとも観ていただきたい作品である。

 

 


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F1黄金期といえばこの名曲

「In This Country 〜明日への勝利〜 / ロビン・ザンダー」

 

 


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