Z世代の倍速視聴
映画やドラマなどの動画を初見で「倍速視聴」「10秒飛ばし」する習慣が広がっている。
映画やYouTubeの動画などを高速で再生する“倍速視聴”の是非が昨今話題になっている。
映画やドラマを10分程度にまとめた「ファスト映画」が注目を集める中、動画を高速で再生する“倍速視聴”の是非も、関連して話題になっている。
ファスト映画については逮捕者が出て、これから法廷で問題点が争われることになりそうだが、いずれの視聴形式にも共通しているのは「時間の節約」という観点だ。
短い時間で作品を視聴することについては「演技の間が生む良さを損ねている」「コスパは良い」などさまざまな意見が出ている。
なかでも注目されているのは、10代や “Z世代” (1990年代半ば~2000年代生まれ)の若者が、動画の倍速視聴を積極的に行っている、という論調だ。
しかしこれは重要度が低い動画の場合だ。
自分が好きなエンタメや “推し” コンテンツは等速が基本。
これには、コンテンツが多様化するあまり「誰もが見ているコンテンツ」がなくなり、若者同士も共通の話題作りに苦労しているという理由があるようだ。
倍速視聴は制作者の想いに対する冒涜なのか?
でも正直、2時間集中はキツいのだよ…
ここ最近は、映画を観るときに相当の気合いを入れないといけなくなってきた。
よほど面白い作品ならもちろん全然平気なのだけど、少しでも中だるみを感じてしまうような作品となると、途端に集中力がなくなってしまう。
最近では1時間尺のドラマでさえ、少し煩わしく感じてしまうのだ。
これには、これまでの経験が影響しているような気がしてならない。
月9が全盛期の頃に散々ドラマを観てきたせいで、ドラマのサイクルがなんとなくだがわかってしまう。
要するにこの先の展開。
例えば恋愛ドラマでは「幸せ→不幸→幸せ」という基本的なサイクルが先に思い浮かんでしまうのだ。
皆さんにもこんな経験がないだろうか?
「このドラマは大好きだけど、第何話だけは嫌い」という経験が。
特に最近苦手になったのは、主人公がとんでもない不幸に見舞われるような、いかにもドラマ然たる展開になった時。
何もわざわざ不幸にすることもないのでは?と、いつの頃からか思うようになってしまった。
無理矢理劇的な展開に持ち込まれることに、少々疲れてきてしまった。
こんなボヤきも、所詮はドラマだといわれてしまえばそれまでなのだが…
ただし例外もある。
その代表作がモンスタードラマ『半沢直樹』だった。
(※.『半沢直樹』の功績に関しては後述することにする。)
そんな風に考えていると、1時間尺のドラマは長すぎるのではないのかと考えるようになる。
長尺を埋めなければいけないのだから、余計な描写が増えるのは必然だ。
わかりやすい例えが、アニメのオリジナルシナリオだろう。
原作にはないストーリーを無理矢理作り出して引き延ばす。
ただし、オリジナルストーリー自体が悪いというわけではない。
オリジナルストーリーの大半が、あまり面白くないことが問題なのだ。
そういう余計な描写をすることで、いくら観たいと望んだドラマであっても、その意欲は削がれてしまう。
だから結果的に倍速視聴してしまうわけだ。
結末、もしくは先を知りたいけれど途中でダラダラしてきたなと感じたら倍速だ。
制作者側が倍速視聴を嫌う理由はわかる。
間とか行間といった繊細な空気感は、倍速視聴では伝わらない。
そういうものが大切なことは、著者も常々書いてきた。
だが一方では、倍速視聴を全否定することは制作者側のエゴではないかとも考える。
観る側の立場からいわせてもらえば、視聴者を飽きさせない制作者側の工夫も必要なのではないだろうか。
制作者側の主張する一瞬の間や行間に辿り着く前につまらないと感じてしまったら、元も子もないのではないのか。
これでは本末転倒だ。
制作者側にわかってほしいのは、何でもかんでも倍速視聴しているわけではないということ。
本当に面白いものだったら、倍速視聴なんて絶対にしない。
だってしっかり観たいもの。
世の中は常に変化している。
制作者側も、魅せ方を考える時がきたのではないだろうか。
ちなみに著者は倍速視聴容認派だ。
1時間ドラマ『半沢直樹』の功績
飽き気味だったドラマのフォーマットをぶち壊してくれたのが『半沢直樹』だった。
『半沢直樹』の凄いところは、大きなストーリーの中にあっても、1話完結を印象づけたことだろう。
正確には1話で完結ではない。
だが、視聴者は1話完結に近い印象だったのではないだろうか。
何故なら、例外はあるが基本的には1話ごとにキッチリ逆襲…もとい、倍返しして最終的にはスッキリさせてくれた。
どんなに嫌な奴が登場してきても、すぐにスッキリさせてくれるから嫌悪している時間は短い。
昔のドラマはひとりの嫌な奴が何話にもわたって登場し、その不快なモヤモヤを次週に繰り越すことで視聴者を繋ぎとめていた。
だが、『半沢直樹』は違った。
不快なモヤモヤは次週に繰り越さないのだ。
代わりに繰り越されるのは、新たな難題への少しの不安と、それを上回る大きな期待。
次はどんなスッキリが待っているのかというワクワクだ。
人はどんな不運や不幸でも、最後には必ずスッキリすることがあらかじめわかっているなら甘受できるらしい。
これはネタバレの是非とは別次元の話である。
でなければ『半沢直樹』は、あれほど大ヒットしなかっただろう。
こういう構成のドラマは過去にもあったのだが、すべて中途半端だった。
これでもかというほどの嫌な奴を作り出し、気持ちいいくらいにボコボコにやっつける。
それを徹底的にやれたことが『半沢直樹』の大成功へ繋がったのではないだろうか。
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劇場版化されるか否かが人気のバロメーターなのはわかっているけど…
テレビシリーズの人気作品が劇場版化されることは今も昔も変わらない。
興行収入という、非常にわかりやすい収益が見込めることは、主な収益が広告収入のテレビ業界にとってはこの上ない魅力だろう。
しかも劇場版には、継続的なドル箱となる可能性がある。
劇場版がシリーズ化されれば、オイシイのだ。
最近の成功例でいえば『コンフィデンスマンJP』が挙げられる。
様々な不確定要素で何度も続編が危ぶまれながらも、なんだかんだで継続し、さらにちゃんとヒットしている。
だがそれ以外の劇場版作品に関しては、残念ながらあまりパッとしない印象だ。
テレビシリーズで少しばかりヒットしたからといって、簡単に劇場版化してしまうのはいささか早計ではないか。
劇場版化することで、せっかくこれまで築き上げてきた作品の良さを殺してしまうことは、非常にもったいない気がしてならない。
30分ドラマがちょうどいいという結論
長尺作品が億劫になってきたことで、近頃は30分ドラマが楽しみのひとつになっている。
『深夜食堂』『孤独のグルメ』を筆頭に、『勇者ヨシヒコ』シリーズや『ゴッドタン』など、あらゆるジャンルで30分番組が充実してきた。
なんだかテレ東の番組が多いのはご愛嬌。
大好きなアニメでもその傾向は顕著である。
長編アニメーションなどは、相当な気合いを要するようになってきた。
劇場版のダラダラする2時間なら、アニメシリーズの濃密な30分の方が断然いい。
世間でも30分作品の需要が高まっているような気がする。
手軽に観れるし、ちゃんと面白い。
時短という意味でも、30分作品の需要はもっと高まるのではないか。
だからといって長尺作品が完全に廃れるということはないだろう。
ただ長尺作品の在り方として、今のままでいいとは思えない。
どんな作品でも時代に応じた変化が求められているのだろう。
30分作品あれこれ
『深夜食堂』
『勇者ヨシヒコ』シリーズ
『闇金ウシジマくん』
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