#100
心に沁みる名言
今日を精一杯生きるために…
明日ではなく今日。 今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。
スベロア・ジンネマン(機動戦士ガンダムUCより)
映画『機動戦士ガンダムUC episode4 重力の井戸の底で』(TV版第10話「灼熱の大地から」)でのヒトコマ。
余談だが、普段ならTV版なのに今回のエピソード紹介で劇場版を選んだのは、劇場版の方がこの名言に相応しいタイトルだからである。
スベロア・ジンネマンとは『機動戦士ガンダムUC』の登場人物である。
階級は大尉。
52歳。
主人公であるバナージ・リンクスが求め、乗り越えようとする “父性” を与え示す人物のひとりである。
一年戦争以前からジオン軍に所属する歴戦の猛者であり、侠気を漂わせた無頼漢で、クルー達からは「キャプテン」(マリーダ・クルスからは「マスター」)と呼ばれ慕われている。
流動し続ける状況においても、的確な状況判断を下し、部下への指示、白兵戦やゲリラ戦術に至るまで、豊富な戦場経験に裏打ちされた指揮官としての実力の高さを遺憾なく発揮する。
直属の部下である強化人間のマリーダに対しては、単なる上官として以上の親愛を有しているが、過去に妻子を失ったトラウマから、再び “父” となる事を恐れ、あえて一線を引いて接しているーー。
地球に落ちたユニコーンガンダムとバナージを助けたガランシェールが西サハラ砂漠に不時着した。
地球潜伏のジオン残党軍は地球連邦の首都ダカールを襲撃する陽動作戦を展開。
連邦政府の中心人物ローナンはブライト・ノアにガランシェール探索を命じる。
リディと共に地球に降りたミネバは自分が政治利用されるのを怖れてマーセナス家から姿を消すが、地球生まれの老人が語る「宇宙移民を実行した人々の善意」という言葉でなすべきことに気づき、追っ手の者達に身を預ける。
同じ頃、アルベルトの叔母マーサは強化人間のマリーダを手駒とするべく再調整を施す。
一方、ジンネマンはジオン残党軍と接触するためバナージを連れて砂漠の横断を敢行する。
砂漠の夜空を見上げその美しさに涙するバナージに、ジンネマンは語り出す…。
なんで泣く?
バナージ:あんまりきれいで
地球が汚染されてるなんて話が
ウソに思えてくるな
だが ここいらの空も
昔より汚れている
砂漠も もうダカールの喉元まで
迫っているらしい
すべて人間がやったことだ
乱開発に
コロニー落としや隕石落とし
人が自然から生まれた生き物なら
人が出す ゴミや毒も
自然の産物ってことになる
このまま人間が住めなくなったとしても
それはそれで
自然がバランスを取った結果ということなんだろう
自然に慈悲なんてものはない
昔の人間は
そいつを知っていた
他ならぬ自然の産物の本能としてな
バナージ:だから生きるために文明をつくり
社会をつくって 身を守った
ああ
だがそいつが複雑になりすぎて
いつの間にか人は
そのシステムを維持するために
生きなきゃならなくなった
あげく 生きることを難しくしちまって
その本末転倒から脱するために
宇宙へ新天地を求めた
そこでまた別のシステムってやつが
できあがった
宇宙に捨てられた者
スペースノイドに希望を与え
生きる指針を示すための必然
それがジオンだ
地球に残った古い体制は
そいつを否定した
出自の違うシステム同士が
相いれることはないからな
どちらかが どちらかを
屈服させようとするだけだ
バナージ:でも 連邦っていう
統一政府があって
宇宙に100億の人が住んでる世界なんて
きっと昔は夢物語でしたよね?
そういう可能性も 人にはあるんじゃないですか?
2つの考え方が いつか1つになることだって
みんなが平等に束ねられたわけじゃない
はじかれて 潰された連中の怨念は
今でも この地球にへばりついている
バナージ:悲しいことです それは…
ああ…
悲しいな
悲しくなくするために
生きているはずなのに…
なんでだろうな?
機動戦士ガンダムUC episode4「重力の井戸の底で」(映像特典付)(セル版)
前々からこの言葉については触れたいと思っていた。
人間社会の本質を語っているように思えてならなかったからだ。
しかし名言と呼ぶにはあまりに長すぎる。
もはや会話だし…。
だが『心に染みる名言』シリーズの記念すべき100稿目の記事ということで、今回はお許し願いたい。
ガンダムの世界観を知らなければ意味不明な箇所も少しだけあるだろうが、単語の意味はわからなくても言葉への理解は可能かと思われる。
故に、コロニーやジオンなどの単語についての説明は割愛するものとする。
本来なら幾つかに分割して、それぞれを名言として紹介するところだ。
例えば「いつの間にか人は、そのシステムを維持するために生きなきゃならなくなった」という言葉は、まさに現代社会を象徴しているようではないか。
例えば最後の言葉だけ切り取ってみても、名言すぎるほどの名言だ。
だが、この名言たちはひと繋がりになってこそ、はじめて意味を持つような気がする。
最後の言葉も、それまでの言葉があってこそ、はじめて心に深く沁みるのである。
そうしてひと繋がりになった言葉をみて、改めてこう思う。
人間は自らを万物の霊長などと呼んで、驕りすぎてはいないだろうか。
細菌にすら打ち勝てない人間は、万物の霊長などでは決してない。
もしも細菌が増えすぎた人類を減らすために自然界が生み出したものならば、人間だって所詮は淘汰される側の存在でしかない。
地球外知的生命体の存在についてもそうだ。
何故、地球に住む人間だけが特別な存在だと思い込める?
宇宙は限りなく広く、今この瞬間も広がり続けている。
無限の宇宙からしてみれば、天の川銀河の太陽系なんてド辺境もいいところなのかもしれない。
我々は知識が少しばかり広がっただけで、まだ世界の広さすら知らなかった昔の日本人と何も変わらない。
その理由は明白だ。
「悲しいな…悲しくなくするために生きているはずなのに…なんでだろうな?」
もし人間が万物の霊長なのだとしたら、自ずと答えは導かれるだろう。
だが著者にはわからない。
なんでだ?
誰か答えを教えてくれ。
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