憂鬱な月曜日に楽しみをくれた『ドラゴンボール』と日曜日の終わりをより豊かにしてくれた『ちびまる子ちゃん』
漫画家・鳥山明先生、声優・TARAKOさんご逝去
漫画家・鳥山明先生と声優・TARAKOさんの訃報が相次いで報じられた。
訃報に接しマンガ・アニメ界のみならず、あらゆる業界の著名人や多くの一般人が弔意を表し、お二人の訃報のショックの大きさを物語っている。
それは同時に、お二人が関わった作品の偉大さも物語る。
憂鬱な月曜日に楽しみをくれた『ドラゴンボール』「 サイヤ人襲来〜ナメック星」編
今、おじさんと呼ばれる世代の人間で『ドラゴンボール』を知らない人がいるのだろうか?
連載誌だった「 週刊少年ジャンプ」の中でも『ドラゴンボール』人気は飛び抜けていた。
著者が今でも鮮明に覚えているのは「サイヤ人襲来〜ナメック星」編でのナッパの姿。
その作画のインパクトは絶大だった。
このシーン、たしかガッツリ1P(もしか見開き?)を使って描かれていた(と思う)。
迫力たっぷりのこの凄い集中線が今でも忘れられない。
ナッパが指をクイっともち上げただけで街をひとつサクッと吹き飛ばし荒野にしてみせたシーンもとても印象的だったけど、それが「背景を描くのが大変だったから」という理由だったと後で知った時は、鳥山先生のお茶目な一面に思わず笑ってしまった。
それだけ週刊連載の漫画家さんは激務だということなのだろう。
そんな事情なんてまったく知らなかった学生時代、月曜日になれば誰かが必ずジャンプを学校に持ってきた。
そのジャンプを授業中に回し読みするのが常だった。
真っ先に読んだのはもちろん「サイヤ人襲来」編に突入したばかりの『ドラゴンボール』。
戦闘力の概念と、それを測るスカウターに心が踊った。
ラディッツに「戦闘力たったの5か…ゴミめ」と言われてしまった伝説のザコキャラ農夫は、きっと多くの人が今でも覚えていることだろう。
鳥山明先生のシンプル(ものぐさ?)なネーミングセンスも好きだった。
ギニュー特戦隊のメンバーの名前は今でも全員ちゃんと言える。
子供の頃、本気でカメハメ波を出そうと思って必死で気を溜めた人もきっと少なくないはず。
しかし大人になるごとにいつしかジャンプも読まなくなって、そうこうしてる間に 『ドラゴンボール』の連載も終わってしまった。
そんな経験だからだろうか。
不思議なことに、『ドラゴンボール』をいくら読み返してみても、あの頃の気持ちに戻ることができない。
だがこのCMを観ると、なぜかあの頃の気持ちが鮮明に思い出される。
あの頃の気持ちに戻れる。
これを成長というのか、それとも夢見ることを忘れてしまっただけなのか…。
昔は良かっただなんて言うつもりもないが、教師の目を盗み、学校で『ドラゴンボール』を夢中で読んでいたあの頃が、今ではとても懐かしい。
「カメハメ波出ねぇかなぁ」なんてバカなことを、ちょっと本気で夢見ていたあの頃が、今はちょっぴり愛おしい。
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日曜日の終わりをより豊かにしてくれた『ちびまる子ちゃん』
2024年(令和6年)時点で放送年数55年を超える長寿番組で、世界で最も長く放映されているテレビアニメ番組としてギネス世界記録を保持している『サザエさん』と並び、今や日曜日の代名詞となった 『ちびまる子ちゃん』。
初代エンディングテーマ曲「 おどるポンポコリン」の衝撃とともに、一気に国民的アニメにまで登り詰めた 『ちびまる子ちゃん』だが、その思い入れは少し特別だ。
はまじが『ちびまる子ちゃん』の舞台である、清水の小さなコミュニティーFMに出演していたことなんて、ほとんどの人は知らないだろう。
「おとなまる子」に扮した吉岡里帆さんをメインキャラクターに起用した、ダイハツ工業株式会社の新型「ミラトコット」のTVCMの一部が清水の商店街で実際に撮影されていたなんて、ほとんどの人が知らないのだろう。
声優デビューから9年目の1990年からまる子役を担当し、まる子に命を吹き込み続けてきたTARAKOさん。
2018年8月に作者のさくらももこさんが乳がんのため53歳で死去。
同年11月16日に執り行われたお別れの会「さくらももこさん ありがとうの会」では出席者を代表して弔辞を読んだ。
「私の人生の半分はまる子でした。ももこ先生がいなかったら人生が変わっていた。まる子が売れるまでバイトをしていましたし、ももこちゃんの声と似ていて幸せでした」と言葉を詰まらせながら感謝の意を述べる。
その後、「3年4組、さくらももこ。通称、まる子」と声色をまる子に変えて、さくらさんへ再び語り始めた。
「大人になって天使になった私へ。そっちはどうだい?今日はまだまだこの辺にいるよね。桑田(佳祐)さんがいるけど、しがみついたらだめだよ」とユーモアたっぷりに呼びかけると、最後は「そっちでも時々まる子描いてよね!」と送り出した。
さくらさんの "分身" である "まるこ" の声色でのメッセージに、会場は涙と笑いに包まれたというが、「私の人生の半分はまる子」と語ったTARAKOさんでしか作れない唯一無二の優しい空間だったのだろう。
TARAKOさんの声にはそんな人柄が滲み出ていた。
まる子の妙に年寄りじみた口調も、トンチンカンなやり取りも、おバカな言動も、すべてが嫌味なく心地良く聞こえたのはTARAKOさんの声があればこそ。
『サザエさん』だけでは満たし切れなかった日曜日の虚しさを、楽しい気分ちで補ってくれたのはTARAKOさんとさくらももこ先生だった。
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鳥山明先生、享年68歳。
TARAKOさん、享年63歳。
お二人のご冥福を心よりお祈りいたします。
あまりにも早い旅立ちに寂しさと虚しさがこみ上げてきます。
でも、お二人が遺してくれた作品は多くの人の心の中にいつまでも残り続けるでしょう。
素敵な作品をありがとう。
お疲れ様でした。
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