空想特撮映画
シン・ウルトラマン
『シン・ウルトラマン』とは
『シン・ウルトラマン』は、2022年5月13日に公開された日本のSF特撮映画である。
1966年に放送された特撮テレビドラマ『ウルトラマン』を現在の時代に置き換えた「リブート」映画であり、タイトルロゴには「空想特撮映画」と謳われている。
円谷プロダクション、東宝、カラーが共同で製作し、スタッフとして、企画・脚本の庵野秀明氏、監督の樋口真嗣氏など『シン・ゴジラ』の製作陣が参加する。
キャッチコピーは「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」、「空想と浪漫。そして、友情。」。
庵野秀明氏が脚本などを務める『シン・』を冠とした作品のメディアフランチャイズ『シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース』では3作目。
あらすじ
物語の舞台は巨大不明生物「禍威獣(カイジュウ)」が出現し被害が発生している日本である。
日本政府は防災庁・禍威獣特設対策室(略称:禍特対[カトクタイ])を設立し禍威獣対策に当たっていた。
そんな中、禍威獣ネロンガの出現時に謎の巨人が大気圏外から飛来し、これを撃退して去っていく。
一方、巨人が飛来した際、逃げ遅れた子どもの保護にあたっていた禍特対の神永新二は、衝撃からその子をかばって死亡する。
光の星から来た外星人であった巨人は、神永の自己犠牲を見て人類に興味を示し、神永と一体化する。
そして、必要に応じて「ベーターシステム」で巨人に戻りつつも、禍特対の一員として人類を理解していく。
巨人は続く禍威獣ガボラも撃退し、禍特対はその人類に配慮した戦法と去り際の一瞥から、「巨大人型生物 ウルトラマン(仮)」と命名された巨人が意思疎通可能な知的生命体であると推察する。
ウルトラマンの存在が公となる中、日本政府に接触した外星人ザラブは、宇宙文明の超技術を背景に不平等条約を締結しようとするが、真の目的は人類を内戦状態にし自滅させることにあった。
ザラブは陰謀を察知した神永=ウルトラマンを拉致監禁し、ウルトラマンの正体が神永であることを世界中にリークする。
さらに、にせウルトラマンに化けて破壊行為を行い、彼の抹殺を日本政府に提案するザラブだったが、禍特対の浅見弘子に救出された神永=ウルトラマンの手で撃退される。
しかし、正体が知れ渡った神永=ウルトラマンは人間社会に居場所を失う。
新たに日本政府に接触した外星人メフィラスは、ベーターシステムによって強大な生物兵器に転用できる人類を独占管理しようと目論んでいた。
彼はベーターシステムの実演として浅見を巨大化してみせた上で、ベーターシステムを活用した人類の巨大化による敵性外星人からの自衛を提案し、日本政府にベーターシステムを供与する代わりに自らを人類の上位存在として認めさせるという密約を交わす。
一方、メフィラスは神永=ウルトラマンと接触し、禍威獣は地球に放置されていた生物兵器を目覚めさせたもので、ウルトラマンを誘き出すために自らが放ったことを明かす。
神永=ウルトラマンは地球における共闘を持ち掛けられるが、外星人による地球文明への干渉を嫌ってこれを拒絶、禍特対の協力の下、ベーターシステム引き渡しの場を急襲する。
メフィラスはウルトラマンとの戦闘を優位に進めるが、光の星からの新たな使いの出現により地球の命運を悟り、ベーターシステムを回収して撤退する。
このとき訪れた光の星からの新たな使いゾーフィは、ウルトラマンが神永と一体化したことで人類が生物兵器に転用できることが宇宙中に知れ渡ったため、人類は危険な存在として殲滅されることを告げ、地球を太陽系もろとも滅却する天体制圧用最終兵器ゼットンを衛星軌道上に展開する。
神永=ウルトラマンはゼットンの存在を禍特対に明かした上で、単身ゼットンに挑むが敗退し、神永の姿に戻って一時昏睡に陥る。
ウルトラマンの敗退に政府関係者が絶望に陥る中、神永=ウルトラマンが残したUSBメモリーにベーターシステムの基礎原理が書かれていることが判り、禍特対の滝明久を中心に世界中の科学者が知恵を集め、ベーターシステムを応用して次元の裂け目を作りゼットンを異次元に飛ばすという作戦を編み出す。
この作戦は実行するウルトラマン自身も異次元に飛ばされる危険が高く、禍特対班長の田村君男は実行を躊躇するが、神永=ウルトラマンは自己犠牲を厭わず人類を守ることを優先し快諾、作戦を成功させる。
しかし、ウルトラマンは次元の裂け目から脱出できず、異次元に飛ばされてしまう。
異次元を漂うウルトラマンの前に、彼の「生きたい」という意思を辿ってゾーフィが現れ、人類の知性と健闘を認めて殲滅を中止したことを告げる。
彼はウルトラマンを光の星に連れ帰ろうとするが、今後の人類の行く末を案じたウルトラマンはこれを拒絶、神永に自分の命を与えてほしいと頼む。
その意を汲んだゾーフィは、ウルトラマンと神永を分離する。
次の瞬間、神永は禍特対の仲間たちに迎えられて目を覚ました。
音楽
『エヴァンゲリオン』シリーズや『シン・ゴジラ』での候補曲から、未使用に終わっていた音楽も使用されている。
主題歌
- 「M八七」
作詞・作曲・歌 - 米津玄師 / 編曲 - 米津玄師、坂東祐大(Sony Music Labels)
本作品ではウルトラマンの出身地を明確にしておらず、米津氏から当初渡された曲のタイトルも「M78」であった。
しかし、初代ウルトラマンの放送当時に「M87」と台本に書いてあったものが印刷台本時に間違って「M七八」になった、というエピソードを汲んで曲のタイトルも「M八七」にしてはいかがか、と返したところ米津氏もこれを快諾し、「M八七」になったという。
【メーカー特典あり】 M八七 (ウルトラ盤) (M八七 ミラーステッカー付)
評価は賛否両論
「ジャパンタイムズ」のマット・シュリー氏は本作品を5点中3.5点と評価。
楽しいが、前作(『シン・ゴジラ』)のようなパンチと重厚さに欠ける。
『シン・ゴジラ』は単なる著名なシリーズ作品のノスタルジックなリブートではなく、日本の官僚機構、軍事的能力の限界や東日本大震災のトラウマについて批評するための手段でもあった。
『シン・ウルトラマン』は愛されてきたキャラクターを用いて現代日本社会を描くことにはあまり関心がなく、古いオモチャで遊ぶことのほうに興味があるようだ。
と評している。
「アニメ・ニュース・ネットワーク」のリチャード・アイゼンベイス氏は本作をこう評している。
完全に見やすい映画であるが傑作にはほど遠い。
クリエイター達に対して与えられた創作上の自由度がこの映画を最高にも最低にもしていることは明らかだ。
結局のところ、『シン・ウルトラマン』は原作と同様に映画ではなくテレビシリーズにすべきだったという気がしてならない。
結果、我々に残されたのはやり過ぎかつすこし物足りない映画である。
けれども、半世紀前の『ウルトラマン』や同様の特撮番組へのラブレターとしては十分な作品である。
ノスタルジックなスペクタクルであり、なぜこのシリーズが今でも人気を保ち続けているのかを理解することはたやすい。
「Crunchyroll」のアリシア・ハディック氏は本作品を、
新しい世代のために古典的キャラクターを蘇えらせるお手本をハリウッドに示す創造的なスペクタクルだ。
と評した。
「Unseen Japan」のノア・オスコー氏は本作品を、
『ウルトラマン』を現代風にアレンジした華やかで楽しい作品。
巨大怪獣との戦闘はインパクトがあるものの、『シン・ゴジラ』とは異なり、巨大怪獣の存在がもたらす現実的な存亡の危機は感じられない。
それは映画全体にも言える。
政府の官僚制の弱さについての多少の言及を除けば、『シン・ウルトラマン』は基本的には頭を使わずにノスタルジックで楽しい時間を過ごすことに終始している
と評している。
これほど批判的な言葉が多いのは、海外に「特撮」という撮影法への理解が足りないからではないだろうか。
信者が考える庵野秀明の本当に描きたかったもの
庵野秀明信者である著者からみても、前述した批判的な評はすべてが頷けるものばかり。
決して的外れな評価ではない。
正直、内容は庵野秀明作品らしからぬ軽さといえよう。
ただ面白いか面白くないかを問われれば、著者の答えは "面白い" だ。
低い評価にもそれなりの理由が考えられる。
それは観点の相違というものだ。
庵野信者として言わせていただきたいのは、そもそも『シン・ゴジラ』と比べるべくもないということ。
たしかに同じ『シン・』シリーズではある。
そして本作『ウルトラマン』シリーズと『ゴジラ』シリーズは、特撮の代表的な作品であることも共通項。
比べる気持ちはわかる。
だが決定的に違うのは、本作『シン・ウルトラマン』と『シン・ゴジラ』は扱うテーマが根本的に違う。
『シン・ゴジラ』はゴジラという存在以外、徹底的にリアリティを追求している。
政府の対応はその筆頭であり、だから政治風刺色が強くなった。
しかし『シン・ウルトラマン』では、あくまで娯楽映画に徹している。
庵野秀明氏は子供の頃に観た、夢しか溢れない特撮の世界をただただ描きたかったのだろう。
初代『エヴァンゲリオン』ではシナリオをこねくり回した結果、闇堕ちに近いエンディング(正確にはハッピーエンド?だが観ている方の心は闇に堕ちた)を迎えている。
庵野作品として期待されまくった『シン・ゴジラ』では、痛烈な政治風刺でさすがは庵野秀明と世間に言わしめた。
だが劇場版『エヴァンゲリオン』で見え始めた、庵野秀明氏の本当に描きたかったもの。
それは闇堕ちや政治風刺のようなある意味捻くれた作品ではなく、娯楽満載の夢溢れる作品だったのではなかろうか。
ジブリで巨神兵を描いていた頃の、浪漫溢れる作品ではないだろうか。
そういう観点で本作を観ると、『シン・ウルトラマン』とは実に感慨深い作品である。
設定に無理があっても何ら気にすることなく、ただただ娯楽としての特撮を追求する。
ただ楽しいだけ?
それだけではいけないのだろうか。
庵野秀明作品は捻くれていなくてはいけないのだろうか。
そうではないはずだ。
シナリオの詰めの甘さなんかご愛嬌。
『ウルトラマン』の作風って、そういうものだろう?
それ以上に特撮技術を追求し切った古くて新しい映像からは、特撮派でもない著者ですら望郷のような懐かしさを感じてくる。
昭和のDNAとはこういうものだろうか。
本作を視聴の際は、エヴァの庵野秀明作品だからと難しく構えてはいけない。
古き良き『ウルトラマン』の世界観を、新しい映像効果で楽しむためだけの作品なのである。
密かに嬉しい『シン・ゴジラ』とのシンクロ
本作は『シン・』シリーズと銘打つだけあって、『シン・ゴジラ』とのシンクロシーンもいくつか見受けられた。
例えば、得体の知れない政府の男役に竹野内豊氏が登場。
竹野内豊氏は『シン・ゴジラ』でも政府の重要なポスト役で出演していたが、今回も重要案件であるウルトラマンに関わってくる。
しかも役名がない。
あえてリンクを明確にしないあたりが、いじらしいではないか。
また声の出演のみではあるがウルトラマン役に高橋一生氏が出演。
高橋一生氏もまた『シン・ゴジラ』で重要な役を演じているのも興味深い。
興味深いといえばゾーフィのC.Vに山寺宏一氏が出演しているが、山寺宏一氏は『エヴァンゲリオン』で加持リョウジ役として有名だ。
庵野秀明信者としては、こういうシンクロがたまらない。
☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎