時代が求めるのは『どうする家康』ではなく信長?
映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』やミニドラマ『信長のスマホ』で脚光を浴びる織田信長伝説
比叡山の焼き討ちは宗教弾圧にあらず
政教癒着の危険性
ロシア正教トップのキリル総主教は2022年10月末に行なった説教のなかで、プーチン大統領を「主席エクソシスト(払魔師)」と称し、「反キリストを掲げる者に立ち向かう闘士」だと讃えた。
「エクソシスト」といえば昔見た悪魔払いのオカルト映画。
その恐ろしさはいまだにリアルに甦る。
少女に悪魔が憑依し、その悪魔と神父との戦いを描くのだが、悪魔を痛めつければ少女も傷つく。
それが見ていられないほど辛かったのを憶いだす。
それにしても、「主席エクソシスト」ということは、他にも大勢のエクソシストがいるということか……。
いずれにせよプーチンの大義名分を後押しする恰好となっている。
この国家とあまりに癒着したロシア正教の現況は、どうしても第二次大戦中の日本を彷彿とさせる。
連合国を悪魔ならぬ「鬼畜」と呼び、特攻ならずとも名誉の戦死ならば神になるのだと鼓吹した。
国家神道という戦時用の宗教が、明治以後特別に誂えられたのである。
現在の政治家も然り。
統一教会との繋がりが明らかとなって初めてそれに気づいた人も多いのかもしれないが、日本の政治家たちは、選挙協力してくれる宗教団体との癒着とも云える関係をとことん深めてきた。
しかしこれは近代に限ったことではない。
遥か昔から、政治と宗教は表裏一体の繋がりをみせている。
焼き討ち当時の比叡山の実態とは?
延暦寺(正字: 延曆寺)は、滋賀県大津市坂本本町にある標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山の寺院。
本尊は薬師如来。
比叡山、または叡山とも呼ばれる。
平安京の北にあったことから、南都の興福寺と対に北嶺と称された。
平安時代初期の僧・最澄(767年- 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。
横川中堂は新西国三十三箇所第18番札所で本尊は聖観音である。
1994年(平成6年)には、古都京都の文化財の一部として、1,200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受けユネスコ世界文化遺産にも登録された。
寺紋は天台宗菊輪宝。
まさに鎮護国家の総本山だが、信長焼き討ち当時の実態を記した確かな証拠はいまだ見つかっていない。
生臭坊主に成り下がった比叡山の腐敗が原因のひとつともいわれているが、どうやら山全体が腐り切っていたわけではなさそうだ。
ただ一部の破戒僧が悪行を重ねていたことも事実のようで、僧侶の本分も忘れて金貸しで儲けた金で酒池肉林の生活を送っていたらしい。
そんな破戒僧たちが、政治への強い影響力を持っていたから始末が悪い。
かの白河天皇(1086年に上皇となり初めて院政を初めて行った人物)はこう嘆いたという。
賀茂川の水、双六の賽、山法師。
これぞ我が心にかなはぬもの。
「賀茂川の水」とは、現在の鴨川のことで、古来より氾濫を繰り返し、さすがの法皇にも天災を抑えることはできないということ。
「双六の賽」とは、その名の通りサイコロが出す目のことで、あくまで確率の問題であるが、これもどうしようもないということ。
そして最後の「山法師」とは、比叡山の僧兵のことであり。
多くの特権を与えられた寺院は、多くの荘園を持ち、経済基盤がしっかりしていた。
関所を設けて通行税を取り、様々な座(貴族・寺社などに金銭など払う代わりに営業や販売の独占権などの特権)を設け日本の経済を左右していた。
故に宗教団体は力を持ち、発言力が増していた。
そして、政治が自分たちの利権に不利なことをしようとするなら、僧兵たちが都の朝廷に押し寄せる「強訴」を行った。
要するに圧力であり、脅しである。
寺院は長い年月をかけて着々と貯め込んだ財力と武力で、思い通りの政治を行わせていたのだった。
宗教弾圧ではなく政教分離
信長が比叡山を焼き討ちにした理由はいくつか考えられるが、根底にあるのは仏教者たる比叡山延暦寺の僧侶が仏教者たる本分を忘れ、修学に励まないこと、放蕩生活を送っていたことに加え、信長に敵対する勢力に加担したからである。
これまでこの焼き討ちは、信長の仏教の否定と捉えられてきたが実情は違う。
そもそも信長に宗教弾圧の意図はない。
この頃、天下統一を目指した信長公は各地の大名を切り従えるだけでなく、真の天下統一のためあらゆる宗教勢力の武装解除に力を注いでいた。
その一方で信長は、武装解除に応じた宗教や始めから武装していない禅宗の寺や神社を手厚く保護している。
また、当時ポルトガルから伝わってきたヤソ教キリシタンも大事にされた。
これは信長が、政治的経済的に天下統一するだけでなく、戦国の世のすさんだ人々の心を宗教の力によって回復させようとしていたのではいかとも考えられている。
信長自身は無神論者だと思われるが、宗教の存在自体を否定したことは一度もない。
否定したのは政に口出ししてくる宗教団体である。
信長が行った比叡山焼き討ちは、おかげでその他の宗教団体に衝撃をあたえた。
おかげで日本は有史以来はじめて、政治と宗教が分離されることになる。
これを信長の功績と言わずして何が功績か。
徹底的に叩くべし
政教癒着は危険構造
第2次岸田改造内閣の閣僚・副大臣・政務官で、少なくとも32人に何らかの接点があり、他にも自民党幹部や野党議員との関係も次々と判明している旧統一教会。
宗教団体が政治活動に関わること自体は原則としては自由だが、だからといって何でも自由というわけではない。
だが両者は非常に都合のよいつき合いというのを続けてきた。
政治家側からすればメリットはいくつかあるが、まずは「票」。
票田である。
ただ、これは限定的だと思われる。
国政選挙で動かせる票はおよそ8万票といわれているから、統一教会が自民党を牛耳っているわけではなさそうだ。
次は秘書や選挙の運動員スタッフを提供する、してくれるというメリット。
これが一番効果的で、いちばん大きかったと思われる。
あとは政策を支援したり、応援してくれるという面もたしかにあっただろう。
宗教団体は宗教団体で、メリットは絶大だ。
例えば「家庭を壊す」と宗教団体が考えれば、その思想は政治家を通じ、夫婦別姓やLGBTQの理解増進を妨げる結果となる。
思い通りの社会を築けるのだ。
ん?
そういえばどこぞの首相が「家庭を壊す」的な発言をしていたな。
このような政治活動は他者の自由、あるいは権利を抑圧する面がある。
結果、日本国家はひとつの思想に染め上げられ、多様性を認めない社会に凝り固まってしまった。
これは政治家の罪である。
昔のように武力で脅されていたならまだしも、私欲にまみれたとなれば言語道断。
欲深い政治家の保身のために政治が、国全体が利用されていたことになる。
この問題(に限らないが…)は、徹底的に洗うべきだ。
日本を切り売りした売国奴政治家どもを、我々は許してはいけない。
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