日本映画
室町無頼
※本稿にはネタバレを含みます。ご注意下さい。
史実ベースでありながらフィクションとの巧みな絡みで娯楽映画に見事仕立てた傑作時代劇
日本映画『室町無頼』とは
世界を変えるは人の力
"無頼" たちの
アクションエンタテインメント!!
時は室町、"応仁の乱" 前夜の京――。
大飢饉と疫病の連鎖、路上に重なる無数の死骸。
そんな混沌の世に風の如く現れ、巨大な権力に戦いを挑んだ者たちがいた…。
蓮田兵衛――日本史上、初めて武士階級として一揆を起こし、歴史書に唯一度だけその名を留める男。
本作は彼の元に集結した「アウトロー=無頼」たちの知られざる戦いをドラマチックに描く。
空前の一揆を巻き起こす無頼たち、ラストはたった9人で幕府軍に挑む。
勝率ゼロに等しい無謀な戦い、その勝機と狙いとは!?
原作は2023年、直木賞を受賞した垣根涼介先生の『室町無頼』(新潮文庫刊)。
"リアル" な風と炎と砂塵が舞う中世の暗黒時代ダークエイジを駆け抜ける、エンタメ全開のアクション巨編!!
日本の戦国時代は
この男から始まった!!
主人公の兵衛は、己の腕と才覚だけで混沌の世を泳ぐ自由人。
だが、無用と思えば関所に火をかけ、役人も平然と斬り殺す無頼漢。
そんな複雑な魅力に満ちた兵衛を演じるのは、
今や国民的スターとなった大泉洋氏。
周囲を惹きつける求心力を持つキャラクターは、まさに彼のハマり役。
さらに剣の達人役として本格的な殺陣・アクションに初挑戦するなど、50歳を迎えた彼が兵衛にエネルギッシュに命を吹き込み "大泉洋史上最高にカッコいい男" を演じ切っている。
兵衛に拾われ、大きく運命が動き出す青年・才蔵役に抜擢されたのは、「なにわ男子」の長尾謙杜氏。
血の滲む修行の後、六尺棒を武器にした "無敵の棒術" を身につけ戦う才蔵。
そんな "棒術" を修得すべく長尾は特訓に励み、超人的なアクションを披露。
また兵衛の師でもあり、才蔵に棒術を教え込む老師役に、柄本明氏。
民を虐げ、贅沢にふける有力大名・名和好臣役の北村一輝氏。
高級遊女にして、混沌の世と無頼漢たちの間を漂う絶世の美女・芳王子役を松本若菜さん。
そして堤真一氏が、兵衛の悪友にして、宿敵となる骨皮道賢役に扮している。
兵衛と似た匂いのする男・道賢も実在の人物で、黒ずくめの着物に迫力みなぎるオーラ、アクションにも定評のある堤氏が魅せる殺陣は必見だ。
そして監督を務めるのは、『22年目の告白―私が殺人犯です―』『あんのこと』など、濃密な人間ドラマをエンタメへと昇華させてきた入江悠氏。
憧れだったという京都撮影所に飛び込み、伝統ある撮影所の職人たちと共に、新時代のアクション・エンタテインメントを作り上げた。
天災、物価高騰、政治不信、ポスト・コロナの不安な世界。
そんな中にあって、名もなき人々が、ダメな幕府に命懸けで「NO」を突きつけ、次代の扉をこじ開ける姿――それはきっと、今を生きる人々に大きな爽快感と明日への情熱を与えるはず。
この戦いの結末やいかに!?
監督・脚本:入江 悠
音楽:池頼広
原作:垣根涼介『室町無頼』(新潮文庫刊)
室町時代中期に起きた寛正の土一揆の首魁、徳政一揆の指導者として名が残る蓮田兵衛を主題とする。
あらすじ
1461年、応仁の乱前夜の京。
大飢饉と疫病がこの国を襲った。
賀茂川ベリにはたった二ヶ月で八万を超える死体が積まれ、人身売買、奴隷労働が横行する。
しかし、時の権力者は無能で享楽の日々を過ごすばかり。
貨幣経済が進み、富める者はより一層富み、かつてない格差社会となっていた。
蓮田兵衛は、己の腕と才覚だけで混沌の世を泳ぐ自由人。
各地を放浪する彼の眼差しは、ひとり遠く、暗黒時代ダークエイジの夜明けを見つめていた。
一方、才蔵はすさまじい武術の才能を秘めた若者。
天涯孤独で餓死寸前を生き延びたが、絶望の中にいた。
しかし、兵衛に見出され、鍛えられ、才蔵は兵法者としての道を歩み始める。
才蔵の武器となるのは、"六尺棒"。
地獄の修行を終えた時、超人的な棒術を身につけた才蔵の前に敵は無い―。
時は来た―。
才蔵だけでなく、抜刀術の達人、槍使い、
金棒の怪力男、洋弓の朝鮮娘ら、個性たっぷりのアウトローたちを束ねる兵衛。
ついに巨大な権力に向けて、京の市中を舞台に空前絶後の都市暴動を仕掛ける。
行く手を阻むのは、洛中警護役を担う骨皮道賢。
兵衛と道賢はかつて志を同じくした悪友ながら、道を違えた間柄。
かつては道賢、いまは兵衛の想い人である高級遊女の芳王子が二人の突き進む運命を静かに見届ける中、"髑髏の刀" を手に一党を動かす道賢に立ち向かい、兵衛は命を賭けた戦いに挑む。
登場人物
蓮田兵衛
演 - 大泉洋
己の腕と才覚だけで混沌の世を泳ぎ、ひそかに倒幕と世直しの野望を抱く無頼漢。
腐りきった幕府を倒し、古き世を終わらせようと画策。
そのためには、自ら「捨て石」になることも辞さない。
蓮田兵衛
生年不詳 - 寛正3年11月2日(1462年11月23日)
寛正の土一揆の首魁。
室町期に発生した土一揆(徳政一揆)の指導者として、最も早くに名が知られる人物である。
出自は不明で、『新撰長禄寛正記』は「牢人の地下人」としている。
寛正3年(1462年)9月ごろより京都、続いて奈良で徳政一揆が断続的に蜂起しており、蓮田兵衛は9月11日に蜂起した京都の一揆の大将だった。
才蔵
演 - 長尾謙杜
天涯孤独の身で、自己流の棒術で生計を立てた
極貧生活を送る。
兵衛に出会い、地獄の修行を経て、超人的な棒術を身につける。
骨皮道賢
演 - 堤真一
300人もの荒くれ者を抱え、幕府から京の治安維持と取り締まりを任される警護役の首領。
兵衛とは腐れ縁の悪友。
骨皮道賢
生年不詳 - 応仁2年3月21日(1468年4月13日)
元は目付の頭目で、侍所所司代の多賀高忠に仕え、盗賊の追捕を行っていた。
応仁元年(1467年)の応仁の乱で足軽大将として活躍、細川勝元に金品によって勧誘され、東軍に属して戦った。
伏見の稲荷山(京都市伏見区)の稲荷社に拠点を置き、300人程の配下を指揮して放火や後方攪乱を担当した。
道賢の記録が載る禅僧の日記での名前の初見は、3月15日(4月7日)条からであり、21日(13日)までの6日間の活躍しか記述されていない。
その最期を「昨日まで稲荷廻し道賢を今日骨皮と成すぞかはゆき」と歌で皮肉られた。
芳王子
演 - 松本若菜
高級遊女にして女無頼。
かつては道賢、いまは兵衛の想い女で、ふたりの間を取り持つ。
名和好臣
演 - 北村一輝
足利義政に仕える有力大名。
困窮している民を横目に贅沢な暮らしを送る。
物語のベースとなった史実「寛正の土一揆」
寛正の土一揆(かんしょうのつちいっき)とは、日本の室町時代中期、寛正年間に起きた土一揆のこと。
特に寛正の飢饉のピークであった寛正3年(1462年)の一揆を指す。
寛正の大飢饉による混乱の最中の寛正3年9月に京都において徳政令を求める土一揆が発生、浪人や在京大名の内者(被官)までが加わって、土倉などから財物を奪ったり、下京にて火を放つなどの行為に及んだ。
10月になると今度は木津の馬借らが奈良で一揆を起こし、一旦は沈静化していた京都でも一揆が再発して京都七口を封鎖したため、室町幕府は侍所所司代・多賀高忠、次いで赤松政則ら在京大名に鎮圧を命じた。
最終的には京都では諸大名の軍が、奈良では大和国の守護でもある興福寺の六方衆が一揆を鎮圧、参加者に対しては首魁の蓮田兵衛をはじめ処刑も含めた過酷な報復が行われた。
本作に登場する兵衛と道賢に生没年をつけたのは、ともに実在した人物とみられるからだ。
歴史好きが本気で制作した『桃太郎侍』!?古き良き懐かしき香りがする傑作娯楽時代劇
本作の率直な感想は、どこかあの懐かしき娯楽時代劇『桃太郎侍』みたいな作品だということ。
ただし、歴史な好きな人たちが本気で作った『桃太郎侍』である。
その本気ぶりは、ナレーションのキャスティングからも見て取ることができる。
本作のナレーションは、なんとあの『情熱大陸』のナレーター・窪田等氏によるもの。
ドキュメンタリーの印象が強い窪田等氏を、歴史時代劇のナレーションにキャスティングした制作側の意図には、歴史好きならではの深謀遠慮が感じられる。
本作は紛いなりにも史実ベースの作品である。
史実とは、いわば過去のドキュメンタリーである。
だからもちろん、『桃太郎侍』ほど芝居掛かってはいない。
では、なぜ『桃太郎侍』を想起したかというと、近年の邦画時代劇としては本作が稀に見る勧善懲悪作品だからである。
近年の邦画時代劇はリアリティ志向が強い。
リアリティを追求すれば、戦国時代の血生臭さを生々しく描写した作品におのずと傾倒していく。
もちろんそこに勧善懲悪の世界など入り込む余地はなく、それがリアリティであることは十分理解できる。
それはわかってはいる。
わかってはいても、そんな作品ばかりでは少々疲れてしまうのもまた事実。
だからといってリアリティを無視してコメディに振り切るのは、歴史好きとして享受しがたい(ただし、最初からコメディと銘打つ作品は別)。
史実ベースの作品の永遠のテーマである、フィクションの取り入れ方。
その点で、本作のバランス感覚は非常に優れている。
物語の軸となる「寛正の土一揆」はれっきとした史実である。
また主要登場人物である蓮田兵衛と骨皮道賢は、少ないながらも史料にその名が残る、実在した人物だと考えられている。
だが彼らについては名前以外にわかっていることが、非常に少ない。
そこにフィクションの付け入る隙が生まれる。
わからないことは、空想で埋めてやればいい。
ここが脚本家の腕の見せどころである。
だが、これが言うほど易くない。
あまりにフィクションが過ぎるとリアリティに欠けてしまう。
史実としてしっかり記録が残る事実については、フィクションでいじりすぎてはいけないのだ。
だからといって、フィクションが足りなければ今度はエンターテイメント性に欠けてしまう。
史実に忠実であることは、非常に好感が持てる。
だがそれすなわち定説通りということで、教科書以上でも以下でもないということを意味する。
それではいくらなんでもつまらなすぎる。
歴史作品としてか、はたまた娯楽作品としてか。
演出家がその物語をどう魅せたいかで、肉づけするフィクションの量が変わってくる。
結果、娯楽作品として印象が強くなった本作。
わかりやすい正義の味方と、わかりやすい悪者。
彼らが織りなすわかりやすい勧善懲悪は、古き良き懐かしき娯楽時代劇のそれであった。
しかし本当はそうであろうか。
本作は歴史時代劇として非常に優秀な作品である。
その根本にあるのは、そもそものテーマ選びにあったのではないだろうか。
「寛正の土一揆」は、史実であるがわかっていることは非常少ない。
蓮田兵衛と骨皮道賢も、どうやら実在したらしいということ以外はほとんど何もわからない。
だからいくら嘘臭いと思われようが、彼らが本作で描かれたような活躍を本当にしていた可能性は否定できないのである。
否定できないものを、否定してはいけない。
本作を名作たらしめている根本は、そういう巧さにある。
個人的には、史実ベースの作品に派手な演出やアクションは不要である。
非情な命の奪い合いに過度な演出やアクションがあっては、それが嘘臭くなってしまうからだ。
たとえ娯楽作品であっでも、そのシーンがあるだけで興醒めしてしまう。
だが不思議なことに、本作での派手なアクションには、そういった違和感が感じられなかった。
それもこれも、史実とフィクションの絶妙なバランスによるものなのだろう。
歴史作品としても娯楽作品としても秀逸な本作は、観る者を選ばない。
歴史に詳しい人はもちろん、疎い人でも十分楽しんで観ることができる歴史時代劇の名作である。
考えろ、己の頭で
娯楽映画の印象が強い本作であるが、そこには弱くはないメッセージも隠されている。
本作の舞台となったのは室町時代中期の政治は、庶民の生活のことなど一切考えていない私利私欲に満ちた無為無策なものだった。
時代も生活習慣も何から何まで違う劇中の庶民たちだが、そこから想起するのは不思議なことに悲しいかな現代日本と日本人だった。
本作を観れば、現代も室町時代中期も社会や国が庶民を守ってくれることを完全に期待していていい時代ではないという共通点に自ずと気づくだろう。
そんな時代の中でどうやっていくのかというのが、劇中の主人公たちと、現在に生きる人たちとの共通のテーマではないだろうか。
蓮田兵衛のセリフにこんな言葉がある。
「考えろ、己の頭で」
これは2025年放送の問題作・日曜劇場『御上先生』で、現代の若者たちに諭していた御上孝のセリフと合致する。
時を経て一致する思想に、人間の業の深さを感じざるを得ない。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
悲しいかな、人は永遠に愚者のままなようだ。
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