宮崎駿監督作品
『紅の豚』とは
『紅の豚』は、1992年にスタジオジブリで制作された長編アニメ映画である。
東宝創立60周年記念作品。
監督はもちろん宮崎駿氏。
前作の『魔女の宅急便』に続いて劇場用アニメ映画の興行成績日本記録を更新した。
この作品以降、スタジオジブリ映画における宮崎駿監督作品は全て東宝系での公開となっている。
世界大恐慌の時代のイタリア、アドリア海を舞台に、飛行艇を乗り回す海賊ならぬ空賊と、それを相手に賞金稼ぎで生きるブタの姿をした退役軍人操縦士の物語。
宮崎氏は生家が航空機産業に関係していた。
そのため幼い頃から空を飛ぶことに憧れていた宮崎氏が、自分の夢として描いたのが本作品である。
宮崎氏自身がその演出覚書において「『疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画』であることを忘れてはならない」と記しているように、宮崎氏は本作品を「若者をまったく排除して作った『中年のための映画』」と銘打っている。
一貫してアニメを児童のために作ることを自らに課してきた宮崎氏にとっては、製作後も是非を悩み続ける作品となった。
ストーリー
深紅の飛行艇サボイアを操る豚のポルコ・ロッソは、かつて人間だった頃イタリア空軍のエースだったが、今はアドリア海の小島に隠棲し、空中海賊(空賊)退治を請け負う賞金稼ぎとして暮らしている。
ある晩、昔馴染みのジーナが営むホテル・アドリアーノを訪れたポルコは、米国製の飛行艇を操るアメリカ人カーチスに出会う。
カーチスは空賊連合が雇った用心棒だった。彼はポルコを撃墜して名を挙げたいと考える。
しばらく後、サボイアのエンジン整備のためミラノに向かって飛んでいたポルコはカーチスと遭遇し、エンジン不調のまま撃墜されてしまう。
ポルコは大破した愛艇をミラノの工房ピッコロ社に持ち込むが、ピッコロのおやじの孫でまだ17歳の少女フィオが共同で修理に当たるという。
ポルコは不安を感じて一時は他所を当たろうと思うが、フィオの熱意に絆されて愛機の設計を任せることになるのだが…
歴代主題歌で読み解く『紅の豚』の特異性
宮崎駿監督がただ描きたかったという理由だけで制作されたという『紅の豚』。
それまでの宮崎駿監督作品と比べると『紅の豚』は異色な作品だった。
『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』などは間違いなく家族で楽しむための娯楽映画だ。
しかし『紅の豚』のテイストは、それまでとはまるで違う。
当時のアニメといえば、まだまだターゲットは子供だった。
ところが『紅の豚』はまったく子供に向けられていない。
完全に宮崎駿監督の趣味の世界だった。
それは他作品との主題歌の違いをみてもわかる。
風の谷のナウシカ
「風の谷のナウシカ / 安田成美」
天空の城ラピュタ
「君をのせて / 井上あずみ」
となりのトトロ
「さんぽ / 井上あずみ」
ここまではあきらかに子供向けに作られたと考えられる。
お遊戯会なんかでも歌えそうだ。
しかしこれが『紅の豚』になるとどうか。
紅の豚
「時には昔の話を / 加藤登紀子」
いやいや、いきなりおかしいだろう。
歌詞が、主人公がかつての男の友人とともに、貧しいながらもたくましく生き抜いてきた昔のことを思い出すような内容となっている。
いや、深すぎるから…
そもそも、子供に「時には昔の話を」もないだろうに…
おそらく子供にはちんぷんかんぷんだろう。
劇中で使用された楽曲の収録は、使用されるシーンに合わせ、わざわざ実在するバーを使用して行われたらしい。
気合いの入れようが、他とは比べものにならないのだ。
このエピソードからも、宮崎駿監督にとって『紅の豚』が、いかに異色な作品だったのか窺い知れる。
せっかくの素晴らしい作品をつまらないものにしかねない
くだらないコンプライアンスなんかクソくらえだ
劇中ではただひたすらに宮崎駿監督が大好きな飛空艇を見せられる。
登場人物たちは皆、今どきのコンプライアンスに抵触しまくりだ。
飛空艇にそんな概念があるのかは知らないが、飲酒運転が当たり前だ。
ワインを飲んでひとっ飛び。
あちらこちらで喫煙シーン。
吸ったタバコは海へポイ捨て。
今どきのコンプライアンスなんかは、まったく気にしてない。
まぁ、公開当時にはコンプライアンスなんて言葉すら世間は知らなかったから、当たり前といえば当たり前なのだが…
しかし、いくらおおらかな時代とはいえ、これが子供向け作品だったのなら、さすがにPTAが黙っていないだろう。
だが、そんな騒ぎがあったという話は聞いていない。
これがR指定もつかず普通に上映できたのだから、やはりおおらかな時代だったのだろう。
今がうるさすぎるだけだ。
未成年に悪影響を及ぼす?
馬鹿な大人たちが、すっかり悪影響を受けているのに?
そもそもの考え方が間違えている。
悪影響が及ぶのは、教育が悪いからだ。
ダメなものはダメと、しっかり教えていないからだ。
そんなだから、ダメなものが何なのかわからない大人が出来上がる。
馬鹿な大人たちが、自分たちの教育の責任を、クリエイティブな作品になすりつけるのは如何なものだろう。
クリエイティブな表現にケチをつけるのは如何なものだろう。
そのケチが自分たちの教育の非を認めているようなものなのに、そんなシンプルな答えにすら気づかない馬鹿な大人たち。
そんな奴らに忖度する必要はない。
せっかくの素晴らしい作品をつまらないものにしかねない、今どきのくだらないコンプライアンスなんかクソ喰らえだ。
意外にも興行収入は好成績
ところでこの『紅の豚』。
宮崎駿監督がこれだけ好き勝手やったのだから、興行収入はイマイチかと思われるだろう。
ところが興行収入を調べてみると、主題歌で前述した過去作品を凌駕している。
だからといって上位というわけでもないのだが…
理由がわからないのだが、個人的に無性に観たくなる宮崎駿作品の一番が『紅の豚』だ。
特段ヤマがあるとは思えないストーリーだし、宮崎駿監督の趣味を垂れ流されているのも十分理解しているはずなのに、『紅の豚』には不思議な魅力がある。
それだけ歳をとったということか。
宮崎駿監督は『紅の豚』以後、それまでの子供向けイメージを払拭するかのように、あらゆるジャンルの原作を映像化している。
そのうちで、明らかに子供をターゲットにした作品は数えるほどしかない。
『紅の豚』は宮崎駿監督作品の歴史の中で、転換機と呼べる作品のような気がする。
なんだかんだ言っても格好いいのだ。
それは飛空艇の空中戦だけではない。
破廉恥で怠惰な飛べる豚がどんどん格好良く見えてくるから不思議だ。
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