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ioritorei’s blog

完全趣味の世界

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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ【尾張徳川家第7代当主・徳川宗春の政策に学ぶ】緊縮政策こそ経済停滞の原因?宗春曰く、「行き過ぎた倹約はかえって庶民を苦しめる結果になる」「規制を増やしても違反者を増やすのみ」。

 

 

 

 

 

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

緊縮財政・法規制の強化より開放政策・規制緩和を推し進めた尾張徳川家第7代当主・徳川宗春

緊縮政策こそ経済停滞の原因

 

 

倹約と増税による財政再建を目指した享保の改革

 

 

享保の改革は、江戸時代中期に第8代将軍・徳川吉宗によって主導された幕政改革であり、寛政の改革天保の改革と並ぶ三大改革である。

倹約と増税による財政再建を目指した改革だが、特に年貢を家宣・家継時代の四公六民(4割負担)から五公五民(5割負担)に引き上げた事は、農民にとっての過重負担となった。

この結果、人口の伸びは無くなり一揆も以前より増加傾向になった。

先進国で人口が減少するのは、自然の摂理ではある。

現代において人口が減少する一般的な理由は、女性の教育と向上心への現代的な姿勢と、婚姻以外の出産を嫌う昔ながらの価値観が同時に存在していたことによるという。

生産が増えて暮らしが楽になると、余暇が生まれ教育が行き渡るようになるからだ。

だからといって、日本の急速な少子高齢化は尋常ではない。

異常レベルである。

現在の日本はこの改革の真っ只中に置かれているような気がしてならない。

この改革が結果的に何をもたらしたのか?

政治は歴史から何も学んではいないようだ。

 

 

 

尾張徳川家第7代当主・徳川宗春とは

 

 

徳川宗春は、江戸時代中期の大名である。

尾張徳川家第7代当主、名古屋藩第7代藩主。

名古屋藩主前は御連枝である大久保松平家当主(陸奥梁川藩主)。

名古屋藩主就任時に規制緩和政策をとった宗春は、質素倹約策の8代将軍・徳川吉宗とよく対比されるが、幕府が元文の改鋳で金融緩和をした際には、名古屋藩では引き締め政策を行っており、単純な規制緩和ではなかった。

 

 

 

名古屋の繁華に京(興)がさめた

 

 

当時の幕府は享保の改革を推進する将軍・吉宗のもと、老中・松平乗邑の主導で質素倹約・規制強化が徹底しており、祭りや芝居などは縮小・廃止されていた。

それと全く逆を行く宗春は、規制緩和をして民の楽しみを第一に政策を進めていく

緊縮財政・法規制の強化をする幕府に対し、開放政策・規制緩和(消費奨励ではない)の名古屋藩となっていった。

ただし規制緩和のみではなく、神社仏閣への公式参拝には束帯騎馬の正装で赴き、幕府の法令も先回りするなど、宗春は幕府に対立する姿勢は全く見せていない。

むしろ幕府の法令を遵守するように命じて、大切な形式はしっかりと守っている。

一方、巡視などでは朝鮮通信使の姿・歌舞伎・能の派手な衣装で出向いたり、時には白い牛に乗って町に出たり、民衆が喜ぶ服装を工夫した。

名古屋城下郊外に芝居小屋や遊郭等の遊興施設を許可するなど規制緩和政策は、商人たちに受け入れられ、名古屋の町は賑わっていった。

享保17(1732)年正月、自身の著書『温知政要』(21箇条)藩士に配布した。

3月には『條々二十一箇條』を発布した。

その中で「行き過ぎた倹約はかえって庶民を苦しめる結果になる」「規制を増やしても違反者を増やすのみ」などの主張を掲げた。

これらの政策には、質素倹約を基本方針とする幕府の享保の改革による緊縮政策が経済停滞を生み、蝗害による不作も重なり、各地で暴動が頻発していたことへの反発があると言われている。

なお、幕府の倹約経済政策に自由経済政策理論をもって立ち向かったのは、江戸時代の藩主では宗春だけである。

この結果、継友時代の倹約令で停滞していた名古屋の町は活気を得て、その繁栄ぶりは「名古屋の繁華に京(興)がさめた」とまで言われた。

また宗春の治世の間、名古屋藩では一人の死刑も行われなかった。

宗春は、犯罪者を処分する政策ではなく、犯罪を起こさない町造りを目指し、藩士による表立った巡回をさせている(密偵は使わなかった)。

また犯罪者が増えると、死刑ではなく別の処分(髪や眉毛などを剃る等)も行われた。

さらに、心中しようとした者を、野ざらしの刑にはしたが、結果的には夫婦として普通に生活することを許可した(闇森心中事件:当時の幕府の令では「心中未遂の場合は非人あるいは死罪」)。

岐阜への巡視では奴振りをさせ、知多への巡視では徒歩で移動するなど、当時としては斬新な行動をいくつも行なっている。

こうしたことで、当時としては珍しく、生存中の大名が浄瑠璃や歌舞伎の題材となった。

 

 

 

人間味あふれた殿様・徳川宗春

 

 

尾張藩七代藩主徳川宗春は元禄9年(1696)名古屋生まれ。

三代藩主・綱誠の二十男、母は梅津の方(宣陽院)。

幼名万五郎。

享保14年(1729)8月、宗春が奥州梁川三万石松平義昌の跡を継いだ途端、享保15年11月27日に兄継友が急逝、思ってもみなかった尾張七代藩主となってしまった。

宗春は享保16年3月、自分の政治理念を述べた「温知政要」を上梓した。

大藩の藩主が、自分の政治理念を出版するということは他には例がなく、内容も、当時の為政者としては画期的なものだった。

全21カ条。

序文冒頭に「古より国を治め、民を安んずるの道は、仁に止る事也とぞ……日夜慈悲愛憐の心を失ず。万事簾直にあらんがため、思ふ事を其侭に和字に書きつづけ」たとある。

御三家筆頭尾張の藩主となった宗春の、為政者としての抱負である。

政治の根本は「仁」。

さらにその運用に当たっては、巻頭に「慈」巻末に「忍」の字を印刷、慈悲と忍耐が重要で、慈悲は日(太陽)の如く、忍耐は月の如し、日と月を合わせると明となる、世の中明るいことがもっとも大切とする。

具体的には「質素倹約は大切だが、ただ倹約するだけではダメで、お金は生かして使うことが大事」「法度(規制)は増やせば増やすほど、法度破り(罪人)が増えるだけ、法度は必要最小限でよい」「罪人を罪するときは、絶対誤りの無いように、極刑にいたっては極力注意を」などと言っている。

そのせいか、死罪を免れた罪人で牢屋はいっぱいになったという。

宗春は、法度は最小限にして、規制を緩和し、できるだけ民衆がのびのびと生活を楽しめる政治をすれば、民衆の消費が進み、経済も活性化して、国の繁栄は望めると考えたのである。

実に人間味あふれた殿様だ。

 

 

 

日本で唯一賑わいにあふれた名古屋・尾張一円

 

 

宗春が藩主になって1年。

国入りしてわずか数力月で、尾張一帯は見事に発展していた。

名古屋の町中ばかりではなく、農村部でも、奈良本辰也氏によれば、春日井郡における陶器・大根(宮重大根:尾張藩献上品)・煎茶、海東郡(蟹江辺り)の西瓜、知多郡の陶器・たばこ、愛知郡の絞り染、武儀郡(美濃)の美濃紙、可児郡(美濃)の栗・炭などが、「あるいはその販路をひろげ、あるいは農民の副業として手広く生産され始め」て、産業が目覚ましい発展をみせた。

その頃の藩内では「新しい生産の芽が続々と生い立って」いたのだが、宗春の英断が火に油を注いだ結果となって現れたのである。

これらは今も、この地方の重要な伝統産業として受け継がれている。

宗春は尾張国全体の発展を考えていたのだ。

宗春の一番の功績は、名古屋をはじめ尾張一円を元気づかせたことだ。

八代将軍・吉宗の享保の改革で質素倹約を強いられ、全国が打ち沈んでいた時、名古屋だけが盛り上がったため、実際以上に目立った面もあった。

事実、宗春により元気いっぱいになった名古屋は、都市化が急速に進み、知名度が大幅に上がり、農村部でも米作以外の産業も飛躍的に発展し、結果的に人々の収入も増えたはずだ。

宗春は蟄居謹慎により、政治の表舞台から消えたが、宗春の蒔いた種は着実に芽を出し、成長した。

芸処名古屋もそのひとつだ。

宗春の失脚で一度は沈滞したが、歌舞伎は5年後には再開され、文化年間には三都に継ぐ芝居地となった。

茶道なども江戸時代後半の化政期(1804~1830)から幕末にかけて大流行し、尾張藩は文政12年(1829)に抹茶禁止令を出したほどだ。

謡・踊りなどを嗜む民衆の多いことは、現代まで続いている。

芸能だけではない。

宗春が示した反骨の精神は、中央に対する尾張の独立心を養い、名古屋独自の精神や文化を育てた。

宗春の政治は結果的には失敗に終わっているが、多くの教訓を我々に遺している。

宗春の政治から、規制緩和人間性重視の考え方を学び、現代に生かすことが、今のわれわれの緊急の要だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

どこにそんな余裕があるのか…?

日本政府、ウクライナの「保証人」に 2170億円の借款で=世界銀行

 

 

岸田政権の止まらないバラマキ外交

 

現在のわが国の実体経済を見ると、今後も物価の上昇は続くことが予想される。

それなのに給料は上がらない……。

しかし政府によるバラマキ外交は止まらない。

世界銀行の理事会は、ウクライナに対する15億ドル(2170億円)の借款を、日本政府の信用保証をもとに供与すると決定した。

2023年6月29日、世銀が発表した。

世界銀行のプレスリリースには次のように記されている。

 

世界銀行執行役員理事会は15億ドルのウクライナ救済・復興開発政策融資を決定した。この借款は日本政府によって保証されている。」

 

この融資は、貧困層や難民支援、財政支出の透明性と説明責任の向上、市場機能の改善支援などに充てられるという。

同年4月、世銀グループでロシア、シリア担当理事を務めるロマン・マルシャビン氏はスプートニクの取材に対し、世銀自身のウクライナへの融資能力はほぼ枯渇していると明かしていた。

そのため世銀は現在、西側諸国の「保証人」から提供される資金の仲介、および調整役として支援を行っている。

岸田文雄首相は同年2月、ウクライナに対し55億ドル(約8000億円)の追加財政支援を行うと発表していた。

林芳正外相によると、日本は4月までにウクライナ及び周辺国等に対し、総額計76億ドル(約1兆1000億円)の関連支援を行っている。

 

 

支援は必要、でも優先すべきは国内財政の再建

 

他国への支援が必要なことだとは理解している。

困っている国があるなら、困っていない国が手を差し伸べるべきである。

果たして日本はどちらに属しているのだろう?

もちろん世界の貧しい国からしてみれば、日本は豊かな国で間違いない。

だがそれはあくまで表向きの話であって、日本人でも庶民の貧困ははじまっている。

それも食うに困るレベルの貧困だ。

だが、政治家どもには現在のこの国内財政が見えていない。

今の日本は、気前よく海外支援できるほど裕福な状態ではないのだ。

経済大国・日本とは、もはやマヤカシの呪言でしかない。

何より、政治家の利権とつまらない見栄のために、我々の血税が使われているのは明白。

滅亡へと向かう日本の現状を鑑みると、国内財政再建は急務なのである。

今、老人支配にて、日本疲弊す。

此れ誠に危急存亡の秋なり。

バカな政治家に、名軍師の国家を憂いたこの言葉の意味がわかるだろうか。

きっとわからないのだろうな。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

どんなにバカな政治家でも、この言葉の意味ぐらいはわかるだろう。

口だけでなく、行動で示してほしいものだ。

 

 

日本経済 衰退の構図

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