ジャニーズ事務所社名問題が浮き彫りにした日本人の根強い肩書き重視主義思考
ジャニーズ事務所社名問題
故ジャニー喜多川氏の性加害事件をめぐるジャニーズ事務所の最初の会見では、社名は変更せず、新社長には長年の所属タレントである東山紀之氏が就任することが発表された。
この「社名は変更せず」というのが物議を醸し、ジャニーズ事務所は社名を変更する意向のようだ。
ジャニーズ事務所へのテレビ局のあからさまな忖度
フジテレビ系列で放送されている番組に『全力!脱力タイムズ』というのがある。
自称報道番組だが、その実バラエティ番組だ。
その『全力!脱力タイムズ』で、以前ジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ・嵐のメンバーである二宮和也氏が出演したことがあった。
朧げな記憶でしかないが、その番組の最後は所属事務所の強さを激しく強調するものであった。
もちろんバラエティとしてのイジリだったのだが、今思えばある種の皮肉が込められていたのかもしれない。
これまでジャニーズ事務所へのテレビ局の忖度は、誰の目にも明らかだった。
音楽番組にはジャニーズ事務所所属のタレントが必ず数組名を連ね、ファン以外の視聴者は辟易していたのではないだろうか。
いくらセールスが上位だとはいえ、一般的にはまったく知られていない音楽をひたすら垂れ流されていたのだから。
民放ならまだしも国営放送ですらこんな調子なのだから、ジャニーズ事務所への忖度は公然と行われてきた暗黙の了解だったといっていい。
最高級ブランド "ジャニーズ"
故ジャニー喜多川氏の性加害事件をめぐるジャニーズ事務所の最初の会見で「社名は変更せず」としたのは、"ジャニーズ" という巨大な看板を失いたくなかったからだろう。
アーティストとは違って、アイドルという職業は、その所属グループ名によって人気が支えられている部分が大きい。
その最大単位が所属事務所名だ。
それが証拠に事務所ないしグループを脱退後、徐々に露出が減っていってしまうタレントがいったい過去にどれほどいたことか。
誤解を恐れず言ってしまえば、タレント個人というよりは、その肩書き、つまりは所属事務所やグループ名の方に人気があるのだと著者は考える。
だからこそ、忖度しやすく圧力をかけやすい土壌が生まれてしまった。
所属事務所やグループ名は、いわばブランドだ。
"ジャニーズ" の名はその中でも最高級ブランド品。
栄枯盛衰激しい人気商売の中で、その肩書きを綺麗さっぱり無くして、果たして彼らは生き残ることができるのだろうか。
日本人の根強い肩書き重視主義思考
ジャニーズ事務所社名問題でなぜ物議を醸したのかといえば、それは取りも直さず日本人の根強い肩書き重視主義思考によるものだろう。
普通に考えれば社名変更はマストな案件。
だが、"ジャニーズ" の名を残すべきだという意見も多数あったようだ。
日本人は古来より、肩書きというものに滅法弱い。
全入時代(志願者が全員入学できること)になった今ですら、大卒が重宝されてしまうようなところが日本人にはある。
また世襲に代表されるように、家柄(=肩書き)や血筋を重視する傾向も根強く残っている。
その最たるものが「象徴天皇制」ではないだろうか。
日本国憲法第1条では、天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と規定されている。
その地位は、主権者(主権在民)たる日本国民の総意に基づくものとされ(前文、第1条)、国会の議決する皇室典範に基づき、世襲によって受け継がれる(第2条)
「象徴天皇制」が肩書き重視主義思考なことは一目瞭然である。
正直ジャニーズ事務所がこれからどうなるかなんて実はどうでもよくて、本稿の肝はここからである。
象徴天皇制
憲法学では「象徴」は法的意味を持つ語ではなく、政治的意味(社会学的意味)しか持たない。
「象徴天皇制」とはつまり、「象徴」とはあるもののイメージを任意の記号に仮託したものであり、人々が日本国と日本国民統合のシンボルが天皇であると思っている限りにおいて、天皇が象徴として成り立っている…ということらしい。
ふむ、なかなか意味がわかりづらい。
言葉は悪いが、要するに "お飾り" ということか。
なるほど、天皇とはただの肩書きでしかないというわけだ。
しかし日本人はなぜか天皇というものを非常にありがたがる。
もしかしたら著者が非国民なだけかもしれないが、どうしてそれほどありがたがるのか。
それは日本人に根強い肩書き重視主義思考に他ならない。
万世一系である天皇家の世襲制
実は天武天皇(第40代)~称徳天皇(第48代)まで天皇家の血筋は途切れている。
歴史上、天武天皇は天智天皇の弟ということになっているが、不可解なことに即位後に自分の息子(舎人親王)に命じて書かせた「日本書紀」には当の天武の年齢に関する記述が一切なく、没年と没年齢から逆算すると、兄であるはずの天智天皇よりも年上になってしまう等、極めて素性のはっきりしない人物なのだ。
渡来人であるとか諸説あるが、少なくとも天智天皇の実の弟でないことは確かなようだ。
その「素性のはっきりしない」人物が天智天皇を暗殺し、次いで即位した弘文天皇も壬申の乱というクーデターで殺して、自ら天皇の座に就いた。
皇位が乗っ取られてしまったことになる。
しかし、その天武天皇の子孫は聖武天皇の次の称徳天皇(女帝)で途絶え、皇位は天智天皇の子孫である光仁天皇に戻った。
聖武天皇が奈良の大仏を作ったのは、国中に蔓延した飢饉や疫病もさることながら、男子のいなかった聖武天皇が「このままでは(天武系の)血筋が絶えてしまう」と焦ったからだ。
しかし懸命な神頼みでも、ついに聖武天皇に後継ぎの男子を授けてはくれなかった。
ちなみに現在の宮内省の皇系図には天武天皇~称徳天皇も記載されているが、明治になるまで天皇家の菩提寺であった京都の泉涌寺には天武天皇~称徳天皇までの7人の位牌は置かれておらず、奉幣の儀という先祖供養の儀式からも除外されている。
これは言うまでもなく、天皇家自身が天武~称徳までを天皇家の血筋と認めていない証拠である。
こうなると現在の天皇家の貴い血筋とやらも、ずいぶん怪しくなってくる。
どこぞで入れ替わっていたとしても、我々にはまったくわからないこと。
歴史は歴史で真実として受け入れるが、その歴史が事実とは限らないし、実際事実とは思っていない。
そもそも歴史は勝者がつくるもの。
だから天皇という肩書きをありがたがるような気持ちは著者には皆目なく、その気持ち自体まったく理解できないというのが本音である。
象徴としての天皇家
だからといって、ならば天皇家は不要なのかと問われると、そうは思っていない。
日本の天皇家は世界最古の王家であり、これは「ギネス世界記録」でも認定されている事実である。
この一点だけをみても、象徴としてだけの天皇家ならあってもいいと思う。
国内外への体裁としてなら、天皇家は日本に必要な看板なのだろう。
プロパガンダの危険性
問題なのは、必要以上に天皇家をありがたがる国民の存在だ。
この問題は、先に記したジャニーズ事務所社名問題と根っこは同じである。
過剰な肩書き重視主義思考は、プロパガンダを誘発させる。
ジャニーズ事務所所属タレントなら誰彼構わずありがたがられテレビ局から重用されたように、必要以上に肩書きをありがたがる人の思想は非常に誘導しやすい。
なんといってもこの手の人間は、肩書きの言うことなら "絶対" である。
もし推しがなんらかの被害者になれば、その加害者は袋叩きに遭うだろう。
たとえそれが事実とは逆でも、である。
これは非常に危険なことである。
肩書き重視主義思考というのはまた、集団心理を生みやすいのも特徴だ。
肩書きというのは親和性を生み出す。
同じ肩書きを持つことで同調を生み、その同調は他の同調と結合し続け、ひとつの巨大な同調意識が生まれる。
ひとつの巨大な同調意識というのは、個の意識より格段に誘導しやすい。
その立場にいる人間なら、それを悪用することは容易いのだ。
日本を衰退させた肩書き重視主義思考
日本人にとって、政治は参加するものではなく任せるもの。
任せるのならしっかり精査すれば良いのだが、それもしない。
ミーハーなくせに封建的で変化を嫌うから、現職という肩書きだけで安心し判断してしまう。
そして一度任せてしまえば、放ったらかしなのが現状だ。
そんな国民の肩書き重視主義思考を逆手に取って、ずっと悪用してきたのが目下長期政権中の政府与党である。
たとえば日本は先進国、経済大国、アジアでも欧米諸国に劣らない強国であると長年に渡り国民に刷り込み、己の欲望のままにやりたい放題の政策を続いてきた。
結果招いた国の衰退。
多くの国民が気づくまでの間に、この国が失ったものは大きい。
ジャニーズ事務所のことを、業界ではジャニーズ帝国と呼んでいるらしい。
もしかしたらジャニーズ帝国の行く末は、この国の行く末を示唆するものになるのかもしれない。
帝国の崩壊は、そう遠くない日本の未来。
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