維新は続くよ、どこまでも
町内会費を国がネコババ?市民の積立金を公共事業に流用した明治政府
「新政府の徳政は嘘っぱち」という歌が流行
一般的なイメージでは、庶民から過酷な収奪を行い「農民は生かさず殺さず」といった政策を敷いたのが江戸幕府で、それを打倒した新政府が近代的で平等な社会を徐々に作り上げていった…とされている。
そして、その社会の到来は広く民衆から受け入れられ、歓迎されたかのように語られている。
しかし本当にそうだったのだろうか?
実際の同時代人、特に江戸っ子たちの反応はどうやら違っていたようだ。
明治20年頃、東京の深川で流行した俗謡がある。
一つとや 人は知らぬと思おうが思おうが
新政厚徳 みんな嘘 みんな嘘
「新政府の政治には徳がある、というのは嘘っぱちだ」というのだ。
天璋院篤姫「官軍こそ朝敵ではないか!」
東京で新政府が嫌悪された理由はいくつもある。
戊辰戦争の終盤、上野戦争において早々に戦闘を終わらせたいがために、本来なら攻城・海戦で用いるアームストロング砲を(軍資金の枯渇という非常事態があったものの)野戦に投入するという、味方もドン引きの戦術を採用。
戦場をぺんぺん草も生えないほど木っ端微塵にしてしまうことを承知の上での砲撃だったから、江戸っ子たちは眉をひそめた。
おまけにこの砲撃で官軍は大失態を演じてしまう。
寛永寺の寺域を大々的に砲撃しまくった官軍は、あろうことか寛永寺に掲げられた「勅額」をも灰にしてしまっていたのだ。
「勅額」とは、天皇直筆の文字が書かれた額のこと。
何とも神々しい寺の宝だ。
ちなみに、現存している「勅額」はすべて重要文化財に指定されている。
後に、かつて第13代将軍・徳川家定の御台所として大奥を仕切っていた天璋院篤姫が、「官軍こそ朝敵ではないか!」と罵った所以はここにある。
新政府が嫌悪された理由は他にもまだある。
市民の積立金を公共事業に流用
江戸時代にあった「七分積金」という制度をご存知だろうか。
1790(寛政2)年、いわゆる寛政の改革の一環として老中・松平定信が導入した仕組みで、圧縮させた町費の7割を非常時の出費や福祉目的に積み立てていくというもの。
利用して減るたびに補充されていたから、相当な金額であった。
新政府の井上馨はこの資金を巧妙に東京府の管理下に置き換えた上で、政府が進めていた銀座煉瓦街建設費用などに流用。
町内会の資産を政府がネコババしたのだ。
「インフラや都市機構が整備されれば市民の生活レベルは向上する。だから福祉に遣うという目的そのものは同じ」
まるで東日本大地震の復興予算を流用した政治家のような言い訳である。
または、すべての自動車ユーザーが加入を義務付けられている「自賠責保険」の保険料の運用益約6,000億円が「一般会計」に貸し出されたまま返済の目途が立っていないという問題と、まったく同じ状況なのである。
江戸っ子たちは建設予定地から追い出され、出来上がった煉瓦街の恩恵を受けないばかりか、実はこの煉瓦街の寿命も非常に短いものだった。
こんなことのために、自分たちがコツコツと貯めてきた資産が遣われたのだ。
その見返りが何もなかったのだから、不満が溜まるのも無理はない。
江戸っ子の不満、現代の我々にもよく理解できる。
飽くなき政治家の金への執着は今も昔も変わらない。
日本の未来を憂いて散っていった英霊たちはこの国の在り方を今、いったいどんな気持ちでみているのだろう。
命を賭けた価値のある国になっているのだろうか。
☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎