劇場版アニメ
機動戦士ガンダムSEED FREEDOM
※本稿にはネタバレを含みます。ご注意下さい。
1stにZZに鉄血にG?歴代ガンダムへのオマージュが盛りだくさんも種シリーズ本来の魅力は半減か
※1st=「機動戦士ガンダム」、ZZ=「機動戦士ガンダムΖΖ」、鉄血=「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」、G=「機動武闘伝Gガンダム」、種=「機動戦士ガンダムSEED」
『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』とは
テレビアニメ『機動戦士ガンダムSEED』シリーズ最新作にして完結編にあたる劇場アニメ作品。
2024年1月26日公開。
バンダイナムコフィルムワークスと松竹の共同配給。
『SEED DESTINY』最終話から1年後のC.E.75年が舞台。
日付についての言及はないが、既出キャラクターの生年月日と作品内での年齢からの逆算によると3月29日から5月18日の間の出来事と考察されており、それを裏付けるかのように桜が開花している=春頃とする描写がある(早生まれのキャラクターは年齢が2歳上がっており、遅生まれのキャラクターは年齢が1歳上がっている)。
タイトルロゴは『SEED DESTINY』に倣う様に『機動戦士ガンダム S FREEDOM』となっている。
『SEED DESTINY』の続編劇場版の制作発表は2006年の5月であり、公開に至るまでには歴代のガンダムシリーズ映画作品の中では最長の18年(正確には17年8ヶ月ほど)を要している。
本来劇場版は『機動戦士ガンダムSEEDC.E.73STARGAZER』や『SEED SUPERNOVA』内の「たねきゃら劇場」等と同じく『"X" plosion GUNDAM SEED』プロジェクトの一つとして企画されたが、メイン脚本家両澤千晶さんの闘病生活やその後の死去等の影響で製作が滞っており2009年を最後に製作に関して大きな言及も無く事実上の凍結状態だったが、シリーズ20周年を記念して立案された「GUNDAM SEED PROJECT ignited」において劇場作品制作の再開が決定したため公開の運びとなった経緯を持つ。
脚本は、両澤千晶さんが生前に書き上げた構想を元に夫でシリーズの監督でもある福田己津央氏と「SEED」・「DESTINY」の小説版を手掛けた後藤リウさんにより共同で制作された。
機動兵器の戦闘シーンは基本的にCGで描かれているが、一部モビルスーツの戦闘シーンに限り従来通りの2D作画も使用されている。
公開に合わせて『SEED』を3部作、『SEED DESTINY』を4部作に再構成した総集編「スペシャルエディション」のHDリマスター版も2023年8月~11月に一作ずつ2週間限定で劇場公開された。
1月26日の公開から5月22日までに観客動員数288万人、興行収入48.2億円を突破。
動員数の伸びは2024年最速記録で、興行収入は1982年公開の『めぐりあい宇宙』の23億円を2倍以上も抜いてガンダムシリーズ過去最高額を記録、シリーズ最高の大ヒットと相成った。
あらすじ
C.E.75、戦いはまだ続いていた。
事態を沈静化するべく、ラクスを初代総裁とする世界平和監視機構・コンパスが創設され、キラたちはその一員として各地の戦闘に介入する。
そんな折、新興国・ファウンデーション王国から、ブルーコスモス本拠地への合同作戦を提案される。
種シリーズファン感涙の懐かし3戦術
本作では懐かしい名を冠する戦術が劇中でいくつか登場する。
それは『SEED』シリーズを観ていた人ならどれもすぐにピンとくる名前ばかりで、戦術名を聞けばそのキャラクターにまつわるエピソードが鮮明に思い出される。
戦術バジルール
終盤におけるファウンデーションとの決戦の際に、ミレニアム艦長となったマリューが、彼女の名を冠した「戦術バジルール」を実行する。
この名を聞いて種ファンならあるシーンを思い出したことだろう。
これはかつての戦友ナタル・バジルールがドミニオン艦長としてアークエンジェルとの交戦時に用いた攪乱戦術をややアレンジしたもので、予めプログラムした多数のミサイルを放出した後、敵を自身の艦に引き付けて注意を逸らさせ、矛先が向いた瞬間ミサイルに点火して別方向から敵を攻撃するというもの。
この攻撃によりアークエンジェルは苦戦を強いられることになる。
劇中ではファウンデーション艦隊に対してこの戦術が行われ、見事戦果を挙げた。
この戦術は、艦長となったバジルールの優秀ぶりを示す名エピソードのひとつだ。
気が強く、良くも悪くも軍務に忠実で頭が固く柔軟性に欠け、任務遂行を最優先とする典型的な軍人であるバジルール。
それ故に軍人としてはどこか甘く、情にも流されやすいマリュー・ラミアスとは度々意見が対立する。
しかしマリューと同じく友軍(仲間)を大事にする意識は強く、内心ではお互いどこか認めている所もあったようである。
アークエンジェルがアラスカ基地に到着した後、ナタル・バジルールは少佐に昇進のうえアークエンジェル級2番艦ドミニオンの艦長に転属となりマリューたちと袂を分つ。
そしてアラスカ基地から逃亡したアークエンジェルの討伐命令を受け、かつての同僚を敵に回すことに躊躇いを感じながらも戦闘では見事な戦術を披露し、アークエンジェルを撃沈寸前まで追い詰めた。
第2次ヤキン・ドゥーエ攻防戦において、劣勢に追い込まれても尚、怒りに任せて徹底抗戦を主張するアズラエルを生かしておいてはならないと確信したバジルールは、全クルーに退艦命令を出す。
アズラエルに全身を銃で撃たれながらも彼をブリッジに拘束し続け、アークエンジェルが放ったローエングリンに撃たれ、彼諸共心中した。
その際の表情は、銃撃による血に塗れながらも穏やかな微笑みに満ちていた。
小説版によると、死の間際に「非の打ちどころの無いエリート軍人の自分が、今こうしてイカれた男と死ぬのを待っている」という状況を自嘲しつつ、マリューに対して「あの優しい女性がよく砲撃を躊躇わなかった」と内心で賞賛を送っていた模様。
バジルールの最期がキラやマリューのみならず、アークエンジェルのクルーの進むべき道をも示唆することとなる。
バジルールの最期は涙無しでは観ることができない。
それ故に、バジルールが生きた証をマシューが証明したようなこの戦術は、『機動戦士ガンダムUC』でゼネラルレビルの名を聞いた時の感動に匹敵する名演出であった。
バジルール推しの著者としては、本作のイチオシの泣きポイント。
ニコルの戦術
ニコルはザフトに所属する緑色の髪が特徴のMSパイロットで、アスランの元同僚。
ニコルの戦術とは、かつてアルテミスの傘によって守られている要塞を落とした時の戦術。
味方が要塞の外で暴れ要塞から援軍を誘き出し、援軍が出撃する為に一瞬だけ開くアルテミスの傘を、ミラージュコロイドで透明になっているニコルが侵入し、敵が侵入するはずのない要塞内部で、いる筈のない敵がいきなり大暴れし要塞を陥落させた。
彼の死はアスランやイザーク、ディアッカに衝撃を与え(特にアスランやイザークは更衣室で涙を流すほどに悲しんでいた)、皮肉にもクルーゼ隊の結束をより一層強める事になり3人が徐々に心境の変化を起こし始めるきっかけにもなった。
これが原因でアスランはキラを倒す事を決意、そしてキラのもう1人の親友の戦死へと繋がってしまうことになる。
キラもまた罪悪感から戦争での殺し合いに悩むようになり、後の不殺志向の遠因となった。
トール共々、ニコルの死はあらゆる意味でのターニングポイントである。
ちなみに『SEED』以前までガンダムチームと言えば、最初のZZ含め少なくとも三種類以上のガンダムタイプで構成されているチームは誰一人死人が出ないというガンダムシリーズの生存フラグとして語られていた。
そんな中でニコルの戦死はそのジンクスが破られた初の例で、ガンダムシリーズを知り尽くしているほど当時の視聴者にも衝撃だった。
もっとも今回のガンダムチームは敵側だったというのもあるが、最終的に生存した残りの3人は全員が何らかの形で主人公のキラ達に協力している。
現在のガンダムシリーズでは、むしろガンダムタイプを複数持つガンダムチームは「誰か一人死ぬし、最悪全滅」という死亡フラグになってしまっている。
ついでに黒いガンダムに乗るという死亡フラグも持っていたりする。
トダカの100発中100発外し
100発中100発外しとは、トダカの十八番でいわゆる「形だけ命令に従う」というもの。
『SEED DESTINY』では、「以前国を焼いた軍に味方し、懸命に地球を救ってくれた艦を撃て…か…。こういうの、恩知らずっていうんじゃないかと思うんだがね、俺は」という考え方のもとに、「警告開始!砲はミネルバの艦首前方に向けろ!絶対に当てるなよ!」と命令。
これが100発中100発外しの起源かと思われる。
また、同作では「アークエンジェルを撃ち落とせ」という命令に対してワザと外れる攻撃を行い、「攻撃したが避けられてしまった」という体でアークエンジェルを逃している。
トダカはオーブ所属の海軍軍人で、階級は一佐。
「トダカ」は名字で下の名前は不明。
『SEED』のオーブ攻防戦の流れ弾で家族を失ったシン・アスカを保護し、プラントに移住出来るように計らった恩人でもあった。
しかしシンが搭乗するソードインパルスガンダムの刃でブリッジを真っ二つにされ、乗艦であったタケミカヅチは撃沈され、トダカは「古きよきオーブ」に殉じて戦死した。
トダカは『SEED DESTINY』劇中で最もオーブ軍の置かれている危機的状況(ザフト軍からはミネルバ騙し討ちの恨みを買い、地球軍からは捨て駒扱いで最前線に立たされる)を理解していた軍人であり、「彼がもっと地位の高い軍人として物語に関わっていたら、オーブ軍は多くの被害を出さなかっただろう」という意見もある。
その証拠に、阿吽の呼吸で100発中100発外し行えるオーブ軍にはトダカの遺志がちゃんと根付き、しっかり受け継がれていることがよくわかる。
1stにZZに鉄血にG?歴代ガンダムへのオマージュが盛りだくさん
おじさん文化の象徴だったガンダム人気。
その裾野を若者、それもガンダムとはこれまで無縁のように思えた女性にまで広げさせたのが種シリーズである。
種シリーズは1stに代表されるような宇宙世紀ガンダムとは異なり、いわゆるアナザーガンダムと呼ばれる。
たしかにアナザーガンダムではあるのだけど、しかし種シリーズは『SEED』が1stに、『SEED DESTINY』がZによく例えられる。
それは物語の構成であったり、キャラクターであったり、セリフであったりが歴代作品に倣って制作されているからだ。
では、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』ではどうかというと、あらゆるガンダムオマージュがごちゃ混ぜされた、なかなかのカオス状態だった。
新登場モビルスーツは1stベース
本作新登場のモビルスーツの中で、特に目立って活躍していたのがゲルググにギャンにズゴック。
どれも1stガンダム由来の機体ばかりである。
そして、どれも専用機やワンオフ機のイメージが強い特別な機体でもある(ギャン以外は量産されているが、ゲルググ・ズゴック共にシャア専用機になっている)。
特にズゴックは1st初登場時を彷彿とさせる演出と、水陸両用MSとは思えない大活躍をみせてくれる。
もともと、種シリーズに登場するMSはザクやグフなど1st由来の機体が多めではあるが、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』のこれはオールドファンにターゲットを絞った演出だ。
シンとステラの関係性はカミーユとフォウではなくZZのジュドーとプル?
『SEED DESTINY』でのシンとステラの関係は、さながら『機動戦士Ζガンダム』(以後、Z)のカミーユとフォウの関係に酷似していた。
これが『SEED DESTINY』がZになぞらえていると言われる所以のひとつでもあるのだが、本作での2人の関係は少し違っていた。
シリアス展開のZでコミカルな描写は皆無に等しい。
カミーユとフォウの関係はニュータイプ同士の共感のみならず、悲恋のようにも描かれていた。
『SEED DESTINY』劇中でのシンとステラの関係は、たしかにカミーユとフォウのそれであった。
しかし本作はというと、精神生命体のようなステラが少しコミカルに描かれているではないか。
これではZのカミーユとフォウというより、ZZのジュドーとプルの関係性を想起させる。
ガンダム史においてZZは非常に微妙な存在で、正史扱いされにくい。
ただしプルの存在は特別で、だからあえてオマージュしたのだろうか。
艦隊突撃の描写は鉄血からか?
本作では、スーパーミネルバ級MS惑星強襲揚陸艦ミレニアムが突撃する姿が終盤の戦闘シーンで描かれている。
しかし艦隊突撃というのは、ガンダム世界において非常に珍しい戦術である。
特攻の意味合いでなら『機動戦士Vガンダム』でのリーンホースJr.も艦隊突撃しているが、武器のひとつとして使用されてはいない。
しかし唯一『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』だけは、艦隊突撃を武器にした作品だった。
鉄血で、民間軍事業者や宇宙海賊たちが好んで使用する戦闘用宇宙船が「強襲装甲艦」と呼ばれる艦種で、「強襲」「装甲」の名の通り、強襲装甲艦はそのどれもが強固な正面装甲と高い機動力(速力・旋回性)を有している。
流石に艦後方の比較的装甲が薄い部位はモビルスーツ(MS)用火器で袋叩きにされると火を噴いてしまうが、正面からならば、ギャラルホルンの大型艦・ハーフビーク級戦艦の主砲をバンバン被弾しても全速で突撃を続けられる。
当たりどころが正面であるならば、艦隊突撃で敵艦を撃沈することも不可能ではなかったのだ。
しかしそれは、あらゆるビーム兵器が無力化された鉄血の世界観であるが故の描写にすぎなく、種シリーズの世界観ではおよそ考えられない戦術だ。
特攻ならまだ理解もできるが、武器としての艦隊突撃からはたしてリアリティを感じることができるのか…。
最終決戦は何でもあり?キラ&ラクスの共闘はまさにG
『機動武闘伝Gガンダム』の最終話「Gガンダム大勝利!希望の未来へレディ・ゴーッ!!」にてドモン・カッシュが愛の力で救い出したレイン・ミカムラと共に最後の仕上げとしてデビルガンダムに放った合体技である「石破ラブラブ天驚拳」。
そもそも必殺技など存在しないガンダム世界であまりに異端すぎるこの技は、放送当時ファンの間で大変な物議を醸す。
リアルロボットを売り文句にしてきたガンダムの世界観にはあまりに相応しくない技名であり、勧善懲悪を否定してきたガンダムにとって "愛こそ最強" などという戯言は看過できないあるまじき出来事だった。
一説によると『Gガンダム』の作風は、ガンダムの生みの親で映画監督・原作者である富野由悠季氏を激怒させたともいう。
しかし一部のマニアに『Gガンダム』はウケにウケた。
結果として「石破ラブラブ天驚拳」は、ロボットアニメ史上もっとも恥ずかしく、同時に『機動武闘伝Gガンダム』という作品を象徴し、この作品を締めくくる最後の仕上げに相応しい最高の必殺技として現在でも語り継がれるほどの大インパクトを与え、まさに唯一無二の必殺技となっている。
とはいえガンダム世界で異端中の異端作品であったGは、好き嫌いが非常に分かれる。
G支持派だって、結局はガンダム世界の異端を楽しむか、完全独立作品として楽しむのかの二択しか選択肢はない。
そんなGの「石破ラブラブ天驚拳」が、本作の最終決戦と重なって見えた。
種シリーズの最終決戦といえば、現実論のラスボスと理想論のキラの舌戦が見どころのひとつだったが、本作でのそれには印象深いセリフがひとつもない。
キラ&ラクスの共闘は、これまでの種シリーズで魅せてきた最終決戦の感動が完全に失われていたように感じる。
種シリーズ本来の魅力が半減
シリーズイチ軽い最終決戦
種シリーズの物語の根幹、すなわち争いの原因となった理由は、主人公(主にキラ)とラスボスが最終決戦で繰り広げる舌戦にそのすべてが込められている。
『SEED』ではラウ・ル・クルーゼと、『SEED DESTINY』ではギルバート・デュランダルと、それぞれ激しい舌戦が繰り広げられた。
ラウ・ル・クルーゼは最終回でキラ相手に舌戦を行い圧倒し続ける。
つらつらと人類に対する憤慨と絶望を述べるラウに対し、キラは「そんなの違う」と否定し続けるが、反論らしい反論を出せずラウの勢いで押し切られ、キラにも身の憶えがあり否定しきれずにいる部分もあった。
ギルバート・デュランダルは、ネオ・ジェネシスで防衛しつつレクイエムでオーブを焼き尽くそうとするも、レイとシン達が倒されて両方の防衛網が突破され、オーブ・クライン派連合軍に敗れた。
その後、機動要塞メサイアでキラ・ヤマトと対峙し、舌戦を利用してレイに不意討ちをさせようと試みたが、最も信頼していたレイが「明日」を欲した事で撃たれてしまう。
このように種シリーズの最終決戦といえば、舌戦に彩られる魅力的なものであった。
しかし本作最終決戦での舌戦は、キラ&ラクスのまるで「石破ラブラブ天驚拳」のような戦い方のせいで非常に印象浅いものになり、結果的にシリーズイチ軽い最終決戦となってしまった。
しかしこれは致し方ないことなのかもしれない。
種シリーズ屈指のラスボスであるラウ・ル・クルーゼ。
ラウはムルタ・アズラエル、パトリック・ザラと共に悪役としては非常に魅力だった故に、種シリーズ全体のラスボスのハードルを大幅に上げてしまった。
事実、続く『SEED DESTINY』では小物界の小物過ぎる極悪人やら他に根っからの悪人がおらず、消去法でラスボスを担当することになったキャラたちしかいない。
しかし、これについては『SEED』の話が世界を巻き込んだ絶滅戦争という非常に過激なものだったものに対して、『SEED DESTINY』の話(『SEED』の戦争の後始末も兼ねた)は大西洋連邦&オーブvsプラントという、小規模かつプロパガンダ重視の良くも悪くも現実的な戦争だった。
言い換えれば『SEED』は相手側の人種を絶滅させる戦争だったのに対して、『SEED DESTINY』は誰が世界の覇権を握るかを決める戦争だったというのも大きく影響している。
このように、ある意味でラスボス不在作品だった『SEED DESTINY』の、さらに続編である本作の最終決戦はついにネタ切れをおこす。
愛すべき敵役が必要不可欠のガンダム作品。
アムロに対するシャアのように、名作には名敵役が必ず存在する。
それを怠ったかのような本作からは、種シリーズ本来の魅力があまり感じられない。
ラクスが、ルナが、メイリンが…キャラ作画改悪の謎
セイラさんやマチルダさん等マドンナキャラはいても、基本的に明確なヒロインキャラクターを置かないガンダムシリーズ。
しかしアナザーガンダムでは割と明確なヒロインキャラがいて、種シリーズも例外ではない。
特に種シリーズは、歴代ガンダムの中でも圧倒的に美少女キャラが多い作品なのである。
シリーズ通してメインヒロインはラクスであろうが、『SEED』ではフレイという恋敵が存在した。
『SEED DESTINY』になると各勢力の主役にそれぞれヒロインが存在し、初登場のルナと前作からカガリがヒロインに昇格した。
その他、種シリーズの女性キャラは軒並み美女ないし美少女として描かれていて、それが種シリーズ人気の一因でもある。
しかし長いシリーズの中で、キャラ作画が少しずつ変わるのは世の常。
例えば『SEED』初登場時と『SEED DESTINY』最終盤のラクスはまったくの別物で、後半になればなるほど作画に力が入っている。
しかしルナは逆で、初登場時の方が圧倒的に可愛く描かれ終盤では妹・メイリンにその座を奪われた感がある。
これは物語の進行に応じその役割が変化した表れなのだろうが、女性キャラの作画がそれほど緻密に変化しているのに対して、男性キャラの作画は終始一貫して特別変化したような印象はない。
このような差が生まれるのは、男社会のガンダム世界で多くの可愛く美しい女性が活躍することが、種シリーズならではの魅力だからである。
しかし本作のキャラ作画はいただけない。
何がいただけないって、とにかく女性キャラが可愛くない。
本作ではヒロインというより、もはや主人公のようであったラクスの作画は特に酷い。
画が綺麗なのは認めるが、この唇はいったい何?
これが可愛いのか?
こんなラクスは認めない。
認めたくない。
本作のキャラ作画がなぜこうなったのかはわからない。
ただはっきりしているのは、これが改悪であり、そのせいで種シリーズ本来の魅力が激減してしまったということなのである。
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