政治に無関心な若者と話すと、決まって『どうせ変わらないから』と口を揃える。
断っておくが著者も同感だ。
政治的な記事も書いて変革を促したりもするが、太平洋に小石を投げ入れるようなものだ。
どうせ変わらないのはわかりきっている。
ただし、今は、である。
今まで反対の意志を示していない者は、賛成とみなされても文句を言う資格はない。
そう思う。
最近の大人は明確な意思表示を避ける傾向にある。
曖昧な応えで責任から逃れようとする。
或いは、はっきり意思表示できないひ弱でダメな大人が増えたということか。
ご都合主義のコウモリ野郎。
そんな大人なんて格好悪くないか?
そんな人間になんかなりたくない。
だから違うと思うものには異を唱える。
それがたとえ無駄なことだとわかっていても。
だがまったく希望がないわけではない。
変革はある日突然起こるだろう。
すべてはいきなり訪れるであろう、変革の時のための自らへの決意表明だ。
ずっと変わらないと疑いもしなかったことが、一瞬にして崩壊してしまった例は、古今東西枚挙暇がない。
鉄壁かと思われていたかのベルリンの壁は、一夜にして崩れ去った。
我々は瞬時に起こる変革に、常に準備しておく必要があるのではないだろうか。
ベルリンの壁とは
第二次世界大戦後に敗戦国であったドイツはソビエト連邦、イギリス、フランス、アメリカ合衆国の戦勝4ヵ国による分割占領が行われ、その中で首都ベルリンも終戦直後に戦勝4ヵ国の共同管理地域とされた。
やがて東西の対立とともに1949年に東西2つの国が成立して、ドイツ民主共和国(東ドイツ)は、ソ連からの大きな経済援助と軍事力で社会主義国として東側陣営に属し、西側陣営に属するドイツ連邦共和国(西ドイツ)とでドイツは分断された。
そして首都ベルリンもソ連側管理地区の東ベルリンと英米仏3ヵ国管理地区の西ベルリンに分断された。
ただし1961年夏まではベルリン市内での東西の往来は自由であった。
しかし1961年8月13日に突然東ドイツ側がベルリン市内の東西の往来を遮断し境界線近くに壁を建設して、ベルリン市民の東西間の自由通行はこの日に断絶された。
ベルリンの壁である。
これは東西に分かれて以後東ベルリンから西ベルリンへの人口流出が止まらず、1945年から1961年までに東ドイツから西ドイツに移った人々は約300万人に達し、その半数以上が当時自由に行けた西ベルリン経由で西ドイツに逃れていた。
危機感を持った東ドイツは西ベルリンが逃亡への出口になっていることから、西ベルリンを壁で塞ぎ東ドイツ国民を閉じ込めるために建設したもので、これを「反ファシズム防壁」と呼んだ。
国境が遮断されて有刺鉄線が張り巡らされたが、ある所では道路の真ん中に、或いは運河が、また橋の真ん中が国境線であった。
以後東西のベルリン間での市民の行き来は不可能となる。
ベルリンは第二次世界大戦後の東西冷戦の最前線であり、1961年8月に突然出現したこのベルリンの壁は東西冷戦の象徴であった。
ベルリンの壁の崩壊
ベルリンの壁崩壊は、1989年11月9日にそれまで東ドイツ市民の大量出国の事態にさらされていた東ドイツ政府が、その対応策として旅行及び国外移住の大幅な規制緩和の政令を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で発表したことがキッカケで起こった。
その日の夜にベルリンの壁にベルリン市民が殺到し混乱の中で国境検問所が開放され、翌11月10日にベルリンの壁の撤去作業が始まった出来事である。
これにより、1961年8月13日のベルリンの壁着工から28年間にわたる、東西ベルリンが遮断されてきた東西分断の歴史は終結した。
東欧革命を象徴する出来事であり、この事件を皮切りに東欧諸国では続々と共産党政府が倒された。
ベルリンの壁の崩壊
ある男の勘違いからベルリンの壁は崩壊
28年間にわたってベルリンを分断し、数えきれないほどの悲劇を生んだ「ベルリンの壁」。
ベルリンの壁崩壊は、ある男性の「勘違い」によって、突然引き起こされた。
その勘違いは、のちに「歴史上最も素晴らしい勘違い」とも称されることになる。
1989年11月9日、東ドイツを率いる社会主義統一党のスポークスマンだったギュンター・シャボウスキー氏は、記者会見の場で、これまで厳しく制限してきた西ドイツへの出国を大幅に緩和すると発表する。
「すべての東ドイツ国民に、東ドイツからの出国を認める」と発言したのだ。
それに対し、記者からいつから出国が認められるのかと問われたシャボウスキー氏は、「私の理解では、ただちに」と返答する。
これが歴史上最も素晴らしい勘違いだった。
実は、シャボウスキーが会見で発表したこの内容は、本来の東ドイツ政府の意図とはまったく異なっていた。
東ドイツ政府が外国旅行の自由化を決議した事実はあったが、それは翌日の10日午前4時までは発表してはならない内容だった。
さらに、そもそも旅行の自由化はベルリンの壁からの出国を除く決議だったのだ。
東ドイツ政府は、すべての国民の自由な出国など認めるつもりはなく、国内で抗議活動を行う一部の不満分子を追放することを狙っていた。
ところが、その計画が話し合われた会合に出席していなかったシャボウスキー氏。
うっかり解禁前の内容を発表してしまったばかりか、「すべての検問所から出国が認められる」「ただちに発効される」と勘違いしたまま発言してしまった。
ニュースを知った民衆が検問所に押し寄せ、次々とベルリンの壁を突破。
ベルリンの壁崩壊へと繋がっていくことになる。
ほんの些細な出来事から変革は始まる
歴史が証明しているように、誰もが想像しなかった意外な出来事から、ある日突然変革は始まる。
一夜にして世界を変えてしまう。
我々も経験したばかりではないか。
コロナ禍がまさにそれだろう。
今までの当たり前が、当たり前ではなくなった。
当たり前すぎて見直されることがなかったシステムが、これを機に見直されブラッシュアップされていった。
結果、不要なものが増えた。
これは何もシステムだけの話ではない。
システムが合理的になればなるほど、無駄な人員はカットされる。
今はその揺籃期ではないだろうか。
準備期間である。
経済が回復傾向へ転じた時、コロナ禍で明確になった無駄なものの排除が始まる。
その中には無能で不要な人員も含まれるだろう。
今は幅を利かせている大嫌いなシルバーモンスターどもも、あと少しで到達されるだろう。
いや、そうなって欲しい。
平々凡々に生きてきて、もはや逃げ切り体制と思われた奴らも、最後の最後に今までの積もりに積もった多大なツケを払わされる可能性はおおいにあるのだ。
当たり前のことなんだと思考が凝り固まっていると、時代の変化にはついていけない。
旧時代のしきたりを押し付けてきた、もしくは甘受して長いものに巻かれてきた奴らには決して対応できまい。
当たり前のことなどないのだ。
絶対なんてことはないのだ。
些細な変化を敏感に感じとっていかなければ、これからの時代は生き残れない。
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