アニメ「機動戦士ガンダム」とは
テレビシリーズアニメとして1979年から名古屋テレビほかで放映された。
だが初回放送時の視聴率は名古屋地区で平均9.1%、関東地区で5.3%と振るわなかった。
視聴率低迷のため、スポンサーの要望によって量産型の他にいわゆるやられメカを毎回出すことになり、試作機が投入されたという設定で グフやドムなどの新モビルスーツやモビルアーマーが登場したが視聴率は好転しなかった。
その後もテコ入れが試みられたが視聴率も売り上げも挽回できず、全52話の予定が全43話に短縮される形の打ち切りの憂き目をみることになる。
シリーズ途中でキャラクターデザインおよび作画監督を務めていた安彦良和氏が病気で現場を離れるなど、製作スタッフの疲弊も激しかったというエピソードはあまりに有名。
ところが打ち切りが決まった直後から人気が上昇。
最終回で主人公・アムロは死ぬ予定だったが、人気の盛り上がりから再放送や続編制作が期待できるため急遽取りやめになった。
また放送当時からアニメ雑誌がたびたび熱意ある特集記事を組むなどして、中高生、特に女子を中心に口コミで徐々に評判が高まった。
放送回数は打ち切り決定当時の43話のままで終了したが、本放送終了後もアニメファンによる再放送要請嘆願署名が行われるなど熱意が衰えることはなく、これらを受けて再放送を決定。
こうして再放送・再々放送が重ねられ、世間一般へ本作が浸透していくことになる。
再放送では平均視聴率も10%を超え、1981年における関東地区で17.9%、1982年における名古屋地区で25.7%(最高視聴率29.1%)を記録した。
高視聴率を得た「機動戦士ガンダム」は市民権を得て、今日までシリーズ化されていくことになる。
リアル志向へ
本作以前の1970年代当時は「宇宙戦艦ヤマト」、「ルパン三世」、「長浜ロマンロボシリーズ」といったティーンエイジャー層をターゲットにしたアニメ作品の盛り上がりによりアニメ視聴者層の対象年齢が広がりつつある時期ではあったが、ロボットアニメというジャンルだけはスポンサーである玩具メーカーが販売する関連商品の購買層が小学生以下に限られていたため、いわゆるお子様向けの内容を脱することができずにいた。
ところが本作では「ザンボット3」と「ダイターン3」の好調な販売成績を受け、スポンサーからの干渉が少なかったため、敵も味方も同じ人間どうしの戦争という、より現実感のある状況を描き出すことが可能となった。
リアリズムあふれる作風は作画監督・キャラクターデザインの安彦良和氏の発言によると、富野氏が絵コンテとして参加した高畑勲監督作品「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」の影響が大きいと富野氏との対談で語っており、富野氏本人も「高畑、宮崎から受けた影響は大きい」と語っている。
物語のあらすじ
宇宙世紀0079。
人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになってすでに半世紀。
地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。
1ヶ月余りの戦いでジオン公国と連邦軍は、総人口の半分を死に至らしめ、連邦軍劣勢のまま戦争は膠着状態に陥る。
サイド7の少年アムロ・レイは、ジオン軍の奇襲をきっかけに偶然、連邦軍の新型モビルスーツ・ガンダムに乗り込みパイロットとなる。
戦火を生き残るため、戦艦ホワイトベースで少年少女たちとともに軍人としての戦いを強いられていくうちに、やがてニュータイプとして覚醒していく。
※写真は型式・RX78-2、通称・ガンダム。
打ち切りと大ヒットの要因は同じ、どちらもリアルすぎた設定
✔️ リアルすぎた戦争の描写
ー 勧善懲悪ではない戦い ー
まず、それまでのアニメといえば勧善懲悪が当たり前だった。
明確な敵がいて、敵は悪という絶対的な認識が存在した。
しかし「機動戦士ガンダム」で敵と呼ぶのは少し違う。
いや、一応敵なのだが敵役は主人公と同じ人間だ。
だから便宜上から敵とは呼んでいるが、相手が自分と同じ人間ということで主人公たちは戦うことにたびたび躊躇することになる。
こんなアニメは過去に例がなかった。
正義の味方が颯爽とあらわれ、悪い敵をスカッと倒してこそのアニメだったからだ。
しかしガンダムにそんなものは存在しない。
悩みながら敵兵を倒し、敵兵を倒しては悩む連続だ。
もっといえば、敵兵にこそ愛すべきキャラクターが存在する。
従来のアニメの勧善懲悪に慣れきっていた子供たちには、これでは受け入れられない。
ウルトラマンや仮面ライダーに登場する主人公とはまったく異質なものだからだ。
しかしリアルな戦争の描写が理解できる、アニメのユーザーとしては少し高めの年齢層から根強い人気を獲得することになる。
ー 兵器を正しい名称で呼ばない ー
「機動戦士ガンダム」では敵兵がガンダムをガンダムと呼ばない。
連邦の白いのなどあやふやな呼び方をしている。
味方は味方で敵機をスカートつきなど、かなり独特な呼び方をする。
「機動戦士ガンダム」なのに。
これでは子供には意味不明だ。
しかし、よく考えたらこれは当たり前のことなのだ。
最高機密たる最新兵器の正式名称を敵が知っているなんてあり得ない。
だって最高機密なのだから。
物語はこの最高機密情報を何らかの形でキャッチした敵将シャア・アズナブルが、事の真意を確かめるところから始まる。
とりあえずの事実確認から始まるのだ。
こんな調子だから敵兵がガンダムという名を知るわけがない。
わからないからとりあえず区別できる程度に呼称する。
これも今までのアニメでは考えられないことだった。
マシンの名を叫べば何処からともなく飛んでくるようなアニメに慣れきった子供には意味がわからない。
ちなみにずっと守り続けた最高機密だが前述した敵将シャア・アズナブルが物語途中でうっかりガンダムの名を口にしてしまう。
それから敵兵にもガンダムとかいうのなどと呼ばれ周知されていくことになる。
※写真は正式名称・ドム。
連邦にはスカートつきと呼ばれる。
ー 劇中の専門用語にまったく説明がない ー
「機動戦士ガンダム」は第1話からセリフの多くに戦争関連の専門用語が用いられた。
強襲揚陸艦といわれて、あーアレのことね?なんて言える子供なんかいるわけがない。
ミノフスキー粒子?ルナツー?月のグラナダ?ラグランジュポイントなんて専門用語なんか知るわけがない。
弾幕って何?索敵って何?の連続。
どれも観ている子供には意味不明の言葉ばかりだ。
意味不明の言葉ばかり聞かされた子供たちは、まったく物語が頭に入ってこないので離れていくことになる。
しかしこのような手法を用いたのには理由があった。
主人公たちは民間人がほとんどだ。
それがいきなり戦争という未知の状況下へ放り込まれた。
視聴者にも主人公たちと同じ目線で物語を体験させるという深謀遠慮があった。
しかしあまりに深すぎたので初回放送は打ち切りになったのだが、理解を得るとそれが人気へと変わってゆく。
ー ビーム・サーベルでチャンバラしない ー
ガンダムの武器にビーム・サーベルというものがある。
いわゆる光の剣である。
これはあくまでも初期設定なのだが、ビーム・サーベルとは収束磁場をプラズマに閉じ込めたものだ。
これをわかりやすく説明すると、物を溶かしたりするほど大きなエネルギーはあるが実体はないものなのだ。
だから実体のあるものは切れても、ビーム・サーベル同士では透けてしまう。
敵将ランバ・ラル搭乗のグフがガンダムが振り下ろすビーム・サーベルを腕から止めたシーンを観ても、このことは制作陣にかなり周知徹底されていたことが窺える。
しかし子供にそんな理屈は通用しないのは当然で、このことも不人気だった要因だと思われる。
ちなみに相当の激務だったと噂の制作陣。
疲れからかうっかりビーム・サーベル同士でチャンバラさせてしまったことがある。
設定を揺るがす大事件だが、そこは後付け設定が十八番のガンダムシリーズ。
ビーム・サーベル同士がチャンバラしてもおかしくない設定を生み出し、その後の作品ではチャンバラが当たり前のようになっていくのだ。
今では当たり前のようになっているが、実はこんな裏話が隠されていた。
※ビーム・サーベルを腕ごと止めている。こんな細かい設定を貫いていた。
✔️ 主人公・アムロの斬新さ
第一話で登場する主人公のアムロ・レイ。
その登場シーンはあまりに衝撃的なものだった。
なんとランニングに縦縞パンツという、あまりにラフなおっさんスタイルでの初登場となるのだ。
主人公といえば、いよいよ真打ち登場といわんばかりの派手な登場シーンを思い浮かべるが、「機動戦士ガンダム」の主人公は、何故かおっさんスタイルでサラッと現れる。
子供心に、これが主人公?と思うに違いない。
それまでのアニメの主人公といえばザ・体育会系の熱い人物像を想像するだろうが、アムロはどちらかというとヲタク系だ。
機械いじりが趣味という、およそ主人公らしからぬ紹介をされている。
性格も好戦的ではなく優柔不断。
硬派ではなく軟派で、どこかナヨナヨしている印象だ。
こんな主人公を子供が真似するわけがない。
ガンダムごっこという遊びがもしあったなら、誰も主人公を選ばない。
しかし年齢層が高くなると、自分と主人公を重ね合わせるのか親近感がわいてくる。
どうやら高すぎる理想像は子供にしか受けないらしい。
※およそアニメの主人公らしからぬ格好だ。
✔️ まるで某枢軸国のような危険な思想
元は共和制だったのだが指導者の暗殺を経て公王制となる。
要するに独裁なのだが、敵国の内情も実に複雑だ。
派閥争いに翻弄される兵士が描かれてみたり、派閥のせいで味方同士なのに助け合わなかったり。
激しい権力争いなんか子供が観てわかるわけがない。
優生思想?
権力者は演説で兵士たちを鼓舞し、兵士たちは狂信的に戦争を正当化していく。
これではまるで大戦時の某国そのままだ。
まだ戦争反対運動が盛んだった時代に多感な思春期を迎えたティーンにとっては、思うところがある内容だったに違いない。
※演出に沸き立つ兵士たち。愛国心に溢れている。
あとがき
まだまだ書ききれないことばかりだが、主要な事柄については触れられたと思う。
結論をいってしまえば「機動戦士ガンダム」の初回放送の打ち切りは、あまりに時代を先取りしすぎたからなのだろう。
打ち切りで消えてしまってもおかしくなかった灯火が、今や燦然と光り輝いているのは同じく時代を先取った当時ティーンの若者のおかげである。
その功績に報いるためにも「機動戦士ガンダム」シリーズは、後世に語り継がなければいけない。
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