過去記事の一部で、戦国三英傑が神になったと記した。
戦国三英傑と織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をさすのだが、この中で一番有名な神といえば徳川家康だろう。
日光東照宮に祀られている家康は、その名も東照大権現とし神となっている。
では豊臣秀吉はどうだろう。
秀吉は死後に豊国大明神となって、豊国神社へ祀られている。
だが秀吉は一度神の座から引きずり下ろされている。
豊臣家滅亡とともに徳川家康の命により一時廃絶となるのだが、のちに明治天皇の勅命により再興された。
ここまでは教科書レベルの話だから、知っている人も多いかと思う。
では織田信長はどうだろう。
生きながらにして神になることを望み志半ばでこの世を去った信長が、神となれたのかどうかは意外と知られていない。
教科書でも教えてくれないだろう。
結果からいうと、神になっている。
しかしそれは信長没後、およそ300年も経った明治3年の話になる。
信長が神となっているのは京都にある建勲神社(たけいさおじんじゃ)だ。
この織田信長の神格化には、信長からはおよそ想像のつかない意外な大物が関与している。
1869年(明治2年)11月8日、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるための健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が明治天皇により決定された。
翌1870年(明治3年)10月17日、「建勲」の神号を賜り、信長の子孫で天童藩知事・織田信敏氏の東京の邸内と織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営。
1875年(明治8年)4月24日に別格官幣社に列格した…というのが経緯だ。
まだ実際に行ったことはないが、織田厨としてはいつか参拝したいと思っている神社だ。
歴史ヲタクの間でも知らない人がいるくらいだから、一般的にもなかなかマニアックな神社らしく、観光地化されていない穴場になっているようだ。
建勲神社の存在を知らなかった歴ヲタに教えてあげたことがあるが、知らなかったことがよほど悔しかったのか、その歴ヲタ…なんと翌週現地まで抜け駆けて行ったという話がある。
いきなり現地から自慢げにレポートが入ったので驚かされたが、拝み倒してご朱印帳を買ってきてもらう約束を取り付けた。
織田厨には激アツの代物だ。
なぜなら、2パターンあるご朱印帳の表紙に描かれているのは、信長の旗印『天下布武』か織田家家紋『織田木瓜』だったからだ。
これにはおおいに悩まされた。
いったいどちらを選べばいいのか…
二冊買うのはクールじゃない。
悩みに悩み抜いた結果、選んだのは『天下布武』だった。
それは今でも著者の大切な宝物になっている。
いつかゆっくり寺社仏閣巡りが出来たらいいなと、願わずにはいられない著者であった。
あれ?
持っているものとデザインが違う…
ご朱印帳もデザインが変わっていくものなのかな?
信長の愛刀まで描かれているではないか。
格好いいな、これ。
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