お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵氏が2022年5月11日未明、死去したことがわかった。
61歳だった。
謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。
肥後克広・寺門ジモン・上島竜兵
ダチョウ倶楽部をはじめて知った日
パオパオチャンネル
『パオパオチャンネル』とは
『パオパオチャンネル』 は、テレビ朝日ほかで放送されていたバラエティ番組である。
製作局のテレビ朝日では1987年10月19日から1989年9月29日まで放送。
月曜から金曜の帯で放送されていた夕方の子供向け番組。
テレビ朝日は従来18時台に放送していた夕方のニュース番組『ANNニュースレーダー』を1987年10月から19時台に移して『ニュースシャトル』とし、空白となった18時台で本番組の放送を開始した。
番組は、曜日ごとに異なるレギュラー陣、異なるテーマで放送。
ダチョウ倶楽部や森口博子さん、井森美幸さんやウッチャンナンチャンなど、後にブレイクしたタレントが出演していた。
公開形式の番組で、テレビ朝日アーク放送センターのスタジオから生放送されていた。
中期までは、火曜のみアーク放送センター地下1階にあった番組スタッフルームからの生放送を行っていたが、これは末期に廃止されている。
番組中盤には、本番組放送開始前まで単独番組であった『藤子不二雄劇場』をアニメコーナーとして、そして1989年4月に本番組から独立する『ピッカピカ音楽館』を歌のコーナーとして放送していた。
1989年1月5日・6日の17時30分 - 18時30分には、各曜日のレギュラー陣が参戦するゲーム企画『パオパオチャンネル新春特大号 曜日対抗新春大運動会』を正月特番として放送。
なお、翌7日に昭和天皇が崩御し、8日に昭和から平成への改元が行われたため、昭和64年に放送された回はこの正月特番の2回分のみである。
一方地方局では、当時この時間帯にはニュース番組が定着していたことから、系列局の多くは『ピッカピカ音楽館』(5分間のミニ番組扱い)を除きネットせず、その分ローカルニュースの拡充を行った。
(例:名古屋テレビ『Nagoya TV ニュース広場』、朝日放送『ニュースウェーブABC』、広島ホームテレビ『ニュースファイルHOME』など。)
北海道テレビ放送は、当初は『ピッカピカ音楽館』の時間帯に『ニュースロータリー』を放送していたことから同コーナーもネットしていなかった。
そのため大ヒットした「ヤーレンソーラン北海道」(※後述)は、地元北海道を題材とした楽曲でありながら同局では当初放送されなかった(『ピッカピカ音楽館』単独のミニ番組扱いでの遅れネットの有無は不明)。
18時台に放送されていた当時は、静岡朝日テレビ(当時は静岡県民放送)が全編通し、テレビ信州(当時は日本テレビ系・テレビ朝日系クロスネット局)が、ローカルニュース番組放送のため、18:25までの途中飛び降りという形で同時ネットするのみであったが、平成元年春改編に伴う17時台への移動をもって、静岡及び長野でのネットは打ち切られ、以後番組終了まで(基本的に)関東ローカル番組として放送された。
番組が生んだ大ヒット曲
ヤーレンソーラン北海道
ヤーレンソーラン北海道
(作詞:岸田るみ子 作曲・編曲・歌:赤坂東児)
番組最大のヒット曲であり、北海道の酪農をテーマにしている(ただし撮影ロケ地は千葉県のマザー牧場)。
1988年3月1日からは、本番組と同じテレビ朝日のワイドショー番組『モーニングショー』でも取り上げられたイントロはグリーグの「朝」。
フルコーラスでは3番まであり、1番では牛乳、2番ではバター、そして3番ではヨーグルトを扱っている。
放送では2番までであるが、場合によって本来の2番または3番のどちらか一方が流れた。
映像は牧場の牛の場面と、加工工場の場面(雪印乳業)に分けられている。
1988年4月8日には、テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』に歌唱を担当する赤坂東児氏自身が出演して「ヤーレンソーラン北海道」を歌唱した。
安西正弘氏(日本コロムビア版カバー)、MoJo氏(東芝EMIの『おたんじょうびおめでとう おべんとうばこのうた〜ヤーレンソーラン北海道』収録)のほか、モーモー・ディスコ隊に「ヤーレンソーラン北海道まつり篇(ディスコ・バージョン)」、We Weに「ヤーレンソーラン北海道(ギャルバージョン)」(シングル「酔っぱらいキライ!」のB面)としてカバーされた。
たぶんこれ!
ダチョウ倶楽部をはじめて知った…
ダチョウ倶楽部のプロレス天気予報
ダチョウ倶楽部が夕方の番組に出演していたことが、記憶の片隅に残っていた。
あまりに朧げな記憶だったため、調べてみると『パオパオチャンネル』という番組に辿り着いた。
だが、残念ながら『パオパオチャンネル』の記憶は希薄だ。
番組の大ヒット曲「ヤーレンソーラン北海道」の存在だけが、記憶にかろうじて残っているくらいだ。
だが『ダチョウ倶楽部のプロレス天気予報』という企画名を聞いて、記憶が蘇る。
ダチョウ倶楽部のメンバーがプロレスで明日の天気を決めるというコーナー。
脱退前の南部虎弾も出演。
テーマ曲は「手のひらを太陽に」。
肥後克広氏が太陽をかたどったコスチュームの「サンシャイン太陽」、寺門ジモン氏が水滴をかたどったコスチュームの「レインドロップ雨」、上島竜兵氏が雲をかたどったコスチュームの「くもりだブッチャー」として出演。
試合中関東地方(静岡含む)の実際の翌日の天気が字幕表記されていたという。
ダチョウ倶楽部の芸の原点のような企画だったことだけは、今でもハッキリ覚えている。
ダチョウ倶楽部の芸とは、すなわちガヤなのだが、ああいう芸は当時としては他になく子供心に新鮮に映った。
元気のいい三人組が体を張って企画を盛り上げていた。
その様を思い出してみると、この時すでに伝説の企画『熱湯コマーシャル』の原型が出来上がっていたような気がする。
それから数年が経って、全国放送でダチョウ倶楽部をみた時は正直驚いた。
ダチョウ倶楽部の芸がいくら新鮮に映ったとしても、面白さとは別物だったから…
正直、まさかこんなに人気者になるだなんて(笑)
そんな驚きと同時に、この人たちを昔から知っていたということが少し嬉しかった。
まるでインディーズから追いかけてきたバンドが、晴れてメジャーデビューしたかのように。
あれから数十年。
ダチョウ倶楽部本人たちの人気は置いておいても、今テレビ界で大活躍中の出川哲郎氏や有吉弘行氏は、ダチョウ倶楽部があってこそだといえるだろう。
時には盟友として切磋琢磨し、時には兄貴のように若い芸人たちを助けていたらしい。
それだけ取っても、ダチョウ倶楽部のテレビ界に残した功績は大きい。
面白さは別としても、ダチョウ倶楽部が多くの人たちに愛される存在だったことは間違いない。
『ダチョウ倶楽部』とは
ダチョウ倶楽部は、太田プロダクションに所属する肥後克広・寺門ジモン・上島竜兵からなるお笑いトリオである。
カルテットで活動していた時期もある。
出川哲朗氏らと並んで、俗にいうリアクション芸人の代表格である。
計算し尽くされたリアクション芸や「ヤー!」「聞いてないよォ」などのギャグ、「ムッシュムラムラ」など同じ言葉を連呼するギャグ、物真似などを持ち合わせ、しかも大半の芸は応用が利くのが特徴。
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