#53
停滞する思考に一石を投じる苦言
声にできない本音を言葉に…
何かと生きづらい世の中で、思ってはいても言葉にできない声がある。
感じていても声にするのが憚られる言葉がある。
それは耳障りが悪く、心地良い言葉ではないのかもしれない。
だが言葉にされて、はじめて気づくこともある。
本稿で取り上げる言葉は、ひとつ間違えれば暴言とも受け取られかねないものだ。
しかし何かを変えるためには、声に、言葉にしてより多くの人に考えてもらうべきだろう。
本稿が停滞する思考覚醒へのキッカケとなることを切に願う。
大友秀美(映画「ロストケア」より)
大友秀美
長野地検の女性検事で、老人ホームに住んでいる母親がいる。
父親とは両親が離婚した後20年以上も会っていない。
斯波との取り調べで自身の過去、両親との向き合い方に苦悩することになる。
早朝の民家で老人と訪問介護センターの所長の死体が発見された。
捜査線上に浮かんだのは、センターで働く斯波宗典。
だが、彼は介護家族に慕われる献身的な介護士だった。
検事の大友秀美は、斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く、彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めた。
真実を明らかにするため、斯波と対峙する大友。
すると斯波は、自分がしたことは『殺人』ではなく、『救い』だと主張した。
その告白に戸惑う大友。
彼は何故多くの老人を殺めたのか?
そして彼が言う『救い』の真意とは何なのか?
被害者の家族を調査するうちに、社会的なサポートでは賄いきれない、介護家族の厳しい現実を知る大友。
そして彼女は、法の正義のもと斯波の信念と向き合っていく。
人には
見えるものと見えないものがあるんじゃなくて
見たいものと見たくないものがあるだけなのかもね
古代ローマの政治家ユリウス・カエサル(シーザー)の言葉に 「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」というものがある。
つまり「人は見たい現実しか見ていない」ということだ。
人間はものを見たり考えたりするとき、自分が好ましいと思うものや、自分がやろうと思う方向だけを見がちで、見たくないもの、都合の悪いことは見えないものである。
自分の利害だけでなく自分を取り巻く組織・社会・時代の様々な影響によって自分の見方が偏っていることを常に自覚し、必ず見落としがあると意識していなければならない。
自分の見方を意識していくことで、取捨選択が可能になる。
すると意識して「こういうものを見たい」と探せるようになり、そういうものが見つかりやすくなる。
意識して幸せを探せば幸せに気づきやすくなり、不幸は見えにくくなる。
幸せについて考えれば幸せな気持ちになれ、不幸を考えずにすむ。
見るものを選べと言っているわけではない。
様々なもの見て、意識することの大切さを説いている。
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