...
...

ioritorei’s blog

完全趣味の世界

※当サイトではアフィリエイト・Google AdSenseによる広告を掲載しております。

情報操作や印象操作はこうして起こる!【大河ドラマ『どうする家康』不人気の理由】第43回「関ヶ原の戦い」で感じた歴史認識への酷すぎるミスリード。

 

 

 

 

大河ドラマ『どうする家康』不人気の理由

第43回「関ヶ原の戦い」で感じた歴史認識への酷すぎるミスリード

 

 

大河ドラマ『どうする家康』

 

 

『どうする家康』は、2023年(令和5年)1月8日から放送されているNHK大河ドラマ第62作。

原案・脚本は古沢良太氏、主演は松本潤氏。

徳川家康の生涯を新たな視点で描く。

 

 

 

歴史に残る大失敗作時代劇『どうする家康』

 

 

嵐・松本潤氏が徳川家康を演じ、リーガル・ハイ』『コンフィデンスマンJP』を手掛けた古沢良太氏が脚本を担当し、その厳しい選択だらけの人生を描くNHK大河ドラマ『どうする家康』

しかしその評価は今世紀最大の問題作。

徳川家康という人気武将や豪華俳優で開始当初こそ話題になりはしたが、回を重ねるごとに悪評が続いている。

放送直後から、装填に時間がかかるとされる火縄銃を連射するシーンや、第4話で登場した清洲城が中国の紫禁城のように描かれたシーンなどに対し、ネットを中心に《歴史考証はしっかりしてほしい》とツッコミが入っていた。

一方で、《大河として見るとつまらんけど、るろうに剣心的なファンタジー目線で見ると大変面白い》《大河というか歴史ファンタジー感だな。そう思って視ると面白いけど》と、史実をもとにしたファンタジー作品と割り切れば面白いと評価する声も見られた。

大河ドラマが史実を基にした時代劇ではなく、史実を基に空想されたフィクションだというなら、まったく問題はない。

ただ、大河ドラマを史実を基にした時代劇と受け止めている視聴者は非常に多いのだ。

 

 

 

情報操作や印象操作はこうして起こる

 

 

大河ドラマ=史実を基にした時代劇。

それが一般的な大河ドラマへの認識だと思うし、視聴者は自分が知る歴史の新解釈を期待している。

が、あくまでそれは史実を基にした範疇でのこと。

歴史の空白部を埋めることであり、捏造・改変などは一切望んでいないのだ。

もちろんドラマなのだから多少の脚色くらいなら許容範囲であるが、それが明らかな印象操作になるならば、歴史ファン・歴ヲタとしては断じて許し難いことである。

なぜならそれは、大河ドラマを史実だと信じて疑わない視聴者の思想誘導へと繋がるからだ。

そしてそういう人間の大量生産が、ひいては情報統制や情報操作への豊かな土壌となるのだ。

ましてやそれが人気俳優や所属事務所への忖度を感じさせるものならば最悪だ。

演じる歴史上の人物の真実を、人気取りのために捏造するなど愚の骨頂。

歴史的偉人の侮辱であり、歴史への冒涜である。

しかし残念ながらそれは起こる。

今までも細かい捏造はたくさんあったが、決定的だったのは大河ドラマ『どうする家康』第43回「関ヶ原の戦いの描き方だった。

 

 

 

 

 

 

 

大河ドラマ『どうする家康』第43回「関ヶ原の戦い」で感じた歴史認識への酷すぎるミスリード

 

 


www.youtube.com

 

 

井伊直政の抜け駆け

 

戦国時代の戦さでは先陣を務める武将があらかじめ決められている。

当然だ。

誰彼構わず先陣争いしていたら、どんな大軍もただの烏合の衆でしかなくなる。

戦術どころの話でなくなる。

だから戦国時代の戦さには、れっきとした秩序が存在していたのだ。

関ヶ原の戦いでも、もちろんあらかじめ先陣は決められていた。

福島正則である。

戦さの先陣を務めることは武将にとって最高の誉れである。

故に、悪意ある抜け駆けなどは決して許されない。

そんなことをしようものなら、抜け駆けされた方の武将の忠誠は著しく低下し、後世の火種にもなりかねない。

だから上手に抜け駆けするためには、大義名分が必要となる。

関ヶ原の戦いは正確には豊臣家臣同士の戦さだったが、徳川か豊臣か、事実上の天下人を決める戦いだった。

そんな大事な戦さの先陣を、豊臣譜代の福島正則に務めさせるわけにはいかない。

それはこれからの世を治める徳川家にとって大きな弊害となる。

天下分け目の戦さの先陣は、次期天下人である徳川家でなければならなかった。

そこで井伊直政は考えた。

これが初陣となる徳川家康の四男・松平忠吉の後学のため物見と称して、前線に陣を構える福島正則隊を追い越し最前線まで前進。

そのどさくさに紛れて敵方に向かって真っ先に鉄砲を撃ちかけた。

これが開戦の合図になる。

もちろん福島正則隊も井伊直政隊のこの抜け駆けを黙って見過ごしたわけではない。

井伊直政隊が松平忠吉隊を引き連れて押し通ろうとした際、福島隊先手の可児才蔵がこれを通さじと押し留めている。

しかし『どうする家康』では、このような戦さの作法や政治的な駆け引きは一切削り落とされている。

松平忠吉の登場すらなく、ただ格好良く井伊直政が先陣を切る姿が垂れ流されていただけだった。

たしかに結果だけみればこれは史実と合致する。

しかしなぜこうなったのかの過程も描かず、結果だけを誇張しただけの演出に過ぎない。

これは視聴者にあれこれ考えられないよう巧妙に工夫された、あまりに酷いミスリードである。

これを人気俳優や所属事務所に対する忖度と感じてしまうのは、著者の勘繰りすぎなのだろうか?

 

 

大谷吉継隊壊滅

 

関ヶ原の戦いで両軍合わせ唯一自害した武将がいる。

大谷吉継である。

劇中では役職の刑部小輔に由来した大谷刑部の名で親しまれている。

大谷吉継は業病を患って失明し、関ヶ原の戦いでは輿に乗って軍の指揮を執ったが、小早川秀秋らの離反で敗戦すると家臣・湯浅隆貞の介錯切腹して死去したとされている。

『どうする家康』でも、大まかにはその様に描かれているが、こちらもあまりにもお粗末だ。

大谷吉継隊は、小早川秀秋の裏切りを事前に予想していたにもかかわらず、いざ裏切りが発覚すると呆気なく劇的に壊滅して果てている。

たしかにドラマチックな演出ではあるが、史実の大谷吉継隊はそんなに簡単に壊滅していない。

現在伝わる史実では、松尾山に布陣していた小早川秀秋隊1万5,000人が東軍に寝返り大谷隊を攻撃するが、初めから小早川隊の謀叛に備えていた直属の兵600で迎撃し、更に前線から引き返した戸田勝成・平塚為広と合力し、兵力で圧倒する小早川隊を一時は500メートル押し戻し2、3回と繰り返し山へ追い返したという。

つまりは、大谷吉継の壊滅の直接の原因は小早川隊の謀叛ではないということ。

小早川隊の謀叛はキッカケに過ぎない。

大谷吉継隊壊滅の直接の原因は、吉継が追撃を仕掛けたところへ、秀秋の裏切りに備えて配置していた脇坂・朽木・小川・赤座の4隊4200人が東軍に寝返り突如反転、大谷隊に横槍を仕掛けたことにある。

要するに、予想外の裏切りの連鎖が大谷吉継隊壊滅させたのである。

そして大谷吉継隊壊滅が戦さの趨勢をも決定づけている。

このように関ヶ原の戦いにおいて、大谷吉継隊の存在は非常に重要な意味を持っているのだ。

しかし『どうする家康』では、過剰で劇的な演出によりその最期が多少印象的ではあっても、大谷吉継の登場機会があまりにも少なすぎる。

これまたなぜこうなったのかの過程も描かず、結果だけを誇張しただけの描写だった。

大戦のキーパーソンの描き方がぞんざいだったのは、やはりこれも人気俳優に対する忖度なのだろうか?

 

 

戦後、石田三成との対面

 

関ヶ原の戦いの敗走の後、捕らえられた石田三成徳川家康と対面する。

このシーンはある程度の想像が反映されていはしたが、たいした違和感もなく、滞りなく対面は終わる。

だが、ひとしきり会話し終えた後、家康が先に席を立つという違和感は拭いきれるものではなかった。

本来なら、罪人扱いである石田三成が引っ立てられて然るべきシーン。

ましてや相手が次期天下人の徳川家康となれば、言いたいことを言い終わればさっさと去っていいわけはない。

互いの立場をはっきりさせるためにも、石田三成は罪人でなければならない重要なシーンなのである。

それがさも格好良さげに先に席を辞す家康。

たしかに三成をおいて去る方が劇的に観えるかもしれない。

だがそんな格好つけでは、天下など治められるわけがない。

そんな甘い考えでは元和偃武など夢のまた夢なのだ。

これが家康と三成のどちらに忖度した結果なのかはわからない。

しかし見栄えばかりを気にした演出は、苛立ちを募らせるばかりである。

何より、美しく描きすぎる時代劇にリアリティなど一切感じることができない。

武士の美学はたしかに美しいが、武士は同時に血で血を洗う生臭さも併せ持っていた。

それが事実であり、歴史なのだ。

最近のテレビでは、あらゆる残酷なシーンが激減している。

コンプライアンスというやつのせいなのだろうが、残酷なシーン、とりわけ死を直視させない風潮は、死へのリアリティを失わせる。

過程を端折り結果だけを与えられ続けた人は思考を停止させ、ろくに考えることなく凄惨な事件を引き起こす。

与えられた情報だけを鵜呑みにするのは、今の日本では非常に危険なこと。

こんなテレビドラマにすら情報操作で溢れている。

ゆめゆめ忘れないてはいけない。

 

 

どうする家康 完結編 NHK大河ドラマ・ガイド

どうする家康 完結編 NHK大河ドラマ・ガイド

 

 

 

 

 

 

 

☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎

 

日本史一問一答(解説付き)

日本史一問一答(解説付き)

  • StudySwitch, Inc.
  • 教育
  • 無料

世界史一問一答(解説付き)

世界史一問一答(解説付き)

  • StudySwitch, Inc.
  • 教育
  • 無料

 

 

 

 

【日本映画『大河への道』】キャスト全員が一人二役なのは落語原作ならでは!視点が変われば歴史認識も変わる面白さを描いた新感覚時代劇。

 

 

 

 

日本映画

大河への道

 

 

『大河への道』とは

 

 

『大河への道』は、2022年5月20日に公開された日本映画。

主演は中井貴一氏で、本作では企画も兼任している。

立川志の輔師匠の創作落語伊能忠敬物語 -大河への道-』を原作とし、「日本地図を作ったのは実は伊能忠敬ではない」という噂に右往左往する大河ドラマ制作陣の姿と、その伊能忠敬による日本地図完成を巡る秘話を交差させながら描く。

原作となった伊能忠敬物語 -大河への道-』は、立川志の輔師匠が伊能忠敬記念館を訪れた際に伊能忠敬が製作した日本地図を観た際の感動を落語として創作したものであり、この演目を鑑賞した中井貴一氏から映画化の直談判を受けたという。

一方、主演を務める事になった中井氏は「数少なくなった時代劇を日本の文化や伝統として残すという行為が容易ではないと承知の上で、肩肘を張った時代劇を作っても観てもらえる可能性は低い。しかし、志の輔のこの創作落語を映像化したならば、様々な垣根を超えて鑑賞しやすい形の映画が作れると思った」と語っている。

また、メインキャストは現代の場面と江戸時代の場面において別々の役で登場しており、これについて中井氏は「何百年経っても人間は変わらないことを描ける良いアイデアだった」と朝日新聞のインタビューの中で明かしている。

 

 

大河への道 特別版(数量限定生産) [Blu-ray]

大河への道 特別版(数量限定生産) [Blu-ray]

 

 

 

あらすじ

 

 

千葉県香取市役所の総務課主任を務める池本は、観光課のプレゼンテーションにて発言を求められ、思わず郷里の偉人・伊能忠敬を主人公にした大河ドラマの誘致を提案する。

会議でのウケは悪かったものの、知事から直々に大河ドラマ化を目指すよう指示が下り、池本はその指揮を執るように任命される。

脚本は知事直々の指名により大物脚本家の加藤に依頼することとなった。

最初は頑なに断り続けた加藤だったが、それでも毎日訪れる池本に根負けし、伊能忠敬記念館を訪れることになる。

そこで加藤は、伊能の作った大日本沿海輿地全図の精度に感動し、池本とその部下・木下と共に、脚本作りのためのシナリオ・ハンティングに取り掛かる。

しかし、その中で加藤は「伊能忠敬大日本沿海輿地全図を完成させる3年前に死去した」という事実に直面する。

時代は遡り、1818年の江戸。

幕府に仕える天文学者高橋景保は、伊能の弟子たちから、師匠の死を偽装したうえで地図作りを続けさせてほしいと懇願され、困惑する。

莫大な時間と資金を必要とする地図作りは、幕府内からも金食い虫と見なす声が強まっており、伊能の死が明らかとなれば中止を命じられる事は容易に想像できた。

しかし、幕府をたばかり公金を拠出させていることが露見すれば、死罪は免れない。

伊能組の命も考え、提案を断った高橋だったが、伊能の元妻・エイらの策略に嵌められ、彼らに協力する事となってしまう。

かくして一蓮托生となった高橋と伊能組一同は、伊能の死を偽装しながら、お上からの追及をのらりくらりかわしてゆく。

しかし、いつまでたっても地図は完成せず、伊能がぱたりと顔を見せなくなった事をいぶかしんだ勘定方は、高橋の周辺を調べるように神田を差し向けた。

神田の動きを察知した伊能組の一行では、エイとトヨが一計を案じ、祈祷師のフリをして神田と接触して時間を稼ぐ。

いよいよ地図は完成し、将軍への披露も叶った。

11代将軍・徳川家斉は、自らの治める日の本の国の形とその美しさに感嘆し、高橋の持参した伊能の形見の草鞋に、「大義であった」とその労をねぎらうのであった。

場面は再び現代へ戻る。

大日本沿海輿地全図に秘められた出来事に感動する木下であったが、なんと加藤は伊能ではなく高橋を主人公に脚本を作ると言い始めた。

だが、なんとしても伊能忠敬大河ドラマを作りたいと決意を新たにする池本は、加藤に弟子入りをし自らが物語を書き上げると意気込むのであった。

 

 


www.youtube.com

 

 


www.youtube.com

 

 

 

登場人物

 

 

1.池本保治 / 2.高橋景保

演:中井貴一

 

  1. 令和:香取市役所総務課主任の池本保治
  2. 江戸:天文学者高橋景保

 

 

1.木下浩章 / 2.又吉

演:松山ケンイチ

 

  1. 令和:香取市役所総務課員で池本の部下
  2. 江戸:高橋景保の家臣

 

 

1.小林永美 / 2.エイ

演:北川景子

 

  1. 令和:香取市役所観光課長
  2. 江戸:伊能忠敬の妻

 

 

1.安野富海 /2. トヨ

演:岸井ゆきの

 

  1. 令和:香取市役所総務課員
  2. 江戸:伊能忠敬の下女

 

 

1.各務修 / 2.修武格之進

演:和田正人

 

  1. 令和:香取市役所総務課員で池本の部下
  2. 江戸:伊能忠敬の測量隊員

 

 

1.吉山朗 / 2.吉之助

演:田中美央

 

  1. 令和:香取市役所総務課員
  2. 江戸:伊能忠敬の測量隊員

 

 

1.山本友輔 / 2.友蔵

演:溝口琢矢

 

  1. 令和:香取市役所総務課員
  2. 江戸:伊能忠敬の測量隊員

 

 

1.梅さん / 2.梅安

演:立川志の輔

 

  1. 令和:ラジオパーソナリティ
  2. 江戸:伊能忠敬を看取る医師

 

 

1.山神三太郎 / 2.神田三郎

演:西村まさ彦

 

  1. 令和:蕎麦屋の常連客
  2. 江戸:勘定奉行の家臣

 

 

1.和田善久 / 2.綿貫善右衛門

演:平田満

 

  1. 令和:香取市役所総務課長
  2. 江戸:伊能忠敬の測量隊員

 

 

1.千葉県知事 / 2.徳川家斉

演:草刈正雄

 

  1. 令和:千葉県知事
  2. 江戸:11代将軍 徳川家斉

 

 

1.加藤浩造 / 2.源空寺和尚

演:橋爪功

 

  1. 令和:脚本家
  2. 江戸:源空寺の和尚

 

 

 

 

 

 

 

キャスト全員が一人二役なのは落語原作ならでは!視点が変われば歴史認識も変わる面白さを描いた新感覚時代劇

 

 

新感覚時代劇! "令和の現代劇" と "江戸の時代劇" 二つの世界の登場人物たちはすべて豪華キャストによる一人二役

 

 

ひとりで同時に何役もこなす噺家

首を左右に振るだけでコロコロとキャラが変わるのは落語ならではの技術だ。

そんな落語を映像化した代表的な作品といえば、第33回ATP賞テレビグランプリ(情報・バラエティ部門)奨励賞を受賞し、第69回国際エミー賞にもノミネートされた『超入門!落語 THE MOVIE』が真っ先に思い浮かぶ。

ただ『超入門!落語 THE MOVIE』とは、落語家がひとりで登場人物の全てを演じるため、聴衆の側に聴くためのスキルを要する落語を、落語家の噺に役者の演じる映像を合わせることで、入門編として初心者にわかりやすく伝えることを狙った番組だった。

要するに、映像化されているとはいえ、観ているものは落語と何ら変わらない。

落語を聴くのではなく、落語を観るという感覚だ。

『超入門!落語 THE MOVIE』の優れていたところは、そのアイデアだったといえる。

誰が誰かが視覚で認識できれば、声が同じであろうが別人格として正しく認識できる。

その点で『超入門!落語 THE MOVIE』は非常に優秀だった。

しかし本作のように、落語を原作とした映像作品の制作となると話は別。

まず落語が原作という最大の特徴を、どう魅せるのかが一番の問題となる。

ましてや本作は、ただの時代劇ではない。

現代劇と時代劇を織り交ぜた新感覚時代劇だ。

現代劇と時代劇で演者を分ける方法だってもちろんあった。

しかしそれでは落語原作という、本作最大の特徴をスポイルしてしまう。

それではただ二重構造にしただけの凡庸な作品にすぎない。

それでは何の意味もないのだ。

そこで考え出されたのが、キャスト全員が一人二役をこなすというウルトラC

一人二役はさほど珍しいことではないが、キャスト全員が一人二役をこなす作品となると非常に稀である。

この難しい課題に取り組んだ豪華キャスト陣。

それだけでも一見の価値あり。

落語好きなら是非ご覧になっていただき。

しかしなるほど、このオチの秀逸さは落語が原作だったからか。

 

 

視点が変われば歴史認識も変わる面白さ

 

本作がフィーチャーしているのは伊能忠敬

日本で初めて本格的な地図を制作した歴史的偉人であるが、教科書では名前が載っている程度の非常にマニアックな人物だ。

このセレクト自体も歴史好きにとっては面白いのだが、一般的な認識は低いと言わざるを得ない。

しかしその認識の低さを逆手に取ったのが本作のシナリオ。

あれほどの偉業を成し遂げた伊能忠敬の認知度が、なぜこれほどまでに低いのか?

それは本作を観ればよくわかる。

本作は歴史的視点の面白さを如実に物語っている。

ただその例に挙げるには、伊能忠敬というマイナーキャラでは説明が難しい。

おまけに本作のせっかくのオチまでネタバレしてしまう。

したがって本作とはまったく関係ないが、誰もが知る国民的時代劇『忠臣蔵を例に挙げて説明しよう。

忠臣蔵とは、家臣の討ち入りで主君・浅野内匠頭の無念を晴らす物語。

日本の冬の風物詩であり、武士の忠義心を感動的に描いている。

しかし仇とされた吉良上野介にだって言い分はあったはず。

もしかしたら悪役とされた吉良上野介の言い分の方が正しかった可能性だって十分にあるのだ。

もし忠臣蔵赤穂藩士目線ではなく、吉良上野介目線で描かれていたなら、武士の忠義心への概念は今とまったく違うものになっていたかもしれない。

歴史認識なんて所詮はこの程度のもの。

我々が認識する正義と悪とは、その時々の為政者によって都合良く創造されたものにすぎない。

これが歴史の面白さであり、こういう事実を知っておくと現代社会においても存外役に立つものである。

つまらない情報に踊らされないためにも、本作で視点の柔軟さを学んでみるのもいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎

 

Amazon Prime Video

Amazon Prime Video

  • AMZN Mobile LLC
  • エンターテインメント
  • 無料

Netflix

Netflix

  • Netflix, Inc.
  • エンターテインメント
  • 無料

ネットもテレ東 テレビ東京の動画アプリ テレビ番組をスマホで

ネットもテレ東 テレビ東京の動画アプリ テレビ番組をスマホで

  • TV TOKYO Communications Corporation
  • エンターテインメント
  • 無料

 

 

 

 

ジャニーズ事務所社名問題が浮き彫りにした日本人の根強い肩書き重視主義思考。

 

 

 

 

ジャニーズ事務所社名問題が浮き彫りにした日本人の根強い肩書き重視主義思考

 

 

ジャニーズ事務所社名問題

 

ジャニー喜多川氏の性加害事件をめぐるジャニーズ事務所の最初の会見では、社名は変更せず、新社長には長年の所属タレントである東山紀之氏が就任することが発表された。

この「社名は変更せず」というのが物議を醸し、ジャニーズ事務所は社名を変更する意向のようだ。

 

 

ジャニーズ事務所へのテレビ局のあからさまな忖度

 

フジテレビ系列で放送されている番組に『全力!脱力タイムズ』というのがある。

自称報道番組だが、その実バラエティ番組だ。

その『全力!脱力タイムズ』で、以前ジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ・嵐のメンバーである二宮和也氏が出演したことがあった。

朧げな記憶でしかないが、その番組の最後は所属事務所の強さを激しく強調するものであった。

もちろんバラエティとしてのイジリだったのだが、今思えばある種の皮肉が込められていたのかもしれない。

これまでジャニーズ事務所へのテレビ局の忖度は、誰の目にも明らかだった。

音楽番組にはジャニーズ事務所所属のタレントが必ず数組名を連ね、ファン以外の視聴者は辟易していたのではないだろうか。

いくらセールスが上位だとはいえ、一般的にはまったく知られていない音楽をひたすら垂れ流されていたのだから。

民放ならまだしも国営放送ですらこんな調子なのだから、ジャニーズ事務所への忖度は公然と行われてきた暗黙の了解だったといっていい。

 

 

最高級ブランド "ジャニーズ"

 

ジャニー喜多川氏の性加害事件をめぐるジャニーズ事務所の最初の会見で「社名は変更せず」としたのは、"ジャニーズ" という巨大な看板を失いたくなかったからだろう。

アーティストとは違って、アイドルという職業は、その所属グループ名によって人気が支えられている部分が大きい。

その最大単位が所属事務所名だ。

それが証拠に事務所ないしグループを脱退後、徐々に露出が減っていってしまうタレントがいったい過去にどれほどいたことか。

誤解を恐れず言ってしまえば、タレント個人というよりは、その肩書き、つまりは所属事務所やグループ名の方に人気があるのだと著者は考える。

だからこそ、忖度しやすく圧力をかけやすい土壌が生まれてしまった。

所属事務所やグループ名は、いわばブランドだ。

"ジャニーズ" の名はその中でも最高級ブランド品。

栄枯盛衰激しい人気商売の中で、その肩書きを綺麗さっぱり無くして、果たして彼らは生き残ることができるのだろうか。

 

 

日本人の根強い肩書き重視主義思考

 

ジャニーズ事務所社名問題でなぜ物議を醸したのかといえば、それは取りも直さず日本人の根強い肩書き重視主義思考によるものだろう。

普通に考えれば社名変更はマストな案件。

だが、"ジャニーズ" の名を残すべきだという意見も多数あったようだ。

日本人は古来より、肩書きというものに滅法弱い。

全入時代(志願者が全員入学できること)になった今ですら、大卒が重宝されてしまうようなところが日本人にはある。

また世襲に代表されるように、家柄(=肩書き)や血筋を重視する傾向も根強く残っている。

その最たるものが象徴天皇制ではないだろうか。

日本国憲法第1条では、天皇を日本国と日本国民統合の「象徴」と規定されている。

その地位は、主権者(主権在民)たる日本国民の総意に基づくものとされ(前文、第1条)、国会の議決する皇室典範に基づき、世襲によって受け継がれる(第2条)

象徴天皇制が肩書き重視主義思考なことは一目瞭然である。

正直ジャニーズ事務所がこれからどうなるかなんて実はどうでもよくて、本稿の肝はここからである。

 

 

 

 

 

 

 

象徴天皇制

 

憲法学では「象徴」は法的意味を持つ語ではなく、政治的意味(社会学的意味)しか持たない。

象徴天皇制」とはつまり、「象徴」とはあるもののイメージを任意の記号に仮託したものであり、人々が日本国と日本国民統合のシンボルが天皇であると思っている限りにおいて、天皇が象徴として成り立っている…ということらしい。

ふむ、なかなか意味がわかりづらい。

言葉は悪いが、要するに "お飾り" ということか。

なるほど、天皇とはただの肩書きでしかないというわけだ。

しかし日本人はなぜか天皇というものを非常にありがたがる。

もしかしたら著者が非国民なだけかもしれないが、どうしてそれほどありがたがるのか。

それは日本人に根強い肩書き重視主義思考に他ならない。

 

 

万世一系である天皇家世襲制

 

天皇家万世一系といわれているが、本当にそうなのだろうか。

実は天武天皇(第40代)~称徳天皇(第48代)まで天皇家の血筋は途切れている。

歴史上、天武天皇天智天皇の弟ということになっているが、不可解なことに即位後に自分の息子(舎人親王)に命じて書かせた「日本書紀」には当の天武の年齢に関する記述が一切なく、没年と没年齢から逆算すると、兄であるはずの天智天皇よりも年上になってしまう等、極めて素性のはっきりしない人物なのだ。

渡来人であるとか諸説あるが、少なくとも天智天皇の実の弟でないことは確かなようだ。

その「素性のはっきりしない」人物が天智天皇を暗殺し、次いで即位した弘文天皇壬申の乱というクーデターで殺して、自ら天皇の座に就いた。

皇位が乗っ取られてしまったことになる。

しかし、その天武天皇の子孫は聖武天皇の次の称徳天皇(女帝)で途絶え、皇位天智天皇の子孫である光仁天皇に戻った。

聖武天皇奈良の大仏を作ったのは、国中に蔓延した飢饉や疫病もさることながら、男子のいなかった聖武天皇が「このままでは(天武系の)血筋が絶えてしまう」と焦ったからだ。

しかし懸命な神頼みでも、ついに聖武天皇に後継ぎの男子を授けてはくれなかった。

ちなみに現在の宮内省の皇系図には天武天皇称徳天皇も記載されているが、明治になるまで天皇家菩提寺であった京都の泉涌寺には天武天皇称徳天皇までの7人の位牌は置かれておらず、奉幣の儀という先祖供養の儀式からも除外されている。

これは言うまでもなく、天皇家自身が天武~称徳までを天皇家の血筋と認めていない証拠である。

こうなると現在の天皇家の貴い血筋とやらも、ずいぶん怪しくなってくる。

どこぞで入れ替わっていたとしても、我々にはまったくわからないこと。

歴史は歴史で真実として受け入れるが、その歴史が事実とは限らないし、実際事実とは思っていない。

そもそも歴史は勝者がつくるもの。

だから天皇という肩書きをありがたがるような気持ちは著者には皆目なく、その気持ち自体まったく理解できないというのが本音である。

 

 

象徴としての天皇家

 

だからといって、ならば天皇家は不要なのかと問われると、そうは思っていない。

日本の天皇家は世界最古の王家であり、これは「ギネス世界記録」でも認定されている事実である。

この一点だけをみても、象徴としてだけの天皇家ならあってもいいと思う。

国内外への体裁としてなら、天皇家は日本に必要な看板なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

プロパガンダの危険性

 

問題なのは、必要以上に天皇家をありがたがる国民の存在だ。

この問題は、先に記したジャニーズ事務所社名問題と根っこは同じである。

過剰な肩書き重視主義思考は、プロパガンダを誘発させる。

ジャニーズ事務所所属タレントなら誰彼構わずありがたがられテレビ局から重用されたように、必要以上に肩書きをありがたがる人の思想は非常に誘導しやすい。

なんといってもこの手の人間は、肩書きの言うことなら "絶対" である。

もし推しがなんらかの被害者になれば、その加害者は袋叩きに遭うだろう。

たとえそれが事実とは逆でも、である。

これは非常に危険なことである。

肩書き重視主義思考というのはまた、集団心理を生みやすいのも特徴だ。

肩書きというのは親和性を生み出す。

同じ肩書きを持つことで同調を生み、その同調は他の同調と結合し続け、ひとつの巨大な同調意識が生まれる。

ひとつの巨大な同調意識というのは、個の意識より格段に誘導しやすい。

その立場にいる人間なら、それを悪用することは容易いのだ。

 

 

日本を衰退させた肩書き重視主義思考

 

日本人にとって、政治は参加するものではなく任せるもの。

任せるのならしっかり精査すれば良いのだが、それもしない。

ミーハーなくせに封建的で変化を嫌うから、現職という肩書きだけで安心し判断してしまう。

そして一度任せてしまえば、放ったらかしなのが現状だ。

そんな国民の肩書き重視主義思考を逆手に取って、ずっと悪用してきたのが目下長期政権中の政府与党である。

たとえば日本は先進国、経済大国、アジアでも欧米諸国に劣らない強国であると長年に渡り国民に刷り込み、己の欲望のままにやりたい放題の政策を続いてきた。

結果招いた国の衰退。

多くの国民が気づくまでの間に、この国が失ったものは大きい。

ジャニーズ事務所のことを、業界ではジャニーズ帝国と呼んでいるらしい。

もしかしたらジャニーズ帝国の行く末は、この国の行く末を示唆するものになるのかもしれない。

帝国の崩壊は、そう遠くない日本の未来。

 

 

報道しない自由 マスコミのジャニーズ性被害への責任: 数百人規模での被害者 史上まれにみる少年への性犯罪 国際問題と化す日本のエンターテイメント

報道しない自由 マスコミのジャニーズ性被害への責任: 数百人規模での被害者 史上まれにみる少年への性犯罪 国際問題と化す日本のエンターテイメント

 

 

 

 

 

 

 

☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎

 

日本の政治闘争

日本の政治闘争

  • Roman Shvab
  • ゲーム
  • 無料

 

 

 

 

【天下人のスマホシリーズ『家康と三成のスマホ』】シリーズ初のW主人公!結末は視聴者投票で決定!

 

 

 

 

天下人のスマホシリーズ

家康と三成のスマホ

 

 

シリーズ初のW主人公!結末は視聴者投票で決定!!

 

 

「もしも歴史上の偉人がスマホを持っていたら?」という設定と、全編スマホ画面のみという演出で好評を博しているSF時代劇『○○のスマホ』シリーズ

2023年はシリーズ "天下人のスマホ" と題して、

を放送。

そして、2023年9月5日(火)より放送されるのが、シリーズ初のW主人公で描く『家康と三成のスマホ

 

 

家康と三成のスマホ

 

 

家康と三成のスマホ

 

 

『土方のスマホ』(主演:窪田正孝)

 

(1)「武士だぜ!今日から俺は!!」

(1)「武士だぜ!今日から俺は!!」

 

 

義経スマホ』(主演:川栄李奈)

 

(1)「スマホにあこがれる男」

(1)「スマホにあこがれる男」

 

 

『秀吉のスマホ』(主演:和田正人)

 

第1話 身分の低いワシが信長様亡き後の世界で救世主になる話!

第1話 身分の低いワシが信長様亡き後の世界で救世主になる話!

 

 

 

家康と三成を演じるのは誰だ?

 

 

今回も主人公の家康と三成を演じる俳優が誰なのかは、明かされないままドラマは始まる。

だが二人とも、数多くのドラマや映画に引っ張りだこの実力派俳優との噂。

なお家康や三成の間をとりもったりかき乱したりする個性的な武将たちを、六角精児氏や落合モトキ氏、大谷亮介氏や後藤剛範氏、杉田智和氏ら多彩な俳優・声優陣が演じることが明らかになっている。

 

 

 

最終話、関ヶ原の勝敗は投票で決まる!

 

 

関ヶ原の戦いを描く最終話(第8話)は、「家康勝利 ver.」「三成勝利 ver.」の2パターンが用意されている。

このどちらが放送されるのかを決めるのは、なんと視聴者の投票。

ちなみに最終話の放送日9月15日は、関ヶ原の戦いが行われた日なのだ。

史実通り家康が勝利するのか、それとも史実を裏切り三成が勝利するのか…

視聴者の投票が歴史を動かす!

 

 

 

『家康と三成のスマホ』(全8話)

 

 

放送予定(2023年9月5日(火)より【総合】夜11:45~11:50)

 

9月5日(火)

第1話 「めんどくさい人とめんどくさい人」

 

9月6日(水)

第2話 「見栄を切る人と裏切られる人」

 

9月7日(木)

第3話 「動じない人と動じる人」

 

9月8日(金)

第4話 「チャンスの人とピンチの人」

 

9月12日(火)

第5話 「ワクワクする人とイライラする人」

 

9月13日(水)

第6話 「哀願する人と提言する人」

 

9月14日(木)

第7話 「信じてない人と信じられない人」

 

9月15日(金)

最終話(第8話)「関ヶ原のふたり

 

 

出演者

 

 

 

声の出演

 

 

 

 

 

 

 

 

『家康と三成のスマホ』は低迷する大河ドラマ『どうする家康』を救えるか?

 

 

大河ドラマで今まで散々擦り倒されてきたテーマ「家康」。

はてさて、今回はどんな新解釈が披露されるのか?…なんて淡い期待も露と消え、今やフィクション爆進中の大河ドラマ『どうする家康』

なんとも残念な作品になってしまった。

残念な理由はいくつかあるが、最大の理由は史実から大きく逸脱してしまったことにある。

著者が考える歴史ドラマでのタブーとは、ほぼほぼ史実だと断定されている事実に極端なフィクションを加えること。

そして、必要以上に美談に仕立て上げることだ。

そういう観点で評価するなら、『どうする家康』は歴史ドラマとしては失格だ。

とにかくいろいろ酷い。

なかでも酷かったのが、日本史上最も謎に包まれている政変・本能寺の変の回

その中でも最悪だったのが、本能寺の変真っ最中に織田信長明智光秀が対面しているシーン。

いくらなんでもそれは有り得ないだろ?

おまけに二人はご丁寧に会話まで交わしている。

これはあまりに酷すぎる。

もはや歴史に対する冒涜だ。

明智光秀は信長の首を取れなかったがために、自らを正当化できずに史上最も有名な "謀反人" となってしまった。

それが10mもない、すぐ目の前に信長が現れて討ち取れないわけないがない。

その状況になれば、光秀はなりふり構わず信長の首を取っただろう。

それを会話を交わせる距離まで接近したにも関わらず討ち取れなかったなんて…

明智光秀は決して無能武将などではない。

たしかに、事実がハッキリしていない余白の部分を想像するのは歴史の楽しみ方のひとつだ。

そして本能寺の変は謎だらけで、その余白が多い事件でもある。

想像が膨らむのも無理はない。

だからといって、その後起こったことを有耶無耶にしてしまうような想像は、もはや想像とは呼ばない。

それは空想だ。

空想が入り込んでしまえば歴史ドラマとは呼べない。

さらに印象操作も酷い。

大阪のシンボル、大阪城

現在の城は二回の焼失を経て、昭和になって再建されたもので、秀吉時代の城は地下にその名残りを留めています。

これはある回のエンディングのナレーションの一部だが、これでは秀吉時代の大坂城が、まるで焼失によって地下に埋められたように受け取れる。

地下に埋めたのは、他ならぬ家康だ。

秀吉の権力を否定するため。

そして自らの権威を誇示するために、家康が大坂城の上にわざわざ大阪城を建てたのだ。

このような家康の一面を一切出さず、ただただ神格化を謀ろうと印象操作を繰り返す『どうする家康』

このような悪質な印象操作の数々は、何らかの政治的な意図を感じてしまう。

終始こんな調子だから、『どうする家康』は歴史ファンのみならず、大河ドラマファンからも外方を向かれてしまった。

発表される視聴率は、大河ドラマとしてはすでに危険水域にまで達している。

そこへきて大人気シリーズ最新作『家康と三成のスマホが放送。

果たして『家康と三成のスマホ大河ドラマ『どうする家康』の救世主となり得るのか?

たぶん無理だけど。

 

 

 

 

 

 

 

☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎

 

日本史一問一答(解説付き)

日本史一問一答(解説付き)

  • Gakko Net Inc.
  • 教育
  • 無料

世界史一問一答(解説付き)

世界史一問一答(解説付き)

  • Gakko Net Inc.
  • 教育
  • 無料

 

 

 

 

【日本映画『峠 最後のサムライ』】官軍ではなく西軍と表現した司馬遼太郎の真意に、明治維新の正当性を問う。

 

 

 

 

日本映画

峠 最後のサムライ

 

 

『峠』とは

 

 

『峠』は、司馬遼太郎先生の長編時代小説、及びその映像化作品。

1966年(昭和41年)11月から1968年(昭和43年)5月まで「毎日新聞」に連載され、1968年10月に新潮社で刊行。

それまでほとんど無名に近かった幕末から戊辰戦争時の越後長岡藩家老・河井継之助の名を、一躍世間に広めることとなった歴史小説である。

近代的合理主義を持ち、時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、「藩」や「武士」という束縛から自己を解放するまでには至らず、最後には武士として、長岡藩の家臣として、新政府軍に対抗する道を選んだ英雄の悲劇を描く。

『峠』の連載に先立って1964年(昭和39年)1月には「別冊文藝春秋」に河井を主人公にした短編小説「英雄児」を発表している。

また、同時期の類似テーマを扱った作品として、同年翌2月には「小説新潮」に大村益次郎を主人公にした短編「鬼謀の人」が発表されており、後に長編小説『花神として連載されている。

1977年の大河ドラマ花神の原作のひとつ。

2022年には『峠 最後のサムライ』のタイトルで映画版が公開された。

 

 

峠(上中下) 合本版(新潮文庫)

峠(上中下) 合本版(新潮文庫)

 

 

 

映画『峠 最後のサムライ』とは

 

 

『峠 最後のサムライ』のタイトルで映画化。

監督は小泉堯史氏、主演は役所広司氏。

前述の通り、大河ドラマ花神にて、明治維新前後の日本を描いた司馬先生の原作5作品の1つだったことはあったが、本作品そのものを単独で映像化するのは今回が初となる。

当初は2020年9月25日に公開が予定されていたが、新型コロナウイルスの影響で2021年7月1日公開予定に延期となった。

しかし同年5月24日に再び延期が発表され、計3回の延期を経て2022年6月17日に公開された。

 

 

峠 最後のサムライ

峠 最後のサムライ

 

 

「峠 最後のサムライ」Blu-ray

「峠 最後のサムライ」Blu-ray

 

 

 

あらすじ

 

 

<敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ "最後のサムライ">

 

慶応3年(1867年)、大政奉還

260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。

慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発した。

越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。

戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。

だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。

継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。

妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。

 

 


www.youtube.com

 

 


www.youtube.com

 

 


www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

河井 継之助

 

 

河井 継之助〔かわい つぎのすけ、正字体:繼之助、文政10年1月1日(1827年1月27日) - 慶応4年8月16日(1868年10月1日)〕は、江戸時代末期の武士。

越後長岡藩牧野家の家臣。

「継之助」は幼名・通称で、読みは郷里の新潟県長岡市にある河井継之助記念館は「つぎのすけ」とするが、死没地である福島県只見町の同名施設は「つぐのすけ」としている。

諱は秋義(あきよし)。

号は蒼龍窟。

禄高は120石。

妻は「すが」。

戊辰戦争の一部をなす北越戦争で長岡藩側を主導したことで知られる。

 

 

 

官軍ではなく西軍と表現した司馬遼太郎の真意は?

 

 

本作の舞台は幕末の長岡。

佐幕派の長岡藩は、天皇・徳川両家への忠義に揺れていた。

おまけに、もし藩領が戦火に巻き込まれれば、民への被害は計り知れない。

結果的に長岡藩は中立の立場を保とうとする。

しかし西軍は長岡藩を許すことなく、藩領は戦火に巻き込まれていく…というストーリー。

幕末を題材にした時代劇ではありがちな展開ではあるが、ここまでの説明で従来の "ありがち" ではない表現があったことにお気づきだろうか?

従来の幕末時代劇では、薩長土肥を中心とした討幕軍を官軍と呼称するのが常である。

しかし本作では、わざわざ西軍と呼称している。

ちなみに対する幕府軍を東軍と呼称。

これは、歴史好きにとっては非常に興味深いことである。

考えられる理由はふたつ。

ひとつ目は、関ヶ原を擬えた可能性。

西軍の中心だった薩長関ヶ原でも西軍に与していたことから、本作でも西軍と呼んだのではないか?と、推察できる。

ふたつ目は、薩長土肥連合を官軍だと認めていない可能性。

官軍とは義軍でなければならない。

では、薩長土肥連合が果たして義軍だったのかといえば、実情はそうでもない。

旗印にしていた錦の御旗は偽造(当初は)だったし、降伏を許さない非道さは義軍のそれとは程遠い。

本作は幕府軍の視点で描かれているから前者の可能性が非常に高いが、もし後者の理由だったとしたなら、著者が本作を観て得た印象(後述)は間違いではなかったことが証明される。

…のだが、残念ながら真実はわからない。

 

 

 

忘れ去られた「忠」と「義」の精神

 

 

儒教における八種の徳である、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌。

なかでも古来より日本人に最も尊ばれたのが「義」「忠」ではないだろうか。

すなわち、忠義の精神である。

「義」とは、人間の行動・思想・道徳で、「よい」「ただしい」とされる概念である。

義人とは「堅く正義を守る人。わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人」(広辞苑第6版)。

対義語で、行動・志操・道徳が「わるい」「よこしま」を意味する概念は「奸」(かん)という。

「忠」とは、心の中に偽りがないこと。

主君に専心尽くそうとする真心。

現代では主君という概念がないので、「忠」の主な精神である「主君に専心尽くそうとする真心」は、もはや消え失せたといってもいい。

なかには、いまだに会社や組織に全身全霊忠節を尽くす人もいるのだろうが…。

故に、本稿における「忠」の精神は「心の中に偽りがないこと」の方に重きを置く。

さて、本作で描かれるのは天皇・徳川両家への忠義に揺れる長岡藩の姿。

損得勘定でしか動かない現代人にとって長岡藩の決定は、滑稽で理解し難い反応なのかもしれない。

誰だって、負けるとわかっている勝負に命を賭けるなんて御免だ。

長岡藩内だって、そう考える人間は少なからずいただろう。

しかしそういう考え方が大半を占めたなら、戊辰戦争で徳川家に味方する藩は一藩たりともなかったはずだ。

しかしそうはならなかった。

義理とか御恩といった考え方が、ちゃんとまだ機能していたからだ。

それはもはや意地や矜持といってもいいのかもしれない。

その根底にあるのが「義」と「忠」の精神なのだ。

本作では、現代の日本人が忘れ去ってしまった「義」と「忠」の精神を十二分に感じさせてくれる。

そして、どちらも古来より日本人が大切にしてきた精神である。

義理や御恩のみならず、意地や矜持の心すら忘れてしまった現代の日本人。

昔の人がみたら、どれほど情けない姿に映るのか。

日本人としての誇りを取り戻すためには、もはや歴史から学ぶ以外に手はないような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

果たして明治維新は正しかったのかという疑問

 

 

そもそも論として、果たして明治維新は正しかったのか?

それが本作を観終わった著者の印象だった。

少なくとも、幕藩体制については外圧の強まりを鑑みる限り、もはや維持は不可能だっただろう。

しかし内乱を起こしてまで討幕する必要が、果たしてあったのかどうか。

現代日本の社会は、実はいまだにこの明治維新を引きずっていると著者は考えている。

旧長州出身の故安倍晋三氏が歴代総理大臣最長在任期間を誇れたのも、明治維新の賜物であり、延長線上の出来事なのである。

そして今なお門閥政治が続く日本の政界には、革命を夢見た頃の崇高な意志など一片も存在しない。

そのせいか、史家の間ではこれまでの旧態然とされてきた徳川幕府の評価が軒並み改められている。

一般的には不人気の徳川家康も、経営者の間では人気の偉人になっている。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

この言葉を今、痛いほど噛み締めている。

現代人は、今こそ歴史に学ぶべき時なのかもしれない。

 

 

 

☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎

 

Amazon Prime Video

Amazon Prime Video

  • AMZN Mobile LLC
  • エンターテインメント
  • 無料

Netflix

Netflix

  • Netflix, Inc.
  • エンターテインメント
  • 無料

ネットもテレ東 テレビ東京の動画アプリ テレビ番組をスマホで

ネットもテレ東 テレビ東京の動画アプリ テレビ番組をスマホで

  • TV TOKYO Communications Corporation
  • エンターテインメント
  • 無料

 

 

 

 

美しき日本語の世界。[其の三十六]

 

 

 

 

其の三十六

美しき日本語の世界。

 

 

もともとは祭りにまつわる言葉

関の山

 

 

「関の山」とは、一生懸命やって成し得る限度。

精一杯のところ。

これ以上はできないという限度を指し、多く見積もってもそこまでだということを意味する。

「関の山」の「関」とは、三重県の関町(2005年1月11日に市町合併し、現在は亀山市)のこと。

また「山」は、祭りの「山車」のことである。

八坂神社の祇園祭に出される「関の山(山車)」は、大変立派なものだった。

そのため、「関の山」以上の贅沢な山は作れないないだろうと思われ、精一杯の限度を「関の山」というようになった。

 

 

 

神輿と山車の違い

 

 

大勢の人が豪華絢爛な神輿をかついだり、山車を曳いて街を練り歩いたりする光景は、日本のまつりを象徴するワンシーンだ。

しかし存在を認知していても、その役割や背景を理解している人は意外と少ないのではないだろうか。

 

 

 

千年以上も前に生まれた神々の乗り物が「神輿」

 

 

「神輿」とは、ひと言で表すと神々が移動するための「乗り物」である。

神輿が初めて記録されたのは今から千年以上も前の749(延暦13)年、東大寺宇佐八幡宮の神霊を迎えた際の記録が初見といわれている。

これ以前の神霊の移動は人や馬によって行なわれていましたが、平安中期からの御霊信仰とともに、神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移して移動する神幸式(しんこうしき)の "まつり" が主流となった。

以降、神幸式の "まつり" として、2基以上の神輿がぶつかりあう喧嘩祭や、神輿を川や海に入れる浜降祭、神輿洗い、かついだ神輿を振り動かす神輿振りなどが登場し、全国のまつりに伝播していった。

神輿はふつう、屋根、胴、台輪という三つの部分から成りたっており、胴体を支える台に持ち手となる縦横二本の棒が取りつけられることで、人々が肩でかついだり、手で担いだりすることが可能になる。

屋根の中央には鳳凰の飾り(鳳輦)や葱の花の飾り(葱花)を据え、屋根の端にはくるりとカーブした「蕨手」と呼ばれるパーツがついているなど、豪華な装飾が施されているのも特徴である。

 

 

 

 

 

元は疫病の流行を鎮めるため?

飾り物が巨大化して山車になるまで

 

 

「山車」とは神輿の100年以上後、863(貞観5)年に始まった京都祇園祭の山鉾(やまぼこ)を起源とする。

疫病の流行を鎮めるために始まった祇園祭では、祭場に、国に広がる疫神を表す66本の矛を立て、経典を講じ、子どもたちが舞う「童舞(わらわまい)」、雅楽のひとつである「舞楽」、中国大陸から伝来したとされる「散楽雑技」などが演じられた。

"まつり" の主役は、盆踊りの先行芸能とも言われる「風流拍子物(ふりゅうはやしもの)」である。

風流拍子物とは、笠鉾(かさほこ、大きな傘の上に鉾・なぎなた・造花などを飾りつけたもの)などの造り物、仮装衆と呼ばれるパフォーマンスと、それを囃し立てる行列のこと。

厳かな神事を行なうのではなく、楽しく神様を盛り上げる、いわゆる「神賑わい」により疫神を送り鎮めることを目的とし、疫神が乗り移るとされる造り物が趣向を競い合った。

この盛り上がりにより、本来は単なる飾り物であった造り物が大型化、華美化し、山・鉾に変化していったのが山鉾、山車の起源とされている。

都市の形成と治世に "まつり" は重要な役割を果たし、特に江戸の「天下祭」は大変な賑いをみせた。

天下祭は現在の赤坂付近に位置する日枝山王神社の "まつり" と、神田明神の "まつり" を隔年で行なった催しだ。

この "まつり" は行列、仮装、造り物が混在するパレード、つまり「練り物」を中心としたものだった。

天下祭は「出シ(鉾などの先端を飾る造り物)」を乗せた笠舞、芸能を演じる芸屋台などにより華美化、大規模化して収拾がつかず、江戸幕府が規制や禁制を出すほど盛大なものに。

しかし、「出シ」は神霊の依る鉾とされていたため、禁制から逃れることができたと考えられている。

結果的にこの「出シ」の部分が練り物の屋台全体の名前となったものが「山車」なのだった。

 

 

 

山車は神輿を賑わすための装置

 

 

全国の山車まつりは江戸時代中期から後期の町人文化の成熟を基に発展した。

山車は疫神などを鎮送する役割を担っているほか、"まつり" の中心にある神輿を賑わすための装置でもあった。

例えば、能登半島の「あばれ祭、石崎奉灯祭」に担ぎ出される巨大な燈籠・キリコ(奉灯)も、山車の一種。

キリコを各地域で担ぎ巡り、キリコ上部に備えられた榊、幣串に疫神を招き、神輿が鎮座する御旅所へ向かう。

そして若衆は力の限りキリコを神輿の周りで担ぎ廻りその威勢を競い合う。

疫神を鎮め送るため御旅所は海辺、川辺に定められている。

人々が "まつり" を楽しめば楽しむほど神々の神威は上がりコミュニティーは団結し、さらに災害などに備えたのである。

 

 

 

京都祇園祭の山車には美術工芸の「粋」が集結

 

 

山車に注目する "まつり" として外せないのは、京都祇園祭

山車のひとつとされる「山鉾」には、ペルシャ絨毯など豪華絢爛な懸装品が数多く用いられ、国内はもとよりシルクロードを通って遠く東アジアや中近東、そしてヨーロッパの美術工芸の「粋」が集結している。

このように祇園祭の山鉾は、古来の日本の伝統的装飾にこだわることのない雅と思いつきによる「造り物」なのである。

「造り物」、そして山車には、変化やうつろいにこそ「美」を見出す「風流」の感性が欠かせない。

山車まつりは高度経済成長時の唯物的精神などによって、一時は衰退したとされている。

しかしその後、"まつり" を文化として捉え、それに伴う観光化によって再興された。

 

 

日本の祭り DVD6枚組 NMD-4000M

日本の祭り DVD6枚組 NMD-4000M

 

 

日本の民俗 祭りと芸能 (角川ソフィア文庫)

日本の民俗 祭りと芸能 (角川ソフィア文庫)

 

 

日本の祭り

日本の祭り

 

 

 

☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎

 

Yomiwa JP Dictionary(多言語辞書)

Yomiwa JP Dictionary(多言語辞書)

  • Nomad AI OU
  • 辞書/辞典/その他
  • 無料
nemo 日本語

nemo 日本語

  • Nemo Apps LLC
  • 教育
  • 無料

 

 

 

 

 

[blog:g:11696248318754550902:banner

 

 

美しき日本語の世界。[其の三十五]

 

 

 

 

其の三十五

美しき日本語の世界。

 

 

「だらしない」は元々「しだらない」?

 

 

宮崎駿監督作品『となりのトトロで、メイちゃんがお母さんへ届けた「とうもろこし」。

作品を観たことがある人なら、誰でも思わずほっこりしてしまう印象的なシーンだ。

日常でも、メイちゃんのような幼児特有の言い間違えを聞いたことがないだろうか。

このようなひとつの単語の中の隣接する音が位置を交換させてしまう現象を、言語学では「音位転倒(転換)」(metathesis〈メタテシス〉)などという。

最近では「雰囲気」という言葉も、正しい読みの「ふんいき」ではなく「ふいんき」と読む人が増えていて、この「ふいんき」も音位転倒であると説明されることが多い。

ただし、この「ふんいき→ふいんき」に関しては、言語学者の間では音位転倒であるという考えを疑問視する立場も存在する。

音位転倒はたまたま言い間違いで起きることも少なくないのだが、それが固定化して語形変化を起こしたものもある。

そして今回取り上げる「だらしない」もそのひとつだといわれている。

どういうことかというと、「だらしない」は、行いや状態に締まりがない、乱雑で秩序がないという意味の「しだらない」の「しだら」が音転して生まれたと考えられているからだ。

式亭三馬が書いた滑稽本浮世床には、「しだらがないといふ事を『だらし』がない、『きせる』を『せるき』などいふたぐひ、下俗の方言也」という説明がある。

ここでいう「方言」とは特定の社会で使われる隠語のことである。

このことから、「だらしない」は、隠語的な言葉として、一般庶民の間に広まっていった可能性も考えられる。

話はそれるが、「キセル(煙管)」を「セルキ」といっていたなどと現在でも隠語として「サングラス→グラサン」「マネジャー→ジャーマネ」というのと同様の発想が、江戸時代からあったというのは大変興味深い。

このように意識的・作為的に音を転倒させることも広い意味での音位転倒である。

元の言葉の「しだらない」の語源はどうかというと、江戸時代の国学者・喜多村信節氏が著した随筆『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』には、「じだらく(自堕落)」からという説が紹介されている。

だが、近年は秩序がなく乱れているという意味の「しどろ」と関係があるという説の方が有力のようだ。

「しどろ」は現在では単独で用いられるよりも、それを強めた言い方「しどろもどろ」の形で使われることの方が多いであろう。

「もどろ」も乱れまぎれるさまの意味である。

「しだらない」の「しだら」が「しどろ」と関係があるとすると、「ない」は否定の「ない」ではなく、「はしたない」「せわしない」などと同じ、その意味を強調する形容詞を作る接尾語の「ない」ということになる。

「しだらない」→「だらしない」のように変化した語は他にも、「あらたし」→「あたらしい(新しい)」、「さんざか」→「さざんか(山茶花)」などがあると考えられている。

小難しい説明ばかり並べてみたが、音位転倒とは要するに、現代のいわゆるオヤジギャグのようなものだと考えてもらえばよろしいかと思われる。

周囲を凍てつかせるオヤジギャグも、よくよく考えてみると、瞬発的に音位転倒してしまえる頭の良さと回転の早さがよく表れている。

よくもまぁそうポンポンとギャグが出てくるものだと、時折だが関心させられることだってある。

もしかしたらその中には、後世辞書に載るような言葉だってあるかもしれない。

「だらしない」のような先例を知ってしまうと、オヤジギャグだってなかなかバカにはできない言葉遊びだ。

 

 

カタブツオヤジのギャグスキル: 幸せを呼ぶ! 会話を面白くする! ㊙小ネタ87連発! (カナダラ書堂)

カタブツオヤジのギャグスキル: 幸せを呼ぶ! 会話を面白くする! ㊙小ネタ87連発! (カナダラ書堂)

 

 

AIには到底、想起不可能!親父ギャグの玉手箱: 無敵のダジャレンジャー 人生を楽しくする㊙︎エンターテイメント術 怒涛のバリエーション1700個以上炸裂!! (Sound of Love lab.)

AIには到底、想起不可能!親父ギャグの玉手箱: 無敵のダジャレンジャー 人生を楽しくする㊙︎エンターテイメント術 怒涛のバリエーション1700個以上炸裂!! (Sound of Love lab.)

 

 

 

 

 

 

 

☆今すぐApp Storeでダウンロード⤵︎

 

Yomiwa JP Dictionary(多言語辞書)

Yomiwa JP Dictionary(多言語辞書)

  • Nomad AI OU
  • 辞書/辞典/その他
  • 無料
nemo 日本語

nemo 日本語

  • Nemo Apps LLC
  • 教育
  • 無料