アニメ
平家物語
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では語られなかった討たれる側の物語
軍記『平家物語』
沙羅双樹さらそうじゅの花の色、盛者必衰じょうしゃひっすいの理ことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。
出典 : 作者不詳『平家物語』より
この『平家物語』の冒頭は、日本の古典文学の中でもっとも有名な一節の一つで、仏教的な無常観が表現されている。
軍記『平家物語』とは
『平家物語』は鎌倉時代に成立したとされる軍記物語で、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などを描いたもの。
作者は不明である。
保元の乱および平治の乱に勝利した平家と敗れた源家の対照的な姿、その後の源平の戦いから平家の滅亡、そして没落しはじめた平安貴族と新たに台頭した武士たちの人間模様などを描いた。
「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しでも広く知られている。
『平家物語』という題名は後年の呼称であり、当初は『保元物語』や『平治物語』と同様に、合戦が本格化した『治承物語』と呼ばれていたと推測されているが、確証はない。
正確な成立時期は分かっていないものの、仁治元年(1240年)に藤原定家によって書写された『兵範記』(平信範の日記)の紙背文書に「治承物語六巻号平家候間、書写候也」とあるため、それ以前に成立したと考えられている。
しかし、『治承物語』が現存の『平家物語』にあたるかという問題も残り、確実ということはできない。
少なくとも延慶本の本奥書、延慶2年(1309年)以前には成立していたものと考えられている。
作者は不詳
作者については古来多くの説がある。
現存最古の記述は鎌倉末期の『徒然草』(吉田兼好作)で、信濃前司行長(しなののぜんじ ゆきなが)なる人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとする。
「後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の譽れありけるが(中略)この行長入道、平家の物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて、語らせけり。」
その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の琵琶法師との関連まで述べているなど、その記述は実に詳細である。
この信濃前司行長なる人物は、九条兼実に仕えていた家司で、中山(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと推定されている。
また、『尊卑分脈』や『醍醐雑抄』『平家物語補闕剣巻』では、やはり顕時の孫にあたる葉室時長(はむろときなが、藤原氏)が作者であるとされている。
なお、藤原行長とする説では「信濃前司は下野前司の誤り」としているが、『徒然草』では同人を「信濃入道」とも記している(信濃前司行長=信濃入道=行長入道)。
そのため信濃に縁のある人物として、親鸞の高弟で法然門下の西仏という僧とする説がある。
この西仏は、大谷本願寺や康楽寺(長野県篠ノ井塩崎)の縁起によると、信濃国の名族滋野氏の流れを汲む海野小太郎幸親の息子で幸長(または通広)とされており、大夫坊覚明の名で木曾義仲の軍師として、この『平家物語』にも登場する人物である。
ただし、海野幸長・覚明・西仏を同一人物とする説は伝承のみで、史料的な裏付けはない。
アニメ『平家物語』
『平家物語』は、鎌倉時代の軍記物語である『平家物語』を描いたテレビアニメ。
作家の古川日出男氏が現代語訳した『平家物語』を底本としている。
制作はサイエンスSARU。
2021年9月15日よりFODで先行配信され、2022年1月からフジテレビの深夜アニメ枠「+Ultra」ほかでテレビ放送されている。
物語の語り部となる琵琶法師の少女「びわ」が主人公に据えられており、彼女と平家の人々の交流を軸に、叙事的な史実に留まらず、時代に翻弄されながらも懸命に生きた人々の群像劇として描かれる。
アニメーション監督、アニメーション演出家、アニメーターである。
山田尚子監督の作風の大きな特徴の一つに「繊細な心情描写」が挙げられる。
登場人物の内面をセリフではなく、ちょっとした表情やしぐさ、周囲の風景描写で語らせるような演出は高い評価を得ている。
なお、山田尚子監督が京都アニメーション以外で作品を手掛けるのは本作品が初となる。
また、キャラクター原案の高野文子さんも、アニメーション作品のキャラクター原案を務めるのは本作が初である。
あらすじ
平安時代末期の都では平家一門が栄華を極めていた。
少女・びわは琵琶法師の父親を平家の武士に殺されたあと、平家の屋敷に侵入。
そこで出会った平家の棟梁平重盛に「お前たちはじき滅びる」と予言する。
亡者が見える重盛はびわに共鳴し、彼女を屋敷に留め置き、息子の維盛・資盛・清経の三兄弟とともに生活させることにする。
平家一門総帥の平清盛は、娘の徳子を高倉天皇のもとに入内させ、さらなる栄華を追い求める。
一方で、その強引さに踏みにじられる者達も多く生まれた。
徳子入内から6年後、平家に対する反発はますます高まり、後白河法皇の近臣達が平家打倒の陰謀(鹿ケ谷の陰謀)を計画するが、密告により発覚。
関係者を処罰した清盛は、法皇をも幽閉しようと目論む。
これを察知した重盛は、清盛の面前で決死の諫言を行う。
徳子は男の子を産み、清盛はさらなる栄華を求めるが、天災や妹盛子の死によって重盛はいよいよ不安を募らせる。
重盛は維盛・びわとともに熊野参詣を行い、清盛の野望を留める願いが叶えられないなら、来世の菩提と引き換えに自らの命を縮めるよう祈願する。
帰京した重盛は病の床につき、夢で平家の滅亡を告げられる。
すべてを悟った重盛は、びわの奏でる琵琶の音を聴きながら最期を迎えた。
重盛の死後、清盛が気落ちしていると見た法皇は、重盛や盛子の領地を没収する。
これに激怒した清盛は兵を率いて上京、公卿を粛清、法皇を鳥羽離宮に幽閉(治承三年の政変)、徳子の子を安徳天皇として即位させる。
平家の横暴に耐えかねた源頼政は、以仁王を担いで反乱を起こそうとするが、密告によって発覚、知盛・重衡・維盛によって以仁王らは討たれる(以仁王の挙兵)。
清盛は平家を守るため、福原への遷都を断行。福原でびわと三兄弟は、敦盛や重衡とともに一夜の宴を開く。
一方で伊豆国に流されていた源頼朝は、法皇による平家追討の院宣を受け取り挙兵する。
維盛は頼朝追討の総大将となるが、頼朝が大軍を集めたことと、斉藤実盛の語る東国武士の姿に恐怖する。
その夜の夜半に水鳥が飛びだつ音に驚いた軍勢は一戦もしないうちに退却した(富士川の戦い)。
また比叡山からの嘆願を受けて、清盛はわずか半年で都を平安京に戻さざるを得なくなる。
さらに興福寺の反発に業を煮やした清盛は、重衡に命じて興福寺を攻撃させる。
しかし明かりを取るためにはなった火が燃え広がり、興福寺と東大寺を含む南都は灰燼に化してしまう。
さらに高倉上皇が危篤に陥り、焦った清盛は徳子を法皇の後宮に入れようとするが拒絶される。
源氏の蜂起が相次ぐ中、清盛は熱病でこの世を去り、平家がいよいよ孤立を深めていく最中、資盛はびわに屋敷から出ていくよう命じる。
びわは母の足取りを追って越後国に下るが、すでに京に戻ったと聞かされる。
墨俣川の戦いで平家軍は頼朝を破るも、源義仲が北陸道に勢力を拡大する。
維盛は大軍を率いて討伐に向かうが、倶利伽羅峠の戦いで夜襲を受け大敗北を喫してしまう。
七万の軍勢を失った平家は義仲の軍に対抗することもできず、安徳天皇を奉じて都落ちに追い込まれ、再起を図って大宰府に向かう。
びわは京に戻ったが、その頃都は義仲の兵が狼藉を極めていた。
びわは義仲の兵に襲われるが、静御前たち白拍子によって救われる。
大宰府の緒方惟栄はかつて平家の家人であったが、朝廷からの院宣を受け取り、平家を匿うことはできないと退去を求める。
苦難の道行きの末筥崎にたどり着いた平家だったが、周囲は敵ばかりであり、絶望した清経は入水自殺を遂げる。
その死を見たびわは静御前らとともに、隠棲していた母に出会う。
母との対話の中で自分にできることは「祈る」ことであると気づいたびわは、平家のいる西を目指す。
一方頼朝によって派遣された源義経は法皇と対立した義仲を討ち、一ノ谷の戦いで平家を打ち破る。
平家は屋島に逃れるが、維盛はひとり一門を離れ、滝口入道のもとで出家、びわとの束の間の再会の後に補陀落渡海を遂げる。
資盛は法皇に赦免願いの手紙を書くが返事は来ず、代わりに伊子の手紙を携えたびわが資盛のもとに訪れた。
びわは祈りをこめて平家を語るため、すべてを見届ける覚悟を決めていた。
頼朝は平家を根絶やしにすることを決め、義経の攻撃によって屋島は陥落、平家の軍は壇ノ浦に追い詰められる(壇ノ浦の戦い)。
戦は当初船軍に長ける平家方が優勢であったが、イルカの大軍の襲来とともに風向きが変化、援軍も到着し源氏方が優勢となる。
これまでと悟った時子は、安徳天皇を抱いて入水する。
徳子もそれを追って入水するが、びわによって制止される。
しかし知盛ら平家の人々は次々に海中に没していった。
戦後、後白河法皇はひとり、出家した徳子の元を訪れる(大原御幸)。
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では語られなかった討たれる側の物語
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が人気を博している。
人気脚本家の三谷幸喜氏が手掛ける作品であるのが最大の理由ではあろうが、どうやら日本人のDNAには荒々しい戦国時代よりも、血生臭くもどこか雅な源平合戦の方が思い入れが強く残っているらしい。
歴史は勝者がつくるもの。
古今東西、それは変わらない真理である。
勝った方が正義となり、敗者となった者にはどれほど善人であろうと語る口はない。
源平合戦がまさにそうであり、この戦の勝者である源氏同士ですらその通りになった。
だが、同じ敗者でも源平合戦と戦国時代とでは扱いが少し違う気がする。
戦国時代の敗者は、その人の人柄や事情に同情するような感情的なものではなく、実績や功績のような純粋に評価のみが論じられることが多い。
だが源平合戦の敗者・平家には、血生臭い政争や闘争の中にあってもどこか同情心のようなものが感じられる。
また敗者にはあるまじき雅な美しさが漂っているのも特徴だろう。
この世の春と呼べるほどの栄華を誇りながらも、ほんの些細な運命のあやで滅びの道へと向かっていった平家。
『平家物語』を読むと、そこはかとない儚さや虚しさを感じてしまう。
いつの世も世間は英雄譚を好む。
英雄譚とは、すなわち勝者の見解である。
(※.源義経は悲劇の勝者。)
敗者にスポットが当てられることは皆無に等しい。
『鎌倉殿の13人』でも、平家はやはり打倒される者として描かれている。
源氏視点の物語なのだからもちろん異論はないのだが、平家にだって少なからずの言い分もあるはずだ。
もしあなたが小説のような歴史認識ではなく、歴史の真相を少しでも知りたいと欲したなら、『鎌倉殿の13人』と並行してアニメ『平家物語』を観てみるというのはどうだろう。
今、このタイミングは歴史を多角的視点で捉える絶好の機会である。
アニメ『平家物語』では平家視点で描かれた源平合戦を観ることができる。
もちろん脚色はされているが、果たしてどうすることが正しかったのかを思わず自問自答したくなる内容になっている。
さらに平家と源氏の勢力争いに巻き込まれるさた人たちの人間模様にも注目だ。
源頼朝に大天狗と評された後白河法皇や、都の人々の平家や源氏に対する思いは、勝者の視点からだけでは理解することはできない。
『鎌倉殿の13人』が平家討伐に至る今こそ、歴史がもっと面白くなる絶好のチャンスだ。
歴史は勝者がつくるもの
義経最大の武功「鵯越の逆落とし」の真相
精兵70騎を率いて、一ノ谷の裏手の断崖絶壁の上に立った義経は戦機と見て坂を駆け下る決断をするという、まさに神がかった英雄譚である。
ちなみにこの英雄譚は主に『平家物語』や『吾妻鏡』が基になっている。
だが、九条兼実の日記『玉葉』では以下のように戦況を書き残している。
搦手の義経が丹波城(三草山)を落とし、次いで一ノ谷を落とした。
大手の範頼は浜より福原に寄せた。
多田行綱は山側から攻めて山の手(夢野口)を落とした。
ここでは義経が一ノ谷を攻め落としたことは記しているが、逆落しの奇襲をかけたとは書いていないのだ。
そして勢力争い真っ只中の平家でも源氏でもない、公家・九条兼実の日記こそが第一級の史料として扱われている。
結末を知っているからこその楽しみ方
いわゆる歴史物というのは、結末がわかっている物語だ。
我々は、これからどうなるのかを知っている。
だが、結末がわかっている物語は面白くないと決めつけるのは早計というもの。
それをどうにか面白くするのが脚本家や監督の腕の見せ所というものだ。
アニメ『平家物語』では、最後に平家は滅びる。
わかっていることだ。
だが、実際視聴してみると物語に引き込まれていた自分がいた。
どうやって描くのだろう?
どんな心境だったのだろう?
源平合戦を描いた作品のほとんどが、源氏の視点によって描かれている。
それは、後に悲劇の最期を遂げる源義経の晴れ舞台だったからである。
だが、たとえ後に滅ぶとしても源義経が主人公では、勝者の論理でしかない。
純粋な敗者の視点からの源平合戦。
そういう意味でもアニメ『平家物語』は実に面白かったし、平家滅亡が『鎌倉殿の13人』ではどう描かれるのかが大変興味深いとも思った。
結末がわかっている歴史物だからこその楽しみ方だ。
皆さんにも平家滅亡の雅な儚さを是非感じてもらいたい。
軍記『平家物語』現代語訳
祇園精舎の鐘の音には、この世の全てが常に流動変化し、一瞬と言えども同じ状態ではない、という無常の響きがある。
沙羅双樹の花の色は、盛んな物も必ずや衰えるという道理を示している。
驕り高ぶる者も長くは続かず、凋落するだろう、ただ春の夜の夢のように。
勢い盛んな者も遂には滅びるというのも、まったく風の前の塵ちりと同じである。
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